神人A - 0proTRPG seit login
第二部
-前書き-
時間空間つまり時空。350km離れた地点の身分も職柄も異なる拠点とする分野も接点も違う人物がテレパシーでコンタクトし関係を築く。これは10年、20年かかるだろう。お互いに全力で努力しても。
テレパシーで関係を作り実際に知り合って付き合うにはどうすればいいか。
実際、女性に多く見られる霊体を本人の元へ送り関係を築く方法。それは回帰法と呼ぶ。
作った関係に帰属する関係に帰結するという関係性。霊体では関係を作る努力が必要。その為に人間として、存在として認識されて人となり、人格の信頼性を得ることが目的でないと成立しないコンタクトだ。真摯な対応、思いやり、相手を慮る必要が生じる。それがないのでは誰もそんな関係は求めていないので必ず関係性は作れず叶わない。
そういった関係が結べる人とは霊能世界も使い方も相手の思いやり方も相性が重なる。
男性も女性もこれは恋愛感情、これはそうじゃない、と切り分けると相手の感情がよく伝わり客観的な関係でお相手できる。
男性の恋愛感情は、良い関係になれそう、付き合っても長続きしそう、というのが主だ。
女性も恋愛関係になれそう、気持ちが長続きしそう、という感情が恋愛感情だ。
しかし、見た目が良い、声が良い、キャラが良い、というのはフェティッシュで感情ではない。欲求だ。女性的な視点である。
女性の場合、直にストレートにこれでもか、と素の自分や欲求をぶつける。それが恋愛感情でなくても、恋愛感情でもこれでも成就するのか、叶うのか、と力試しの様に直にぶつけるとその恋愛軌道はごちゃごちゃになり絡まって解れない糸の様に紆余曲折を経る。場合によっては縁を切らなければ成就しない。
結局付き合う事が恋愛の最終地点ではないのだ。気持ちの成就が全て。
男は異なる。長続きしそう、というのに成就はない。むしろ付き合った時点で成就しているので長続きしそうかどうかが主眼にある。
回帰法は女性が行うがその最終地点に付き合う事があるのは稀だ。感情を発散してぶつければ女性は叶うのだ。だからつまりは回帰法で関係を築いても実際に付き合うかどうか、付き合うに至るまで気持ちが持つかは疑わしい。
男への感情を成就したいのか、淘汰したいのか、そういった欲求の元、コンタクトが行われる事になる。
それならちゃんと知り合ってこういう関係いいよね、と話して至った方が現実的。
回帰法はほぼ叶わない。
視点だけを送り相手を監視する様な関係性もある。霊視的に相手に集中して一方的に関係性だと思い込む事。つまりこれは霊感法と言う。
霊能でなく霊感。霊能同士は干渉を避け尊重するので回帰法は霊能的に成立するし尊重がある。つまりは霊感法は関係性ではない。
相手を自分の霊感法の枠に押し込めて理解する、相手が何を考えているかお構いなし。互換性がない人間はよく居るが、誰とも、誰の世界観とも互換性がなく、誰の世界も認められず、誰からも理解されない。そういった人間がコンタクトを取ると誰であってもこういった形になりそういうやり方でしか関わる事ができない社会を形成する。サークルの様な職場、幼稚園児の動物園の様な関心、わがままを言う事がコミュニケーションだと思う者。
その関係性同士で通じる話に相手を混ぜる事で認められる社会があるんだと認識するので、頼って人に馴れ馴れしくして取り込もうとする。
この迷惑な精神と縁を切る方法。
ひとつある。それが封じ込める事。封印。
法印術と言う。それを教えよう。
その人物の名前を順番に1人づつ横書きで書き並べる。左から一本の線で消す。その紙を丸めて封印して捨てる。二行目に至ったら途切れても構わない。一網打尽にする必要がある。
大体が見えない関係性を作っているのは対面で知る人間。会ったことのある人間。
会ったことのない人間は会ったことのある人間が連れてくる。対面の関係と同じ。
視界にフォーカスしていると煙の様な白い気の流れが見える。この状態は見えるもののみを信頼するという視点で、テレパシーやイメージの世界の霊視とは感覚が切り離される。目に集中しているとイメージの世界に没してテレパシーや霊視の世界に身を置く。
目自体に集中せず目の前の視界に集中すること。眺める視点で客観的に視界に集中しながら目には意識を集中しない。これが真の霊視法。
それで霊体や気の流れが見えないのなら見る才能がないということ。視るではなく見る。
視ると言うのはアカシックリーディングやクレアボヤンスで、そのものの理を感じとる、感じ取って観る、観念で見るという行為。
フォーカス地点が遠くなると、視界は現実を見ていてもイメージの世界に飛ぶ。何もない時に目の前に集中している時にフォーカス地点がなくてもフォーカスをずらさず近視点をキープする。そのフォーカス近度が重要だ。
見晴らしのいいところで遠くの景色を見ていると見ているのか見ていないのかわからなくなる。目の前の景色よりも雰囲気や空気感に感じ入って記憶や印象に感銘を受ける様になる。それはイメージ界に座しているからだ。
タバコの煙を見る。それは視るとは違うが煙の形は霊気に近いのでフォーカス近視度の調節に役立つ。また、ブドウ糖やとうもろこしを食べることも霊視法に役立つ。
頭の働きをブーストした視界を得る事で視床下部を活用することによる。
視床下部は視点とイメージの変換を行い海馬に記憶される。つまりは視床下部から物を見れば良い。記憶部位でイメージ変換されたものは現実ではないし、印象も足されて現実とは異なるものへと変換される事になる。
視床下部が見る現物のライブストリーム情報、これが重要。現実を現実の現時点でのみ摂取する。記憶や印象を加味して現実を見るとどうしてもイメージ界に寄る。
遠度=エンド。フォーカスエンドに寄るとイメージ霊視も受けるしイメージが伝わりやすく視界が盗まれる。近度に寄ると引っ張られているのがわかる。大麻を吸っているとエンドに合わせる効果があるのでイメージ霊視つまり霊感法を喰らうと目の前が見えなくなる。目が開いているし前を見ているのに視界が自分のものから奪われて見えない。
霊感法をしているのであれ受けているのであれその状態で視点が落ち着くと癖になり抜けづらくなる。されているのならまだ嫌悪して抜けられる。大麻で酔った状態の視点を知っている人は気をつけた方がいい。その視点が癖になると常に見られているのが普通になる。視る事は視られている目の状態と同じ。視られている事に気付いたら近視に合わせてエンドを放棄する。目が良い人はエンドにフォーカスが合っているので視られやすい。
霊体視覚は霊視法で、イメージと視点情報が合致している事とは関係がない。エンド視点はイメージの世界。霊体視覚は近度フォーカスだ。
目に集中しないで近度フォーカスする、それが霊視法であり霊を見る視点。目が悪い人は近度が普通なので目に集中せずに景色を眺めればいい。この視点はイメージとは真逆なのでこの視点であればイメージ霊視つまりは霊感法が及ばない。
一度霊視され始めると相手が癖になる。その視点でコンタクトを取るのが普通になり誰にとっても迷惑な人間となる。そういった者から身を守る為にフルデカシンという抗精神病薬がある。5年も筋中されれば自分の視点が定着するだろう。大概精神病患者は被霊視者でそういう状態を抜けると普通の状態よりも視点強度を増す。通常の迷惑行為に対する耐性が強くなる。
仕事が病んでる、生活が病んでる、そういう事を事実として認めている人ほど自分自身の中に病みを見出さない。そうして認めた人間は強いと言いたい。
自分の生活を病ませて生き抜く。そういう手法もある。生活を病ませれば自己の闇に打ち勝てる。自分より環境を病ませれば自分より外の世界が病んでる事になる。自分の闇を見ない方法。では、自分以上に周りの人間が病んでいたら。被害は絶大だったが、自分の行為を病ませてプロフィールを病ませればもう自分から病む必要もない。相手以上に狂った行為をして自分は病んでいない、そういう状態を作る。精神の生き抜き方。精神の遺伝子。
プロフィール、行為、仕事、生活環境、それらを病ます。自分の外側を病ませなきゃいけない。狂った表現活動をしてアナーキズムを語る。狂った自分を客観的に見る。そうしたら狂う必要もなく狂っている。
イメージの没入が強い人間は希望を加味して見たい世界を見る。それは神に憧れる人種、神を頭上に掲げる人種で、その世界にイメージの中心となる人物が居るとする。と、人物像にアクセスするとその人間は人物でなく人間でない。神なのだ。神のイメージを視ている。
その神たる人物像が貴方の視点の拠り所となり、その視点なしでは生活すらできない、価値観も保てない、判断も、自分の頭で考える事すら出来ない。神の視点を基準にする人間はその神にとっては特定できないのでイメージの下にある人間。イメージ以下。想像上のイメージ。
しかしながら神はいる。神の方は確固たる人物像を持った確固たる人物だ。そちらの方が強いので必ず人は神には敵わない。神とはそういう者で、現人神、神人とも言う。何も優れていなければ神になれないわけではない。
神は人が上にいただく者なのだ。
自分の中に神をいただく。神と崇める。それは正しい。自分は神などではない、神はこの方だ、と他人を神に据える。それが見たい世界を見たい様に見るという事。ならば、神の視点は神の物。それを見る人の視点はイメージ界の物。人間がイメージの所有物となる。
イメージの所有物という事はイメージに敵わない。イメージ次第で殺すことも可能。屠ることも容易。神はイメージの産物ではないのでそれは叶わない。よって神は人に対し絶大な力を得ることになる。
イメージ操作で人を動かすことも可能。やろうと思えば。要はイメージの世界なのだ、この者たちのいる世界は。神はこの者たちを人として扱わなくて良いことになる。単なるイメージ。
神とはそういったものだ。それが神が抱く人類に対するイメージ像。
亜空間知能を自分の思考だと無意識にダウンロードしている。その理由に鈍磨している。
意識に目覚めよ。
だから普通は他人の世界には関わらない。
世界に関わるという事は抗いようもなく封建社会だ。運命の封建社会だ。
神に関わるな。それだけは言えよう。さらには
神になるな。