実践を省察する
大学院生が3週間の教育実習から戻ってきた。
教育実習における反省を一つ挙げてもらう。たとえば、「教師主導になっている。自分がしゃべりすぎで、子どもの活動が少ない。子どもの反応が薄かったりすると、説明を重ねてしまう」という。
大切なのは、最初の反省から「では、どうすればいいか」と考えてしまわないことである。「なぜ、教師がひきとってしまうのか」というように、最初の反省に「なぜ」と問いかけるのである。「なぜ」を繰り返す反省を求めると、授業の内容として大切なことをある子どもが発言した後、ペアで「今言ったことを確認できる」と子どもたちに話し合わせても、ペアでの話し合いをしないペアが出る。だからといって、確認ができたペアにあててしまうとわかったつもりになってしまい、ペアでの話合いをしなくてもいいと子どもに思われてしまう。そうした悪循環に落ちいっている状況に気付く。
悪循環を打破するには、「わかった?」と子どもに確認したときに、「わかった」と反応する子どもに、「では、わかったことを説明して」とは子どもたちに要求できていない点に自覚的になる必要もある。わかる‐わからないを表明することが教師のためになっていて、一緒に学ぶことの意味が子どもたちと共有できていないのである。
そうではなくて、理解から表現になるには難しさがあって、子どもたちには「わかった」けど「わかったことを説明」できないこともある。「わかったけど、わかったことを説明できるかどうか」を確認するために、確認のペア学習があることを子どもたちと共有できれば、子どもに助けられて教師が全員がわかり合おうとする、誰一人取りこぼさない授業を子どもとつくることができる。
教師が自己反省に留まるのではなく、子どもと授業をつくる方法を構想するところまで、自己の実践をふりかえってこそ、教育実践の省察なのではないだろうか。