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上都集 - 零質量編 1

零質量について語りたい。
つまり現世階において存在しないと言われる量子場の位相は意思がそこに向かった時点で
感情の起伏における周波数が影響を与え存在し得るとされる次元の話である。
思考が電子のシナプスとして受容体へ変換される場合、血流において電圧が生じるような活動が起きる。そして他方のシナプスが受容する。
それが体内に限らず、外界存在、客観存在であっても不思議ではない、とするところから話そう。

精査するに、遺伝子や細胞、血液にも意思情報が流れているという事になる。当然、現実界に電流が流れ空気中にも電子フローが存在しているのならば、意思としてのシナプスが流れ出すなり他者に伝わることは自然のなり行きである。それを空気感染とするならば論方は理解できるが、事実は異なると思う。

説明すると、極端な例として
体質として細胞レベルで金属が含まれる体質として電気局体質、電極体質という人間が存在するのではないかと思う。
意思として、コミュニケーションとしてのテレパスを発生させる体質者は、生まれつきのものであるためコントロールが比較的生来容易である。しかしながら意思のテレパスサーバーとしてアセンブリとなりがちで、注目を集め共通認識としての存在が確実になるにつれその傾向を帯びる。そしてデポジットジャムを産み出してしまう。
本来、テレパスとエンパスは異なり、エンパスは病気の症状としての発現であり、テレパスは経験的修業の末、思考の平衡感覚を伴う節制、つまりはテンプレスとしてのコントロールへと至る。
体質コントロールとしての血液phコントロールが感覚として良く解っていると言うことだと考える。元々電圧が強い、アンペアが高い、よって流量ボルトが高いことになり、電子を遠隔でコントロールするなどの能力が発現することもある。同じ現象として、帰結として、他者の思考に多大な影響を与えることもあるが、原因としてアクセス過多によるもので、本人の意思とは別にその思考に、または本人の電子情報に左右された状況が問題である。個人としての注目度、著名度によるものが大きい。

wifiや、至近だとブルートゥース環境が発展した今、全人類において素養、環境的素地としてのゼロ体質増加傾向にあると考えている。
見えない感情や思考に影響を受ける方が多くなっている現代人、現代文化は、過去の歴史を正しく知り、よく感情の変化に気を配り、作用を理解した上で能動的な影響を鑑みて行動するべきだと思っている。その原因は確実に電波が飛んでいる、飛翔している地球の都市環境にあると見ている。一階のルーターから二階層へと電波が飛ぶことで電磁場ができるのはまだいいが、その余った電磁波は空へと、人工衛星へと反射し乱する。キャッシュカードの電磁ICチップですら電波によりエラーが広がることを考えると、ネット電波の強度は想像に難くない。それが総体として人類の思考を画一、統一的に影響していることも納得いく。

ゼロ質量について考えると、
存在しない、を無い、つまりは存在しないと捉える感覚では理解仕切れず、
見えないを、ある、とする許容範囲を拡張する必要を掘り深めると、
感じるイコール在るということで理解する。
その影響元を見てみると、何も見えないのではないかと思うが、基因、遠因を見れば形を成すものであること解る。人類であれば表現として言語を伝える事が可能であるし、モノとしてビジュアルとして現すことも、遺すことも出来る。起因は人間として形を持つ者であり、その者が成す物でもある。
それこそが人類存在の力であり、単一次元存在には不可能な領域が現実界である。

思考、行動と、元になる判断があるとすれば、その更に元の意識の形は脳であり、液体として血液、体質を伴う身体に表される。個体である。顔相を見て怒っているや笑っていると感じるように総て形を伴うと考える。
なので、要因としてのゼロ質量は無いと考える。只、伝達として生じる思考次元にはフローが存在し流れる。
よく言われる霊体という具体的理解の前に、風や電気と同じく想像のもと描かれるイメージ、想像、想像上のものがゼロ質量である。
要は、その影響のことを質量に見立てると、結局影響が現世界に現れた様で感じるしかないし、物理的に生じた時にしか知覚できないはずだ。

形以前のことを考えると、
見えないものを先んじて捉える、
影響を感じることが出来得る深度が体質で違う、ということになる。
表現のしかたが違うように、感じ取れるレベルや位相の主点が違う。超感覚的知覚は、つまりは本人が感じ取れるかどうかに依っていて許容範囲の差でしかなく、共通の視界はないとすれば、科学的な解釈を必要とする。

結論として、自分は電子にはごまんと種類があり、体質によって扱う電子類が異なるのでは、と考える。更に追求すれば
細胞からなる身体が違うように、個人によってその数量だけ人種がある、と言える程の電子特徴言わば特長があると考えるべきである。
と考える。言語や国籍によって選ばれた選択や制限があるが、国土を越えた人種の自覚感覚の相違や近似があり、それをつまりはコード、人種だと言う。
ゼロ質量は存在の単位だと思う。
デュレーション、レンジ、デプスを含めた総合的な大きさの次元統位。

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