積乱雲の記憶(三)
寛解の様態を見る遺伝子。
DNA配列に哲学書の文字のカルシウム。
接合剤にゼラチンシート。
タンパク質の反抗。
新しい分子記体の為に出来る事は、
アミノ酸結合のためのパニック。
ストレスで呼吸を止め、細胞分裂を加速。
ホルモンが中性になるまで、
白血球に女から指令を送る。
細菌と細胞を戦わせる事に欠けて、
新しい病原体を入れる。
WAR REPORTは常に活動形態に還元される。
精神構造体を持たずに
常にあるひとつのカットアウトした
コンセプトで全てを語らない。
そのうち新たな物質元素が体を構成するまで。
あぁ、事の起こりはいつから。
男はカップにコーヒー豆を流し込み、
砂糖を少しかけた。
神塩を交換する。
掃除機を掛ける。
音の波動を感じ取る時、空間処理が変化する事は
体内組成が身体にとって必要な
処理空間に作り替えるからだ。
ジョイントを巻いた。
音を流す。
カタカタ、ィーーーーイン。
誰とも連絡を取らない個人空間的な世界は、
人が寄って集まる都市部に於いても機能する。
世界が個人から見た視点を持つのは、
個人がいるからであり、個人が見るから。
個人がひとりもいなければ、
世界は個人ではない。
自分の交友関係の見る世界を共有して
世界を見ている時、
自分と関係のある者たちは、
体内組成物質か、体外の情報物質。
そこいらのものたちは結局は
イオン化された電子。
タンパク化合物の体内反応が全て。
情報変換を自分用にしている。
音楽のジャンルはアンビエント。
形のトラックアウトは、
平行に伸びた緩やかな波線。
まるで、
パラレルの体操棒に雲が絡む様子。
領域の組成は、
今のところカリウム10%
カーマイン5%
イオン30%
アミノ酸55%
お腹に何か入れよう。
スケートボードでコンビニまで出掛けて、
スターバックスでハムサンドを食べる。
中身が無い事を空っぽと言うが、
概念的には真空であるとか
空虚だとか、寧ろ空気が詰まってる。
何もしない生活が何もしてないかの基準は、
何となくとか、如何にして、とか
接頭語がない事にある。
アートを作る事は、自分の中にアートがある
事なれば何をしてもアート、という
いささかガキじみた思考をアート領域まで
高めたらアートだ。
という考えを俺は持っている。
そうなればアートする事は
何もしていないのと同じになる。
そのくらい意味のない事をしないと、
自分が使った意味に苛まれて面倒臭い。
サンドを食べる。
アイスコーヒーを飲む。
次のインストールは、何しよう。
絵画やグラフィックにカミを下ろして、
口寄せの形式を邂逅として行えば、
その場には意味が出る。
などと考えながら、駅のコンコースを歩いた。
普通がどの辺か、あまり関係ないのだろうが
今時、珍しい考えをしている自分は
外側からは分からないだろう。
昔はもっと目立っていたが。
寧ろ一般人の社会的な考えになったのだろう。
丸くなったとかいう表現どころか
先鋭的になると逆に自分の出自が
正しかった事がよく分かる。
店を後にした時に
女性が自分に会釈した。
遺伝子がシノプティコンの時に、
自分にシノプティコン的視点が宿る。
世界中でこの様な関係性がある時に、
自らの体内組成が現実の世界に事を起こす事
が体外的な関係に還元されるのは
俺が孤独だからか。孤独でないからか。
物質的な関係がそこにはある。
と、気付いた。
続く
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