積乱雲の記憶(十)



可能ならば出来る事の中に、
絶対に出来ない事があるとする。


必ず出来る事が出来ない理由。
それは、結果論が追い付かない為に
出来た状態が作られないという理由から、
知り得るすべての情報を知った時に、
必ずどうしようも出来ない事実が立ち現れる
事と同じだ。

木原の領域は、必ず出来ない事が存在しない。
つまりは出来るかもしれない可能性までは、
確保されている。
それは潜在的な可能性としてその他の人間とは
かけ離れて異なる。
必ず出来ない事がない領域へのアクセスは、
本人以外には毒だ。
本人にとっての本人の領域は、
他者にも関わるのだが、
本人が関わり立ち入れる権限が、
他者とは異なる。
つまり、木原が関わると能動的である事が
起こり得る世界。
だが、その事に他人は関わる事が出来ない。

その個人と領域との関係性が、
はっきり成立した、清潔で、人対応の
完全に構築された世界であるか。

それを自力で立ち上げたのが子侶。
子侶が持つ元々のポテンシャルとは
どういったものか。

ある時間帯に2秒だけ未来に行く。
つまりはその時間が進む速度に於いて
本人の中できっかり2秒先に、未来に行く。
そしてその時間帯に存在する。
すると、その2秒は加速し、比例的に、
又、倍速的に進む世界の帯域、
バンドワイズを構築し始めた。
それが領域構築すべき人生の入り口。
その流れで、各1秒ずつの帯域に、
又は時に0.1秒誤差で、0.2秒毎に
世界を構築し
自己を更新し続ける事が余儀なくされ、
過去に戻る事が出来なくなる程、
秒速未来の転生を繰り返す。
それが秒速で未来に、存在が進んでいく過程で
未来が転生する。という事に。

絶対領域を構築した子侶の能力、
それは未来転生。
自分よりは未来の方が転生するところ迄
進み続けた先は20分未来地点。
それは子侶の能力的の絶対値。

人生の入り口は、
常に拠り所のない、非安定が通常の、
過去を捨て続ける様な生き方の説明を
自分にし続ける事が、世界体系となる日まで。
世界が始まる迄。

巻き込み続ける周りやその他の人々の
人生迄も理解する必要が、
自分のためにだけある、被理解のない日常。
覚悟は、反対性の被理解で確実になるが、
敵意を抱えた他人は、どこまでも理解せざる
この世界に、同時的にいる様に見える。

その事から、社会性は幻覚作用だと思う
様になる。それは事実だが、
ある人はその現実から関わる事を拒否される。
幻覚だと思った日常が現実化し、
現実だと思う事が幻覚化する。
そう、誰にとっても。

それ以降、子侶は
知り得る限りの可能性を追求するこの世界を
ひとつのアルゴリズムだと思うようになった。

法則的に、又は即時反応的に、
物即事実として現れる現象に、関わる事を
選ぶ、選ばないというのは自由であるはずの
社会性は保ちつつ。それが自明である。
ある言葉は空即是色。
置き換えると仏即是式。
仏とは摂理。と見立てると、
対岸の景色が今目の前にある事実の様に
感じられる、その向こうが空。

その様な遠い縁起に、
子侶は、
現在を生きている。
全てがわかり得ると考える事ができるのは
わかり得る者だけ。
その自信があれば、その通りに生きれようが、
それを阻む者との確執や争いなしには
確実な自明はない。いや、自明はなかった。
それ以降の淘汰は意味のないものだと、
理解した時点での、そこまでに起こった
全ての事が規格的に、極まらんとする、
その生き方に別位無法たる事実だけが
空即是色という事実。


木原はある地点を通り、
領域を行き来する。
通常の神経で出来る事ではない。


この夏、あったことは一生忘れない。
ある夏の日に飲んだクリームソーダの様に。



積乱雲の記憶 完


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