S13型シルビアの悲劇
S13型のシルビアは、日本車史上、最も美しいデザインのクルマの一台だと私は思っている。
それは35年以上経った今でも変わらない。
スペシャリティカー全盛の時代
登場は1988年のバブル期真っ只中である。
当時は、クーペスタイルのいわゆるスペシャリティカーが人気を博していた。
どちらかと言えば利便性よりもスタイリング重視、生活感の希薄なクルマが売れていたのは、日本経済が豊かで余裕があったこと。そして、日本人のクルマへの憧れがピークに達していたからではないだろうか。
当時のクーペスタイルの中では、高級車のトヨタソアラと、決して高級車でないが、スタイリッシュなホンダプレリュードがダントツの人気車であった。
そのような潮流の中、プレリュードの対抗馬として衝撃的デビューを果たしたのがS13型シルビアなのである。
一気にプレリュード人気を塗り替えてしまったのだ。
シルエットの美しさだけでなく、大胆なイメージカラーが近未来的でとても斬新であった。
外見だけではなく、インテリアデザインも、これまでにない丸みのある美しいもので、エクステリアデザインとセットで完成されていたと思う。
特質すべきは、フロントガラスにデジタル表示のスピードメーターを映す、ヘッドアップディスプレイ機能である。
この機能がついたものS13一世代で終わってしまったが、30年経った21世紀の今頃になって世界中のクルマで採用されている。
右端にシンプルに表示されるそれは、ど真ん中に表示され、少々情報が多い現代のヘッドアップディスプレイよりも、見やすかった印象である。
グレード表記も洒落ていた
S13型シルビアのグレード表記は、例えばGTとかGT-Sのようなものではなく、トランプの絵札J Q Kに由来して、K’s、Q’s、J'sとなっている。
K’sは、一番上のグレードで、ハイパワーなターボエンジン車。
Q’sは、NAの大人しいエンジンで、スタイルを重視したフル装備のグレード。
J’sは、シンプルな廉価版ベーシックグレードである。
中でも一番人気は、最もスペシャリティー色が強く、お手頃なQ'sであったと記憶している。
私がいいなと思ったのも、Q’sのAT車である。
当時の私は、ホンダCR-XのMT車に乗って峠を攻めまくっていたが、シルビアについては、ATでゆったりと六本木や麻布界隈を流したいと思っていた。
シルビアとはそういうクルマだったはずなのだ。
スペシャリティーからドリフト車へ〜AE86の生産終了
バブル期にはラグジェアリーなイメージのS13型シルビアであったが、今ではすっかりドリフト車のイメージが定着してしまった。
ドリ車と言えば、最初にシルビアが思い浮かぶほど、ドリフトマシンの代名詞的なクルマである。
これほど大きなイメージチェンジをしたクルマは他にない。
そうなったきっかけは、1987年のAE86の生産終了の影響が大きかったのではないだろうか。
AE86、すなわちカローラレビンとスプリンタートレノが、AE92型にモデルチェンをする際、トヨタが前輪駆動にしてしまったからだ。
だがそれも無理もないことであった。
レビン/トレノとは、元々カローラ/スプリンターセダンの派生モデルである。
1983年もモデルチェンジ時に、ベースモデルのセダンは新設計のシャーシに伴ってにFFとなったが、スポーツモデルのレビン/トレノについては、FF化には踏み切らなかった。前モデルであるTE71プラットホームを使っている。
AE86とはTE71の着せ替えチェンジのようなものであり、FRからFFへの過渡期のモデルであった。
これまでAE86が走り屋に人気があったのは、駆動方式がFRだったからなのだが、コストや生産ラインなど諸事情もあり、レビン/トレノもベースモデル合わせてFF化されるのは必然であった。
当時のライトウェイトスポーツで、唯一のFR車がAE86だったが、この時をもって、峠の走り屋に適したFRの新車なくなってしまったのだ。
1988年当時に新車で買えるFRのスポーティーカーは、ソアラ、スープラ、RX-7、スカイライン、フェアレディZなどの高級GTカーであり、これらが走り屋のベースマシンに使われる場合、多くは湾岸の最高速アタックかゼロヨンを目的としていた。
ボディーサイズや車両重量、そして価格の面からも峠の走り屋には向いていなかったのだ。
唯一RX-7だけが峠でも使えたのだが、車両価格の高さと、燃費の悪さによるランニングコストが高かったので、これは少数派であったと思う。
実際には、スープラやスカイラインでも峠を攻める者もいたが、AE86や他のFFのライトウェイトスポーツには到底勝てない印象だった。
そこで目がつけられたのが、FRのS13シルビアK’sである。
比較的重量が軽く、サイズもまあまあである。そして価格が安かった。
最初にS13に注目したのは、元レーシングドライバーの土屋圭市氏であったのは有名な話である。
美しく完成されたデザインのS13が峠仕様に改造される様は、最初はとても違和感があったが、徐々にそのような個体が増えていった。
S13型シルビアは、エレガントなデートカーという側面に加えて、走り屋のクルマという二面性を持つようになる。
そして、S14型にモデルチェンジをする頃には、シルビアのイメージは走り屋のクルマという側面だけが残った。
ドリフトブーム全盛はその頃だったと記憶している。
中古の安いS13型が多く出回ってきた頃と重なる。
時が経って、ドリフト車に改造された中古のS13シルビアは、デビュー当時のその流麗でエレガントなイメージはどこにもなかった。
太いマフラーに換えて爆音を響かせ、酷いものになると、フェンダーやバンパーをぶつけたマシンが、解体屋で仕入れた色違いのものをつけていたり、まるで、アメリカスラム街に駐車してあるクルマに思えた。
それが悪いわけではないし、自動車文化としても面白い話である。
だが、日本車史上最も美しいデザインの自動車の行く末としては悲劇である。
最後に、私のS13の思い出としては、周囲の友人3人ほどが乗っていたことである。それほど人気車だったのだ。
一番印象に残ったことは、当時の若者は、走り屋でなくても、誰もがとにかくスピードを出して飛ばす。
ある日の夜、友人の新車のシルビアに乗せられドライブ中、山道で90km/hでスピン!
山側の崖にぶつかり、谷側のガードレールにぶつかり・・・
それこそS13型シルビアの悲劇であった。