「わかった?」ではなく「伝わった?」と子どもに確認する
Children First の例会だった。
授業VIDEOによる検討に入る前に、学習集団づくりの視点から子どもたちの成長と課題を授業者に聴いた。
子どもたちが友だちの話を聴いていないので、発言を復唱させることに取り組んできた。言葉が出てこないので、朝の会等を活用し、フリートークをさせながら、「もう一言言えるといいね」と指導してきた。授業では、子どもから「~たい」がようやく出てきて、学びに向かうようになってきた。粘り強く取り組むようになってきたのである。ただ、問いが子ども発信にはなっておらず、まだまだ教師が問いを与えている状態である。
教師が子どもに「わかった?」と聴いていて、教師の確認が一部の子どもにしか向いていなかったことに気づかされた。「わかった?」という確認は、わかっている子どもにしか応答できないコミュニケーションであることを自覚し、「伝わった?」「どうだった?」と教師としてのあり方を変えたというのである。教師の行為が変わるなかで、子どもたち全員から「ええ?」とか「わかんない」とかが出てくるようになってきた。そうした子どもたちの安心感がひろがるなかで、嫌なことがあると白目をむいたり、鉛筆を教師に投げつけてきたり、机の上のものをぶちまけていた子どもが座って授業に参加するようになってきたという。
授業を検討するなかでも、次のような指導性が明らかになった。
(1)子どもたちは教材が面白いと、間違えた発言があっても発言を攻撃しない。子どもが怒るように言っているときは、すなおに「怖い」とも反応しつつ、もともと持っているやさしさを教材を工夫することでていねいに広げている。
(2)子どもたちに選択肢をもたせたり、活動に幅を持たせているのは、子どもたちが主体的に問いを追究しているときは、仲間がしていることが気になるからである。どんなふうに考えたのかを聴きたくなるような活動の幅と質が、他者を大切にする子どもを育てていく。
子どもたちがよくつぶやく授業だった。たしかに、授業とは関係がない、内言がそのまま出ているつぶやきもある。かまってほしいだけのときもある。教師は、子どものつぶやきが他者にとって意味があるときは、つぶやきをひろってひろげているが、子どもが聴いてほしいだけときのつぶやきは拾わずに受け止めることにとどめていた。授業から脱線しているかどうか、それが自らの学びを邪魔しているかどうかを教師だけで決めるのではなく、子どもたちにそうつぶやく気持ちと許容範囲を聴きながら、器の広い指導性を大切にしていることが参加者と共有できた。
次回は、7月15日(土)である。