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058_Andy Mckee「Art of Motion」

(前回からの続き)

お父さんへ

お体は大丈夫ですか。年末に家に帰ってきた時にとてもしんどそうだったので、体の丈夫なお父さんでもさすがにもうお酒を飲みすぎて体がもたない所まできているのだろうか、と思って必配しました。ただ正月あたりはそちらにしては、あたたかい正月でおだやかな気持ちでお父さんと一緒に温泉に入ったり墓参りに行けたりしてよかったです。お父さんは歩くのもすごくゆったりになってしまったし、僕の手を引きながらでしか歩けないので、もうこうやって、お父さんと一緒に歩くのもあと少ししかできないのだろうか、と思ったりもしました。

さて、お父さんにこれまで結婚したいと伝えているところですが、返ってきた答えがとても悲しい内容であったので、少しでもわかってもらいたくてこうやって筆を取り手紙をしたためました。 僕が率直にお父さん、お母さんに対して思っていることを書きつらねていきたいと思います。

僕はお父さんと子供のころから、まともにきちんと話した覚えがありせん。自分がおかしいな、とか何でかなと思ったことでも、いつのまにかお 父さんに対して話してもムダなのだろうと思い込んでしまって、お父さんときちんと向き合って話すということをやめてしまいました。いつもお酒ばかり飲んで、よくわからない独り言を言ったり、何度も同じ言葉をくり返すお父さんの考えていることはちっともわかりませんでした。
だから僕も自分なりに悩んだり、どうしようかと迷ったりすることがあっても、そういうものなのだろうということで、お父さんやお母んに相談することはありませんでした。他の家の子供だったら、学校であったことを一緒に夕飯を食べながら、お父さんお母さんとしゃべったりするのでしょう。自分の進路や、悩みがあったら打ち明けたりするのでしょう。でも何を考えているかわからないお父さんと一緒にいることは僕は苦しくて仕方なかった。だから僕は高校を出たら、地元を離れてお父さんとは別々に暮らそうと思ったのです。

だけど、大学をおかげさまで出ることができて、自分で決めて仕事を選んで、仕事をし始めるととても大変なことがわかりました。仕事のことで怒られて、まくいかずやめてしまおうかと思うことが何度もありました。自分のことで精一杯でとても他のことが考えられないのです。するとふと気が付いて、お父さんの気持ちがほんのちょっとだけでもわかったように感じました。そうか、お父さんも仕事が大変だったのだろうと思って。
もっともっと子供のころからお父さんと話しておけば、お父さんの気持ちを聞いたり自分の話をすることができたら、少しはお父さんの苦労というものもわかったかもしれません。そしてお父さんに対して、僕が思っていること、考えていることをわかってもらえたかもしれません。まわり道だったかもしれませんが、それを今からでもできるようにしたいと思うんです。

お父さんが彼女との付き合いを反対する気持ちはよくわかります。人の子の親という立場であるのならばそうすることが当り前であるとも思います。それを思ったうえでも、僕は彼女との付き合いを許してもらうことをお願いするしかありません。それが僕の嘘偽りのない本当の気持ちだからです。

僕はお父さんともお母さんともきちんと自分の気持ちは話すことができていなかったから、人付き合いや友達付き合いも正直すごく苦労しました。自分の本当の気持ち、何を考えていて、何が好きなのか何が嫌いなのか、人に対してうわべだけで本音でしゃべることができなかったから、多の人が僕から去っていきました。 本当の気持ちを伝えない限り、人と向き合うことはできないのです。 お父さんは今まで本当の気持ちに伝えてくれていたのでしょうか?

僕はお父さんと向き合うのが嫌で嘘ばかりついてきました。 本当の気持ちもたくさん偽ってきました。でもこればかりはウソのつきようがありません。お父さんは最初彼女を連れて行ってあいさつをして話をした最後に「お付きあいしてよいよ」と言ってくれました。とても嬉しかったし、彼女もそれが一番の不安だったからお父さんの口から、お許しが聞けたことで心底安心したのだと思います。

あの言葉はウソだったのですか?なぜそんなことを言ったのですか? お父さんを信じて、嘘偽りのない自分の気持ちを伝えたいと思っていた自分と彼女は本当にショックを受けました。こうなるとお父さんの言うことをこれからも信じることはできません。それでも僕は何度でも自分のウソ のない本当の気持ちを伝えていくことしかできないと思います。

最後になりましたが、酒は飲みすぎずどうかお体を自愛ください。

前述のように、幼い頃から、父は何度も何度も同じことを確認してくるので、それが自分には苦痛で、いつの間にか適当な答えを返すことしかしなかった。大丈夫じゃなくても、大丈夫だと言うようになってた。どうせ、父には伝わらない、そんな諦念がずっとあったのだ。だが、手紙には自分の率直で正直な気持ちが確かに書き連ねた。どうやったら父とコミュニケーションを取れるか、どうやったら自分の気持ちが伝わるのか、どこまでもそこに心を恃んでいた。

手紙を出してからしばらくして、母親から父親と一緒に手紙を読んだという知らせがきた。母親も感じることが多かったのか、電話口では語る言葉は少なかった。改めて彼女を連れて、実家の父の元へ結婚の許しを請うため直談判しに行った。そこにはいつもと同じ通りの父親がいたが、どこか物哀しげな佇まいだった。時間とともに少しづつ朽ち果てていっている古い人形のようだった。

「俺の気持ちは手紙に書いた通りだけど、しっかり読んでくれたかと思う。だから彼女と結婚させてほしい」
「おお、いいぞ」

特に考える様子といったのもなく、返ってきた答えは存外に拍子抜けするようなものだった。あれだけ、こだわって反対してきたというのに、心変わりするときは、父は大体いつもこんな感じだった。父の中で、スイッチがカチッとオフになったにすぎない。それ以降は自分と彼女に対しても、ああだこうだ言うことはなくなった。そして、僕は晴れて彼女と結婚した。(続く)




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