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しくじり先生

 教職大学院に在籍されている現職教員に、「しくじり先生」というテーマで、院生や学生に失敗談を語っていただいた。トークセッションを通して、失敗して成長する先生と成長しない先生の違いは、自分に非が向くか、人のせいにするかであり、失敗したときに自分を俯瞰してみつめられるかどうかであることが見えてきたり、仕事が口頭指示だけで確認されたり、仕事を分担したら初任者だろうと仕事の説明はなく、自分から聞かないといけなかったりするといった学校にある文化性も浮き彫りになった。

 現職が語ったエピソードで印象に残ったのは、次の語りである。

 初任校ではじめて体育主任したとき、夏季休業中に10月に行われる運動会の提案文書を作成したり、運動会の練習中における熱中症対策としてテント設営をほかの教職員の協力を得ながら準備したりしていた。
 テント設営から数日後、県内に大型の台風が接近しており、「テントが飛ばされないようにテントをたたんだ方がいいんじゃないの」と前任の体育主任の先生にアドバイスを受けた。ただ、それが新婚旅行の前日だった。次の日からアメリカに行く。だから、「ただんだ方がいいけど、なんとかなるんじゃないか」と思って、何もしなかった。
 一週間後、新婚旅行から戻ってきたら、テントが全部片づけられていた。教頭先生から「たくさんの先生が雨の中テントを片付けていたよ」と言われ、前任の体育主任からは「運動会って体育主任だけで成り立つと思う」と言われた。このときから、仕事に対する考え方がすごく変わったという。テントをそのままにしたことだけでなく、学校は一人で何かをしているのではなく、組織で動いていることを突き付けられたのである。

 こうした失敗をしたときに、助けてくれる人と見放される人の違いを聴いてみると、「感謝」だと指摘されていた。学校では、みんながしてもらっていることに対して、感謝する人と何もしない人に分かれるという。たとえば、旅行に行かれたお土産をもらったり、事務の方に学級担任全員が配布物を準備していただいたりしたとき、相手との関係を1対全体ではなく、1対1の関係としてとらえると、自然と相手に感謝するという。してもらうことが当たり前ではなく、相手にきちんと気持ちを伝えているのである。さらに、失敗をしたときは、誰かに迷惑をかけているので、謝るだけでなく、何ができるのかを考えるという。しくじりを学びに変えることにできる先生は、「ありがとう」を日常的に言えている人であり、自分を助けてくれた一人ひとりに目を向けられる人なのである。

 

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