100_Bill Evans and Jim Hall 「Undercurrent」
妻が死んで半年が経った。
ただただ慌ただしく家族親類だけの葬式を終えたあと、しばらく自分の半身がもがれたような、筆舌に尽くし難い喪失感に襲われた。こじんまりと部屋にポツンと置いてある遺影。そこに映った彼女の笑顔は清々しいくらい透明で美しい。
結婚して5年目の記念の時に、奄美大島に一緒に旅行した時に、確かマングローブの森の前で撮った写真だった。季節がらも気候がちょうどよく、湿っているが心地よい風が吹いていたのを覚えている。彼女の長い髪がなびいて、島の植物やその土地の風景に溶け込んだような、そんな一瞬をとらえたとても美しい写真で、それは俺のお気に入りだった。まさかそれが遺影の写真になるなどと、その写真を撮った時には俺は夢にも思わなかったろう。
彼女が病に臥したのは、ちょうどその1年後くらいだ。そこから、闘病生活は3年ほどに及んだ。入退院を繰り返すうちに痩せ細っていく彼女の体を見ては、俺は目を背けないようにするのがやっとだった。それはまさしく我が身を削られるがごとくに等しかった。だが、今となってはその味わった苦しみさえもまた懐かしい。
葬式が終わってから日にちが経ち、ふと会社のことが気になった。とても流石にすぐに働ける気も起きず、職場には長い休暇をもらっていた。自分は創業当時からの社員である。上司である社長からは、「無理はしなくていいから、しばらく休んだらいい。今までずっと走り続けてきたんだからな」と言われていた。社長のシワと白髪がやけに目立つような気がした。
俺の憔悴した様子を見てか、「2、3ヶ月とか、もう半年くらい休んでもいいんだぞ。どっか静かなところにでも行ってきたらどうだ」とも言われた。だが、そこまでいったら、結局自分もあちら側の沼にハマって、こちらの世界に帰れなくなるかもしれないと思った。こちらの世界に目印みたいなものを付けておかないと、ちゃんと戻って来れない。昔読んだおとぎ話みたいなものだ。自分がこれまで歩んできた足跡を辿ることで、なんとか俺は妻のいないこの世界でかすかに息をすることができる。
「しばらく、好きな時に働いて、好きな時に休むみたいな形にしてもらえないですか」と言ったら、わかった、と社長は言った。社長は、部屋に飾ってある開業時の俺と社長が写った写真を見て、少し昔を懐かしむ顔をしていた。創業時に俺と社長で2人3脚、無茶しながら、がむしゃらに働いていた時期を少し思い出したりもした。社長とは家族ぐるみの付き合いで、俺も妻も社長の家に遊びに行っていたが、妻が病気になってからここ2、3年はそれもしばらくなかった。
毎朝起きて、遺影に手を合わせて、それまでいろいろな思い出と感情ない混ぜにして、残りの一日を過ごす。毎朝、妻と一緒にしていた散歩は、今は一人だけで歩く。歩くルートはこれまでと変わらない。必ず、川べりを歩いたあと、佇む水鳥をしばしながめる。鴨の家族が住み着いていた。愛くるしい子鴨が生まれて親鳥の後をついてまわっている。ヨタヨタしたその子鴨の姿を俺は一人で眺めていた。妻がいたら、可愛いと言って顔をほころばせていたに違いない。そう思うと急に込み上げてくるものを感じて、隣で同じように子鴨を見ていた親子連れにさとられぬように、俺を顔を伏せて同じ道を帰る。
そんな風に会社に行かない日などは、まるで自分が本当に世捨て人みたいなものだと感じた。そんな日を過ごしていても、なんにも変わるまいと、職場にも完全に復帰することにした。社長は無理をするなよと気遣ったが、毎日、仕事もしていれば、1ヶ月前と同じ程度の仕事はこなせるようになってきた。
今の俺には、やるべきことがあることがむしろ好都合だった。悲しみは悲しみとして、そこに置いておいたまま、人は生きることができるようになっているようだ。人間てのは不思議なものだ。朝起きて、会社に行って働いて、帰ってきて飯を食って寝る。毎日のルーティンというのは偉大だ。文字通り生きる上での規範となった。
ただ、家に帰ってきたとき、一人だけで過ごすこの部屋だけがやけにだだっぴろく感じる。二人で過ごしていた時は、狭いからもう一部屋くらいはやっぱり欲しいね、部屋をどこか見に行こうかと二人で言っていたのに。俺はしがない不動産屋だが、いい物件はいくらでも調達しようと思えばできるので、家を買ってもいいなと思ってもいたが、結局、引っ越しもなにも実現しないまま終わった。
彼女は仕事や読書用の書斎みたいなものが欲しかったのだろう(彼女は病気になる前は絵本などの校正をする仕事をしていた)、言葉には明かさないがそういう気持ちが伝わっていた。二人にとっては少し狭いかもしれなかったが、俺一人にとってみれば、この部屋はどうにも広すぎたし、そして何よりも、今の俺にはどうしても埋められない隙間が多すぎる。
彼女がいつも読書をしながらうとうとしていた体にフィットするクッション、気持ちいいからと言って何度もやっていたフットマッサージ機、二人のお気に入りのジャズのスタンダードナンバーを流していたオーディオ機器。物だけはそのまま部屋に残っているのに、ただそこにいるべき人がいないというだけで、彼女がこの世に存在していないという事実があるだけで、なにかしら感じるものが違う。部屋の中にぽかんと目にも見えず、手で触れることのできない透明な空間というか、スペースが空いているように感じるのだ。
それは俺自身も同様だった。この部屋と同じように、隣にいるべき人がいないというだけで、俺自身は物質的な存在としてこれまでと全く変わっていないはずなのに、俺の体が中身のないマトリョーシカのように、空洞でがらんどうな体になってしまったような気がする。埋められない、満たされない、この感情をどう表現していいかわからない。投函されずに放置された宛先のない封筒のように、一人で飯を食った後は、いつも俺はしばらくポツンと部屋の中に佇んでいた。
別に隙間風が入ってきているわけではないのに、自分の体温が低下してしまったかのか、やけにうら寒いというか身が縮むような心地がする。本当に体温が1度くらい下がっている気がする。やはり俺自身が空っぽになってしまったせいなのか。体温計で測ってそれを本当に確かめたいという気持ちになったが、なんとなくむなしくなってやめた。
彼女は体質的に冷え性でいつも体が冷えないように気を遣っていたし、いつも俺も彼女をなるべく冷やさないように努めた。(それにも関わらず、残念ながら、それが彼女の病気にもつながってしまったが)彼女は日常普通に過ごしていても、突然、まるで冷水の中にいるように体が急激に体が冷え出すことがあった。
「どうにも不便な体なの」彼女は震えながら、俺の手を握る。反対に俺は元から生まれつき代謝がいいためか、いつも体温が高く、すぐに熱くなっては年中よく汗をかいている。そんな時は俺は、冷たい水の中にいる彼女を引き上げるように手を強く握った。
「本当にあなたは温かいわね。あなたと結婚して本当に良かったわ。こんなに私のことを温めてくれるんですもの」彼女は冗談混じりでよくつぶやいていた。よく俺の手の甲を自分の頬に当てて、温かいと言って目を閉じた。それはやがて病床のベッドの上の光景に変わっていた。「手を当てて」と彼女がベッドでつぶやくので、俺が彼女の頬に手を当てると、彼女は決まって「温かい」という。その光景だけは今もこの目に焼き付いて離れない。
だが本当に違う。俺が生まれつき体が温かいのは確かだったが、俺自身も確かに彼女が存在していたことによるぬくもりを感じられていた。無機質な病室の硬くて寒い病床のベッドの上で、俺の手が彼女の冷たい頬を温めていたんじゃない、彼女の方が俺を温めてくれていたのだ。そして、それはこれからも、ずっとそのぬくもりが俺の体の中に残り続けているのだろう。今でも、そう信じていられるだけでいい。ひとすじの温かい涙が、俺の頬をつたった。