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130_ゲスの極み乙女「私以外私じゃないの」

仕事を終えて、家に帰る電車に揺られていると、姉からLINEでメッセージがきていたことに今更気づいた。珍しい、独身の私は茨城の実家にもあまり帰ってないので、家庭を持つ姉とのやりとりなんて、ここ最近滅法なかった。面倒なのでとりあえず、家に帰ってから電話することにした。姉のあのなんとなく能天気な声が、少し今の自分の気分には合わないけど。

「京子、ごめん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何〜?改まって」
「来月の23日なんだけど、梨花が東京のライブに行きたいっていうの。申し訳ないけど、一緒に連れて行ってくれない?」
「ライブ?どんなの?」
「ハリウッド・シティ・クラブっていうの?私もあんまり知らなんだけど、ちょっと前に結構流行ってたんだけど」

なんとなくそのバンドの名前は聞いたことがある。2〜3年前に、確か中高生にすごく人気が出たバンドのような気がする。でも、なんの理由かは忘れたけど、ここ最近あんまり名前が聞かなかった気がする。もう30代も半ばを過ぎると、特に興味もない流行りのバンドの名前なんて、いつまでも覚えておける訳が無い。でも、中学1年生の梨花くらいの娘の年齢だったら、確かに夢中になってそうな気がする。

「別にいいけど」
「ごめん、ありがとう、梨花と合わせてあんたの分もチケット、私の方で買っておくから」
「梨花ちゃんがそのバンドのこと好きなの?」
「そう。前、ライブを見に行こうとした時に、確か中止になっちゃったんだよね。だから、ホント余計に楽しみにしてるみたいで。場所が渋谷とかだから、中学生の梨花だけじゃちょっと心許ないかなって。ちょうどその日は、私も用事が入っているから、あんたしか頼める人がいないの」

「あんたしか頼める人がいない」ふと、姉のなんでもない言葉に、少し胸が心が引っかかる。体の一部のしこりとなっている部分を、医者から触診されたような気分だった。「君にしか頼める人がいないんだ」その言葉を、ここ最近まで私は心から欲していた。上司の渡辺さんから私に向けられる言葉。そこの込められている言外の意味も含めて。

「ね、じゃあ、お願い」
「あ、ああ、わかった、うん。来月ね」

私は姉と電話で話しながら、ボケーっとして少しばかり意識が遠のいていた。意識が渡辺さんのことに向けられていたからだ。こうしたなんでもないタイミングでも、私の意識は簡単に彼への方へ持ってかれてしまう。

渡辺さんからは、ここ最近職場でも特に声をかけられることもなければ、携帯に連絡がくる事もない。最後に送られてきたメッセージが自分の中でずっと重しとしてのしかかっている。

「まずい事になった。もう二人では会えない」彼からのそのメッセージが最後だった。わかっている、奥さんに私との関係がバレそうにでもなったんだろう。確かに、一番会っていた時は月2、3回くらいになってしまって、すっかり気分が盛り上がっていたかもしれないけど、でもいつまでも隠し通せることわけない。私は冷水を浴びせられた気分だった。もちろん彼もなんだろうけど。すっかりのぼせ上がっていたが、彼は歴とした妻子持ちで、去年の梨花のように中学生受験を控えた女の子がいる。

東京で夢中になって仕事をやってきた私も、もう34歳。私の周りはすっかり結婚して、子供を産んでいる年齢の子ばかり。子供を産むためには女性には年齢制限という超えられないバーが控えている。わかっている、いつまでも、こんなことしている場合じゃないけど。でも彼からの連絡が途切れ、文字通り私にはぽっかりと大きな穴が空いてしまったのだ。

ライブ当日。常磐線で上野まで電車で来た姪っ子の梨花を迎えた。
「京子ちゃん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
「梨花ちゃん、久しぶりねえ、もう中学生なのね。ホント子供は成長が早いわね」私は姪っ子に会うたびに大体同じことを言っている事に気がつく。梨花は子どもなりに気を使っているのか、独身のわたしのことはおばさんとは言わない。

「うん、今日はホント楽しみで」
「私も全然、知らないけど、人気なの?そのバンド」
「そうなの、1年ぶりのライブだから、もうすごく楽しみ!」
「ライブもいいけど、もう中学生なんだし、ちゃんと勉強もしないとダメよ」
「うん、私も京子ちゃんみたいにしっかり勉強して大学行くから」
「そうそう。今から将来が楽しみにね」

そんなセリフをつい口に出してしまう自分に少し吹き出しそうになった。大体、大人になると子供に言うセリフなど決まってくるものだ。「今のうちにちゃんと勉強しときなさい」とか、「若いうちはなんでも好きなことをやりなさい」とか、会うたびにそんなセリフを繰り返してた自営業の叔父の顔が目に浮かぶ。何にも中身のないことを、壊れたラジオみたいに垂れ流す大人になってしまったんだな、と自分でも痛感した。

呑気で鷹揚だった姉も、今ではすっかり一人娘の梨花の教育にかかりっきりだ。梨花の私立の中学受験も無事終えて、このライブもそのご褒美ということかもしれない。梨花は私のように、しっかり勉強するという。

叔父の言うことを聞いたわけではもちろんないが、私は本当にすごく勉強したのだ。東京のそこそこいい女子大を出て、メガバンクと呼ばれる大手銀行に勤めてもう10年以上の時間が経とうとしている。ただ勉強したからといって、立派な大人になれるとは限らなかった。今の私みたいに、上司と道ならぬ恋に身をやつして、結局は自分を消耗させるような事にもなることもあるから。

だから、もうちょっと自分の好きなやりたいことに挑戦していればよかったかもしれない。例えば、今から見るそのバンドみたいに、夢を追いかけてもよかったのに。ホントはイギリスに留学してもっと語学を勉強したかったんだけど、家にそこまでお金を出す余裕がなかったから、結局は手堅い銀行の女性総合職におさまった。梨花は私のように勉強して大学を出たいと言っているが、私は今目の前にいる無限の可能性を秘めた少女に、実のところ自分が道を指し示す立場にないということをひしひしと感じた。

渋谷のライブハウスに人が集まる。確かに梨花と同じくらいかそれより上くらいの年代層の子ばっかり。1年ぶりだというこのバンドのライブを皆、心底楽しみにしていたのだろう、輝くような笑顔を見せる子や携帯を見てそわそわした表情の子もいる。皆、開演の時間を待っている。

ボーカル以下メンバーが出てきて、声援が飛ぶ。ボーカルが意味ありげに深々とお辞儀をしてか、、演奏が始まった。盛り上がる曲が2、3曲続いた。梨花の表情もまるっきり白馬の王子様を見る目で、ボーカルを見つめている。そういえば確か、あの一番目立つ顔のボーカルが以前は確か金髪だったかと思ったけど、いつの間にか黒髪になっている。

「今日は本当に、ハリウッド・シティ・クラブ、この1年ぶりのライブに来ていただき、ありがとうござます!」
曲を終えたボーカルが重たげに口を開く。待ってましたとばかりに、観客であるファンから「ひさしー」だとか「待ってたよー」という歓声が飛んだ。ライブなんて久しぶりだから、こんな場所に突っ立っている自分の存在に違和感を感じる。自分のためだけにワラワラと集まってくれるファンという人種を、このバンドのボーカルはどういう目線でステージから眺めているんだろう。

「本当に僕らにとって、長い長い時間でした。でも、こうやってみんなの前に再び立つことだけを目指して、ずっと耐えてきました」
なんとなく、記憶が蘇ってくる。そういえば、このバンドが最近まで活動を休止していたのはある理由があったはずだ。あれは、なんだったんだろう、それは自分にもごく近しいことであったような。

「ボーカルでバンドのリーダーである僕が、本当に自分勝手なことをして、バンドのメンバーやファンのみんなに迷惑をかけてしまったこと、今、この場で謝ります!本当にごめんさない、そして待っていてくれて、ありがとう!」

そうだ、思い出した。確か、一昨年の年末にこの妻子持ちのボーカルが、どこぞの若手女優と不倫したんだ。あの時は週刊誌にすっぱ抜かれて、世間からも相当叩かれて、1年間くらいバンドも活動休止を強いられていたんだ。ああ、なんとまあ、同類だったのだ。私はスーッと薄寒い気持ちに襲われる。

なんてことだろう。こんなに明るい未来が待っているこの子たちの前に立つ大人が、私を含めて、こんなのばっかりしかいないなんて。まだあどけなさが残る梨花はキラキラと輝いた目を私とこのボーカルに向けるけど、二人ともその眼差しを受ける人間に値しない。もう本当に、どこかにまともな大人はいないのかしら。でも、まともな大人などいない、それがこの世の中なのだ、ということなのかのしれない。

私はバンドの曲など全く頭の中に入ってこなかったが、対照的に梨花は本当に楽しそうな表情を浮かべていた。



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