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114_downy「第4作品集『無題』」

(前回の続き)

あの夜、どこか見知らぬ駅で引換券らしきものを渡されたあと、俺の手は探し物を見つけることができるようになった。しかし自分でもいろいろと試した結果、結局のところ、この手で探せる範囲のものというのはどうやら限られているようだ。

具体的に言うと、これまで自分がそれを見聞きして頭の中でイメージできるものだったら、探し出すことができる。例えば、職場で自分の傘が見当たらなかった時には、その傘をイメージして神経を集中させれば、なんとなくその置き場所がわかる、というような具合に。

だが、これまでまったく自分が手にしたことのないものや、イメージできないものは探すことができない。他人の持ち物、例えば財布や携帯などは、まずそもそも自分の中でイメージができないので、文字通りピンとこないのか、俺の手は反応してくれない。

探せる範囲は、大体ちょうどWifiやBluetoothの電波が入るくらい。なんとなく調子がいい時は、隣の部屋くらいまで探せるかもしれないのだが、これまできちんと試したことはない。マンションの隣の部屋の住民の顔もよく知らないし、自分がイメージできるものなどそこにはないからだ。

だから、何かの金儲けだとかに悪用することなどもできないし、本当にシンプルに自分の部屋の中の失くし物を探すための、非常に限定的な特技のように思える。部屋の中でよく探し物をする人にとっては、とても好都合なものなのかもしれない。(大学の時に付き合っていた彼女などはその典型で、いつもいつも部屋の中で自分の財布やら携帯を探していたので、彼女にはピッタリだろう)

だけど、俺はだいたい財布も鍵もタバコも、きちんと部屋の中で大体の置き場所を決めているので、正直なところ、あまり活用する機会がなかった。それが自分にとって残念なことなのか、そうじゃないのかがよくわからなかった。自分が幼い頃、四国の山間の古い家に住まわされていた時は、祖母によく自分の失くしものを探してもらっていたのだが、おそらくこれと同じような力だったのかもしれない。

しかし、なぜ、こんな力が今の俺に備わったのか、理由がよくわからない。(これに理由があればの話だが)だが世の中というものは大体が、突然なんの理由や前触れもなく、自分の目の前で理不尽にその姿を変えてしまうものだ。それは自分が子供の頃から実感していたことだ。

珍しく会社の夏休みが長く取れた俺は、四国行きの電車に揺られている。どうも最近親父の体の具合が悪いらしく、ずっと長く入院しているので、一度は見舞いに行かなければならないと思っていた。本当に久しぶりに会うことになるだろうから、親父となにを話していいものか皆目見当がつかない。母からは「そんなこと、あなたが気にしなくても別にいいのに」とそっけなく言われた。一度は愛し合って夫婦になったというのに、なんとも冷めたものだ。

両親は俺が小学校の途中で離婚した。四国の深い山間にある父の実家に東京から嫁いできた母は心底、田舎のしがらみというものに疲れ果てていたのだろう。東京に戻る母に、俺は付いて行くことに決めていた。この古い山の中とは違う、東京というまったく新しい環境に俺は好奇心を抑えきれずにいた。

俺自身、幼いながらにこの古くてカビ臭い家と土地なんかに、一切なんの未練もなかった。古い掟のように、目に見えない不自由なことが多すぎる。子供の頃から、よくわからないものに縛りつけられるのが嫌いだったのだ。ただ一つ、いとこで一つ年下の幼馴染だった幸子の存在だけが自分の中で気がかりではあった。俺が母と一緒に東京に引っ越す日が決まっても、なんとなく心の中でずっと引っかかっている。

東京に行く1週間前のある日、俺は家の裏庭で幸子と遊びながら、こんな風にこの場所で幸子と過ごすのもこれが最後になるのか、と子供ながらに感慨深い気持ちでなっていた。それを察してか、幸子はいつもの快活な様子と違って、言葉少なげだった。不意に幸子が俺の手をとって、見たことのない野草の葉っぱを手のひらに乗せる。

「翔ちゃん、東京に行って、幸子のことも忘れて、なんもかんも変わってしまわんように、おまじないするよって」
「まじない?」
「そう、手にかけるおまじない。失くし物をしても、すぐに見つけられるまじないやよ、この葉っぱと引換になるんやって」
「それって、うちのばあちゃんもやってるやつかな」
「たぶん、そう」

幸子は俺にその葉っぱを握らせたあと、俺の手をまた自分の両手で抱えて、何かを念じるようにつぶやいていた。おそらく単なるまねごとでしかないのだろうが、子供心にそれが何か意味のあることなのかどうか俺にはわからなかった。失くし物を探せるようになるよりは、俺は自分の身長を大きくして欲しいと思っていた。

俺は小学生の時は背が小さい方だった。一つ年下の幸子と背丈がちょうど一緒くらいで、周りからよく比べられていたので、それが子供ながらにコンプレックスだった。東京に行けば、もっと背丈が大きくなるに違いないとなぜか子供心に思っていた。

俺の手を抱えて、目を閉じて一心に祈る幸子を愛しげに見つめながら、俺は祖母の言葉を思い出していた。失くし物を見つけてくれた祖母はよくこう言っていた。
「ええか、失くしもんでも探せるものゆうもんは、変わってないもんだけやかんな」
「変わってないもん?」
「そうや、失くしもんが変わってなければええ。ただ失くしもんが変わってなくとも、自分そのものが変わっとるちゅう場合もある。そん時は、どうにも探し出せん」
「どういうことや?ようわからん」
「お前が大人になったら、わかる」
変わってないものは探し出せる。ただし、自分自身が変わってしまっていると、それは探し出せない。大人になったら、わかる。

幸子は俺が東京に行くちょうど前日に、行方が知れなくなった。たぶん、山の中の大きい廃貯水池の中に落ちたのだろう、と周りの大人に言っていたが、俺には信じられなかった。その池にはよく二人で行ったこともあるけれど、あんまり気持ちのいい場所ではない。子供ながらに幸子がいなくなったのはとてもショックだったし、なぜ幸子一人でそんな場所に出向いて行ったのだろうか、と俺は訝しんだ。

祖母は「ああ、あの子は可哀想なことや、お山の中に連れてかれたんやろう」とつぶやくだけだった。俺は祖母に幸子を探し出して欲しかったが、祖母の様子を見るにつけ、たぶん心の中でもうそれは既にダメなことなんだろうなと思い、口に出せずにいた。そういう目にも見えず言葉に言い表せない理不尽さが、この土地にはまだ根強く残っている。幸子はその犠牲になった気がした。そして、俺は心に何かが深く突き刺さったまま、母とともに東京に移ることになった。

入院した父を久しぶりに見舞った俺は、途方にくれた気持ちで病院を出ることになった。何しろ、本当に父と何を喋っていいものかわからない。父は窓からずっと外を眺めているだけで、目も合わせない。父との少ない会話の中であの家と亡くなった祖母の話がポツリポツリと出た。懐かしさついでに、ふとこんな言葉が自分の口をついて出た。
「あの家に行ってもええか?」
「ええけど、行ってもなんもねえぞ」
「それでもええ」
病院を出た俺はその足であの古い家に向かうことにした。狭隘な山間を走るバスに揺られながら、俺はずっと自分の手を見つめている。俺は何を探しているのだろうか。もしかしたら、今のこの俺の手だったら、探し出せると思っているのか。確かに俺の失くしものは、ずっとあの場所に失くしたままなのかもしれない。ただ俺は失くしものを探し出すのに、それと引き換えとなるものがなかった。

10何年振りに訪れた古い木造の家は更に老朽化が進んでいて、いくつか土壁が崩れていたり、木が腐っているところも散見された。家主のいない家はやけに暗く不気味で、巨大な陰獣のように今にもひとりでにもぞもぞと動き出しそうだ。裏庭に出てみる。祖母がいつも静かに裏庭を臨む縁側で日向ぼっこをしていて、俺と幸子が遊んでいた場所。今は誰もおらず、あたりには夕暮れにひぐらしの声だけが響いている。

俺は、自分の手に神経を集中させた。失くしものを探し出したい、この家で俺がずっと失くしていたものを。そのために、ここまできた。ただ今はこの場所には、祖母も幸子もいない。決して死んだ人が帰ってくるわけではない。ならば、俺はここで何を探しにきた?しかもどうやら変わらないものしか、探し出せないのだという。俺の手よ、何か、何か、ないのか。一心にただ集中して念じ続ける。

すると、手がジンジンと疼き出した。いつものように、探し物を見つけた時の緑色のオーラのようなものが、俺の手から溢れ出していた。あるのか、何か。俺は更に神経を集中させる。金属探知機のように手をかざして、注意深く手の感覚に従って、裏庭をゆっくりと探るように歩いていく。すると、どうやら大きな庭の木に反応しているようだった。

木の表面を手でゆっくり触っていくと、今の自分の目線よりだいぶ下の、胸から下くらいの場所に、横一線に複数の傷が付いていることに気づいた。それは、幸子とお互いの成長の都度、背比べのためにこの木に付けた傷だった。おそらくこの傷はいついつの時の俺の背、そしてこの傷はあの時の幸子の背。ありありとその時の幸子との思い出が鮮明に蘇ってきた。そして、その背比べの傷は途中までで終わっている。それは、幸子がいなくなった時の背丈の傷だ。

それ以外に、ここには変わらないものというものは存在しなかった。その木の傷よりも遥かに高くなった背丈の俺が、ただここで立っているだけ。それに気付いた俺は、幸子の付けた背丈の傷をなぞりながら、ひとりで声もなく泣いた。



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