【Rー18】ヒッチハイカー:第16話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑭『変身(メタモルフォーゼ)⁉ 進化する怪物ヒッチハイカー!!』
吹雪の吹き荒れる山中に伸田の撃ったベレッタの銃声が響いた。
解き放たれた『式神弾』がヒッチハイカーに襲いかかる!
伸田が、今度こそヒッチハイカーに致命傷を与えられると思った瞬間…
「バキバキバキッ! メキメキメキーッ!」
ヒッチハイカーの身体が空に向かってロケットが打ち上げられるような勢いで上昇したのだ!
いったい、何が起こったというのか…?
「カキーンッ!」
硬いもの同士が高速でぶつかり合う音がしたのと同時に、ヒッチハイカーの下半身を覆っていた黒い霧の中から空に向けて勢いよく伸びていくモノが火花を散らした。そいつに伸田の放った『式神弾』が弾かれてしまったというのだろうか?
「な、何だ? あれは…?」
現実に眼前で生じた出来事を自分の目で見ながらも、それは伸田にの脳にとっては到底受け入れられる事態では無かった。
その反応は、伸田と反対方向の地点からヒッチハイカーを見つめていた安田にとっても同様だった。
「あ、あれは…ヤツの脚なのか?」
「そ、そんな馬鹿な… こんな事、あり得ない…」
ヒッチハイカーの前後からそれぞれ見つめていた二人の若者は、同じ様につぶやいた口をポカンと開いたまましばらく閉じる事が出来なかった。
二人の眼前で生じている事態… それはヒッチハイカーの身体に生じた驚愕すべき変化だったのである。
それまでヒッチハイカーの黒い霧に覆われていた下半身が、いつのまにか霧の中で変化していたのだった。そして、それは今も伸田達の眼前で変化を続けていた。
黒い霧の中で変化を遂げたヒッチハイカーの下半身は、さらに成長していくかの様に伸び続けてヒッチハイカーの身体を空に向かって上昇させていく…
伸田と安田は二人とも、上昇していくヒッチハイカーの上半身を目で追って見上げていくため、首も徐々に上へと傾いていった。
上がり続けていたヒッチハイカーの上半身は、雪面から5~6mほどの高さに達すると上昇を止めた。建物でいうと、それはちょうど人間が3階の高さの床に立った位の高さだろうか…
ヒッチハイカーの上半身をその高さまで持ち上げ支えている二本の柱は、吹雪の中で揺れはしても倒れる事も無く、しっかりと雪面にそそり立っていた。その足元は、雪面だけでなく地面にまで突き刺さって身体を支えているようだった。
ヒッチハイカーの履いていたチノパンや身に着けていた下着は、当然の事ながら変化した脚によりズタズタに引き裂かれ、千切れたズボンの布片は吹雪で彼方へと飛び去っていた。
雪面からそびえ立つ二本の柱…それはもはや生身の人間の脚ではあり得ない、想像も出来なかった代物と化していた…
それは長さや太さだけを言っているのではない。濡れているかの様な二本の柱の表面は満月の光を反射して、てらてらと黒光りしていた。
そして、柔らかさのまったく感じられない硬質な表面からは外敵から身を守るためなのだろうか、いたる所に棘状の鋭い突起が生え、数か所に曲げ伸ばしするための関節に相当する節を持っている様だった。
それは例えるなら、昆虫や甲殻類などの節足動物における『クチクラ』と呼ばれる硬い表皮に覆われた外骨格で形成された脚…とでも呼ぶべき代物と言えるだろうか?
そして、ヒッチハイカーの股間に当たる部分から二本の脚に向かって、もう人間の陰毛とは呼べないほどの広範囲に渡って、黒々とした針金の様に太く硬い剛毛がびっしりと生えていた。
「色は黒いけど、まるでキチン (chitin) で覆われたカニの脚みたいだ… あれは外骨格か…? あの脚が『式神弾』を弾き返したのか?」
そうなのだ。伸田が感想を漏らしたように聳え立つヒッチハイカーの黒光りする二本の脚は、まるで電柱の様な長さと太さを持った巨大なカニの脚そのものだったのだ。
『式神弾』とは言っても、所詮は拳銃用の9mmパラベラム弾である。あの巨大さに見合った硬度を持った脚ならば、鉛製の弾頭では貫通するどころかペチャンコにへしゃげて、飛び散った火花と共にどこかへ弾き飛ばされてしまったのだろう。
「ミシッ! ビシッ! ビシビシビシッ!」
甲高い音を上げながら、ヒッチハイカーの電柱の様に伸びて巨大化した二本の脚の股関部分から足先にまで、縦に数本の亀裂が一直線に走っていく。その亀裂の隙間からは、人間の血ではない緑色をした体液が飛び散っていた。
「メキメキメキッ! バキバキバキーッ!」
そして驚いた事に、左右二本の脚それぞれに縦に走った数本の亀裂は、今度は凄まじい破裂音を発したかと思うと、緑色の体液をまき散らしながら引き千切れる様にして割れ始め、数本の細い柱へと分裂していった。
完全に分裂した二本の脚は、左右ともそれぞれ4本ずつ、両方合わせて計8本に枝分かれした。そして、同時に広い範囲にわたって硬い剛毛に覆われていたヒッチハイカーの骨盤部分も、見る見るうちに巨大化しながら変形していった…
それはまるで、高速度撮影で撮られたおぞましい巨大な生物の変身過程をスローで見ているようだったが、やがてヒッチハイカーの人間の上半身から繋がる骨盤部は、巨大な蜘蛛の腹部のような形へと変わっていった。
そして長さ数mもあるカニの様な外骨格を持つ8本の脚を広げて立ったその姿は…悪夢の中にだけ姿を現す化け物としか言いようのない存在だった。
そいつは人間の上半身を持ちながら、下半身は巨大な毛むくじゃらの巨大な蜘蛛の胴体に黒光りした8本のカニの脚を生やした、まさしく正真正銘のおぞましい怪物だった。
ギリシア神話に登場するケンタウロスという半人半獣の種族は、馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような姿をしているが、ヒッチハイカーは腰から上の上半身は人間のままで、下半身が巨大な蜘蛛とカニを合わせた様な怪物に変化してしまったのである。
この変身はヒッチハイカーにとっては、新たな形態に進化したという事なのだろうか…?
今までは2m余りもある巨漢とは言っても、所詮はヒッチハイカーも人間形態だったのだ。
それが、この様な見るからにおぞましい、地球上における自然の生物の進化のサイクルを全く無視した悪夢としか言いようのない怪物と化してしまった敵を相手に、果たして人間は戦えるものなのだろうか…?
ヒッチハイカーの身に起こった変身の一部始終を見ていた伸田と安田巡査の二人は、身の毛もよだつ恐怖のあまり悲鳴を上げそうになりながらも身動き出来ずにいた。彼らは呆然自失のあまり、銃を撃つ事も完全に忘れていたのだ。
「うっ、うわあああーっ!」
「タタタタタタタッ!」
安田が目の前で起こった恐怖に耐え切れず、悲鳴を上げながら怪物化したヒッチハイカーに対してSMG(サブマシンガン)の斉射を浴びせた。
「くっそうっ! 倒れろ! もういい加減に倒れてくれよおっ! 」
「カンッ! カカカカッ! カンカンカンッ!」
SMGの斉射でも、やはり結果はベレッタと同じ事だった。
ヒッチハイカーの硬質な8本の外骨格の脚は、SMGが吐き出す9㎜パラベラム弾の真鍮合金で被覆されたフルメタルジャケットの弾頭をことごとく弾き返してしまった。弾かれた跳弾が雪面に幾つもの穴を開けていく。
「安田さん! ダメです! ヤツは人間の部分にもSMGは通用しないんだ!」
ここまでの戦いにおいて、安田はヒッチハイカーと実際には交戦していなかったのだ。伸田の叫び声を聞き、安田は慌ててSMGの斉射を中止した。
「そんな… 俺達SITの装備じゃ歯が立たないっていうのか…? こ、こんな化け物…自衛隊の装備でもなきゃ到底無理なんだ…」
安田は自分達の相手にしているのが、計り知れない怪物であったのに今さらながら思い知らされていた。この時、『絶望』の二文字が安田の頭の大半を占拠し始めていた。
「こうなったら…ヤツを倒すには人間部分に『式神弾』をぶち込むしか無い…」
伸田は数m高い位置に存在する人間形態のままの腹部中央部分にベレッタの照準を付けると、間髪置かずに即座に引き金を絞った。
「パ-ンッ!」
「カンッ!」
目標に向けて狙い過たず飛んで行ったはずの伸田の撃った『式神弾』は、無情にもヒッチハイカーの素早く振り上げた左前方の外骨格に覆われた脚一本で、安田のSMGと同じく簡単に弾かれてしまった。
「駄目か… やはり『式神弾』でさえ、ヤツの硬い外骨格の脚には通用しない…」
伸田が呻くようにつぶやいた。
「ふふふふ… 残念だが、お前の自慢の銃も俺の新しい脚には効かぬようだな。」
そう伸田を嘲笑うように言い放ったヒッチハイカーは、伸田と安田の両名に対してすでに興味を失くしたかのように8本の脚を器用に動かして身体の向きを変え、ゆっくりと移動を始めた。
その多脚の動きはゆっくりとだったが滑らかで、まるで巨大なタランチュラの歩行の様だった。
ヒッチハイカーは、圧倒的な力の差に呆然として見つめるだけの伸田に対して攻撃を加えるでもなく、彼の横をゆっくりと通り過ぎて行く。
「ヤツが真っ直ぐ向かっている先は… ダメだ、鳳さんとシズちゃんがいる!
ヤツの狙いが鳳さんの筈がない! あのバケモノ、シズちゃんを狙ってやがるんだ! そんな事させてたまるか!」
伸田は歩み続けるヒッチハイカーを小走りに追いかけ、今度は左斜め後方の位置から怪物の左脇腹を狙ってベレッタの引き金を引いた。
「パ-ンッ!」
「カキーンッ!」
まただ… 今度は左後方の脚の一振りで『式神弾』は弾き飛ばされてしまった。
「ど、どういう事だ…? 今度はヤツの後ろから撃ったのに…」
そうつぶやいて見上げた伸田の目に映ったモノは…
「何だ、アレは…? 触角? あんなモノ、いつヤツの頭に生えたんだ?」
伸田が見たモノとは、人間の形態を保ったままのヒッチハイカーの頭部から生えている、太さが2㎝ほどで長さが60㎝あまりの二本の肌色をした柔らかい触角の様な代物だった。
そして、その触角の先端は直径3㎝ほどの球形をしていた。見た目の印象としてはカタツムリの触角の様である。その二本の触角のうち左側の一本が、薄気味悪くうねうねと蠢きながら左後方にいる伸田の方に向けられているのだった。まるで伸田の動向を探っているかのように…
その時だった!
「ギュイィーンッ! ギャリリリリィーッ!」
聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。
「伸田君、下がれっ!」
そう叫びながらエンジンのかかったチェーンソーを振りかぶった安田巡査が、ヒッチハイカーを追いかけて走り寄って行く。先ほどヒッチハイカーの振るった山刀に弾き飛ばされたチェーンソーを拾って、無謀にも安田は再び挑もうとしているのだった。
「SMGの銃弾がダメでも、コイツならどうだ!」
ヒッチハイカーに追いついた安田は振りかぶっていたチェーンソーを、雪面に降りて来た怪物の右後部の脚の一本に向けて叩きつけるように振り下ろした。
「駄目だ、安田さん! ヤツには後ろも見えてるんだ! 危ないっ!」
自身の顔を振り向けこそはしなかったが、ヒッチハイカーは頭部の二本の触角によって安田の動きも把握していたはずだ… だが、怪物はチェーンソーの脚への直撃を躱そうとはしなかった。
歩行を止めて、まるで斬れるものなら斬って見ろと言わんばかりに、わざとヒッチハイカーが安田に向けて自分の脚の一本を差し出しているように伸田には思えた。
「ガッキーン! ガリガリガリッ!バリバリバリーッ!」
安田の振るったチェーンソーと、カニの外骨格状の形態を持ち鋼鉄よりも硬質に思えるヒッチハイカーの脚が接触した途端、花火を連想させる火花が飛び散った。
「くっそうっ! なんて硬いんだ、このバケモノの脚はっ!」
明らかに動きをわざと止めているヒッチハイカーの脚を、安田は切断しようと何度も試みるのだが、まるで金属の塊を切っているかの様にまったく歯が立たなかった。
安田の振るうチェーンソーの発する回転音に異音が混じり、持ち手のエンジン部分から黒煙が上がり始めた。
「ギュイィィーンッ!ガリガリガリーッ! バキンッ!」
「うわっ! チェーンが!」
ついに安田の握るチェーンソーのエンジン部が火を噴き、チェーンが切れた刃部分が遠くへと弾け飛んだ。
「ボンッ!」
「あちっ! 熱っ!」
安田は火を噴き持っていられないほど熱を帯びたチェーンソーを、慌てて雪面へ放り投げた。
「せっかく俺が動きを止めて待っててやったのにその程度か、貧弱な虫ケラどもが… 時間の無駄だったな。もういい、死ね…」
そう言い捨てたヒッチハイカーの、斬られるがままに動きを止めていた脚の一本が動き出したと思った途端、次の瞬間には安田の身体が宙に舞い、数m離れた雪面へと吹っ飛んでいった。
「安田さんっ! 大丈夫ですか?」
伸田は数mもある8本の脚に支えられ3mほども自分より上の空間にあるヒッチハイカーの胴体中央部にベレッタで狙いを付けたまま、はね飛ばされた安田に向かって叫んだ。
「ぐうぅ…」
安田の身体は雪面に仰向けに倒れたまま動かず、伸田の呼びかけに対して、ただ呻き声を漏らしただけだった。
「くっそうっ! よくも安田さんを!」
伸田は怒りに燃える瞳でヒッチハイカーを睨みつけると、ベレッタの引き金を引いた。
「パーンッ!」
「カキーンッ!」
しかし、またもや伸田の放った『式神弾』は、ヒッチハイカーの瞬時に振り上げた一本の脚に弾き飛ばされてしまった…
「ふはははっ! 無駄無駄無駄無駄~っ! もう俺に怖いものなど無いわ。貴様も死ね!」
そう言うが早いか、ヒッチハイカーの『式神弾』を弾いて振り上げたままだった脚を、今度は伸田に向かって振り下ろした。
「ぎゃっ!」
伸田は短い叫び声を上げて数m吹っ飛んだ。
「ゴロゴロゴロッ!」
伸田は安田巡査の2mほど手前まで雪面を転がっていき、そのまま倒れ込んだ。
「ふっ… 貴様、見事な動きだ。咄嗟に拳銃で俺の脚を受け止めるとはな… だが、もうその潰れた拳銃は使い物にはなるまい。
後はあの女を手に入れるだけだ。あれは貴様の女か? ならば、貴様は殺さずに生かしておいてやる。俺があの女を手に入れる様を悔し涙でも流しながら、そこで成す術も無く見ているんだな。
ふふふふ…ははははっ!」
身体の向きを再び皆元静香と鳳の方へと向けたヒッチハイカーは、伸田をあざ笑いながら、8本の外骨格の脚を素早く動かして歩み始めた。
「うぐっ… くそっ…」
うつぶせに倒れていた伸田は、歩み去るヒッチハイカーを見て歯ぎしりしながら身体を起こした。
伸田が死なずに済んだのは、ヒッチハイカーの言った通りだったのだ。
射撃能力に優れた伸田は、その卓抜した動体視力でヒッチハイカーの振り上げた脚の動きを瞬時に見切り、持っていたベレッタを咄嗟に両手で身体の前に構える事によって、怪物の鋭く硬い足先を受け止めたのだった。
ベレッタが潰れる事と、身に着けていたSIT装備のボディーアーマーで衝撃を吸収したために伸田の身体は奇跡的にも重症と言える程の傷を受けずに済んだのだった。
伸田は倒れたままの安田の所まで這って行った。
「安田さん! しっかり!」
大声で呼びかけながら安田の首筋に手を当ててみる… 脈があった。
だが、伸田の呼びかけに対して安田の返事は無く、意識が戻らないままだった。
「よかった… 安田さんは生きてる。ごめんよ、安田さん。僕は行くよ…
今はシズちゃんを助けに行かなきゃいけないんだ。必ず助けに戻るから…」
倒れた安田にそう話しかけてから、伸田は手に持ったベレッタを見た。鋼鉄製の銃のスライド部分がへしゃげてが窪み、穴が開いていた。
「まったく…我ながらヤツの一撃をコイツで受け止めたなんて奇跡だな… それに薬室部分に納まった弾丸が暴発しなかったのも運が良かった。でも、この薬室内の一発は抜き出せない… 弾倉はどうだ…?」
壊れたベレッタは遊底部が動かせないために薬室内に入っている弾丸は取り出せなかったが、伸田がマガジンリリースボタンを押してみると、幸運な事にグリップ部分からマガジンを引き出す事が出来た。
「よかった、マガジンは無事だ… 中に残ってる『式神弾』も使えそうだ。ベレッタはもう一丁ある。まだ撃てるぞ
。」
伸田は、最初に出会った殉職したSIT隊員から装備を拝借した際にSMG(サブマシンガン)ではなく、二丁のベレッタをもらっていたのだった。ヒッチハイカーの攻撃で潰れてしまったベレッタは、いつも手に握りしめていたのだが、もう一丁のベレッタは右太ももに装着したホルスターに収納してあったのだ。
伸田は壊れたベレッタから抜き出したマガジン内の『式神弾』の残弾数を確かめた。
「残り9発… 僕の手に残ってる『式神弾』はあと9発しかない。この9発でヤツを仕留めなきゃ、僕達は恐らく全滅だ。そうすれば、ヤツは山から町に解き放たれてしまう… それに、何よりも今はシズちゃんが危ない!」
********
「お、鳳さん… あの怪物はいったい…?」
五芒陣に囲まれた雪面に座った皆元静香が、傍に立っている鳳成治に問いかけた。
二人はログハウスから100mほど離れた地点で繰り広げられていたSIT隊員と伸田達とヒッチハイカーの戦いを、さらに100mほど離れたこの地点から見つめていたのだった。
長谷川警部がログハウスに向けて遠投で投げた特殊閃光手榴弾M84の炸裂による輝きから始まり、SMGとベレッタによる戦いを経ての島警部補と関本巡査の戦線離脱までを、二人で手に汗を握りながら見続けていた。
そして伸田と戦線復帰した安田巡査の『式神弾』とチェーンソーによる戦いに移り、戦闘の途中から様相が一変したのだった。
特に静香は自分の目を疑った。離れた地点で起こっている状況であるとはいえ、愕然とせざるを得なかったのだ。
まるでビルの3階位の高さまで巨大化するかの様にヒッチハイカーの二本の脚が伸び続け、やがて両脚がそれぞれ4本ずつに分岐して合わせて8本の脚を持った巨大な蜘蛛のような姿に変わっていったのが、遠くから見ている二人にもはっきりと分かった。
「あ、あれって…怪獣なんですか? あんなの相手にしてノビタさん達に勝ち目なんてあるはずない! お願いです、自衛隊を呼んで下さい! ノビタさんや安田さんを助けて!」
パニックを起こした静香が鳳に向かって甲高い叫び声を上げた。
「ああ、怪獣、怪物、化け物… どの呼称で呼んでも間違っている訳じゃない。ヤツは某大国が我が国に持ち込んで輸送の際に行方不明となっていた生物兵器(Biological weapons)を誤って摂取してしまった哀れな人間の成れの果てだ。
コストのかかる高額な兵器を所有するよりも、兵士そのものを強力な怪物に姿に変えてしまう事で遥かに安価に戦力を増強出来る『BERS(Bio-enhanced remodeled soldier)計画』、日本語で言うと『生体強化型改造兵士計画』は現在、大国間で競って開発されている。
たった1本のBERSの薬剤のアンプルを一人の被験者に投与するだけで、フル装備した一個中隊並みの兵力を手に入れる事が可能となるからだ。
つまり、それだけ強力な兵器としての怪物を人体をベースにして瞬時に作り出す事が出来るのだ。あのヒッチハイカーの様な怪物を…」
ここで言葉を切った鳳が、反応を窺うかの様に五芒陣に護られて座る静香の顔をジッと見つめた。
「なんて恐ろしい事を考えるの… 戦争の兵器として利用するために、人間を怪物にしてしまうなんて…
いったい、人間を…人間の命の尊厳を何だと思っているのよ!」
鳳の話に心の底からの憤りを感じた静香は、嫌悪感も露わに鳳を睨みつけて怒りの叫び声を上げた。
「ふっ… 君の様に純粋で心の美しい女性には残酷な事を言うようだが、大国にとっては自国の利益のためになら一人の人間の命など一円玉ほどの価値も無いだろうね。」
この発言を聞いた静香は、涙の浮かんだ両目で鳳をキッと睨み付けた。しかし、静香は鳳の顔に哀しい表情が浮かんでいるのを認めたのだった。
『この人も言葉と裏腹に、本当は心では辛いんだわ… 淡々と話しているけど、とても哀しい目をしている…』
静香は鳳の心の内にある真実を垣間見た様な気がして、それ以上彼だけを責めるのをやめた。
第一、鳳が彼の言う所の『BERS』を開発したり人間に対して使用している訳ではないのだ。彼は使用された『BERS』と、その結果として怪物化した人間を追っている側の組織の人間なのであった。
ところで、静香はヒッチハイカーに全裸にされて犯される寸前だった状況で気を失い、SITのAチームの隊員達に助けられたのではなかったか…? 彼女は全裸に毛布を巻き付けた状態でこの地点まで運ばれて来たはずだ。
だが、今鳳の傍に立ちながら遠くで戦う恋人の伸田達を見守る静香は、吹雪の吹き荒れる山中で見ているだけでも痛々しかった全裸姿では無かった。
静香はログハウスでヒッチハイカーに剥ぎ取られた、彼女自身の防寒服一式を身に着けていたのだった。
しかし、彼女の衣服はSIT隊員達が運んだのでは無かった。残念ながら、あの時点では静香の身体を運んでヒッチハイカーの元から逃げるだけで精一杯の状況だったのだ。
SITの隊員達に彼女の衣服を運んでやる気持ちや時間的な余裕は一切無かったのである。
では何故、その静香が自分の衣服を着用しているのだろうか…?
その理由は、彼女の傍らに寄り添うように大人しくしている存在によるものだった。
静香から見て鳳とは反対側の位置に異様な生物の姿があった。
異様というのは、ヒッチハイカーの様に悪夢に登場するかの様なおぞましい怪物では無かったが、その生物が現実には存在し得ないと言える、日本神話に登場した伝説上の生き物だったからである。
それは雪の中でハッキリとした存在感を示す黒々とした巨大な鳥の姿をしていた。カラスである。だが、そいつはただのカラスでは無かった。
そいつの体長は、全長が1mほどで日本で一番大きなワシと言われるオオワシよりもさらに巨大で、横に並んで立つ身長162㎝の静香より少し小さい程度の150cmほどもあったのである。
そのカラスは、それほど巨大な体長を持つ事もさることながら、もっとも驚愕すべき点は足が三本もある事だった。
八咫烏…
その三本足の姿をした鳥は神の使いとも云われ、実在しない伝説上の生き物のはずだ。
そいつが今、静香の隣で気持ち良さそうに目を閉じながら彼女に首を撫でてもらっているのだった。
静香の服一式は、この八咫烏がログハウスから運んで来たのだった。もちろん、鳳成治が命令を下して運ばせたのである。
そう、この八咫烏の姿をした巨鳥は鳳が陰陽術を使って折り紙から作り出し、使役する擬人式神だったのである。
この式神は静香がログハウスに監禁されていた時に、鳳から命じられて彼女の居場所を探り出し、偵察していた際にヒッチハイカーに発見されて一度追い払われたのだった。
ヒッチハイカーがSIT隊員達との交戦状態に入った後に、半壊したログハウス内に忍び入って静香の衣服一式や持ち物を運び出して来たのだった。
今では、感謝した静香と八咫烏の双方共にすっかり仲良くなっていたのである。
「ヤツがこっちへ来るぞ、皆元さん!」
しばらく無言で遠くの戦闘を見つめていた鳳が、小さく叫んだ。
彼の言った通り、怪物の姿と化したヒッチハイカーが伸田達との戦闘を切り上げたのか、8本の脚を素早く動かしながら自分達の方へ向かって高速で迫り寄りつつあった。
********
ザザザザザザザーッ!
「待っていろ、二つの命を持つ女よ! お前は俺のモノだ!」
怪物と化したヒッチハイカーは新しく手に入れた8本の脚の動かし方に慣れたのか、自在に操りながら目標の静香に向けて高速移動を開始した。
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満月の当たらない林の暗闇の中に、文字通りに青白く光る奇妙な二つの瞳があった。野生の獣だろうか…?
しかし、雪原に繰り広げられるヒッチハイカーと伸田達の戦いを見つめていた光り輝く瞳を持つその存在が、驚いた事に白い息を吐き出しながらつぶやいたのだ。それは、まぎれもなく人間の男の声だった。
「オニめ、ついに変身しやがった。
ところで、とうとうあの若造は一人っきりになっちまったな… さあ、はたしてヤツは自分の恋人を救えるのかな?」
言っている言葉とは裏腹に男の口ぶりは不謹慎にも、まるで目の前の戦いを楽しんでいるかの様だった。
いや、実際に男はニヤニヤと笑っていたのだ…
この獣の様に青白く光る瞳を持つ男は、一人で戦う伸田にとって果たして味方なのか? それとも、敵なのだろうか…?
********
安田巡査が倒れ、遂に一人になってしまった伸田は、9発の『式神弾』の残ったマガジンを未使用だったベレッタのグリップに装填し、遊底をスライドさせて『式神弾』の初弾を薬室に送り込んだ。
そして伸田は、ふらつく足で立ち上がると、走り去るヒッチハイカーを睨み付けた。
「待てえっ! 化け物おっ!! 静香に手を出す事は僕が許さんっ!」
そう叫びながら『式神弾』入りのベレッタを右手に構えた伸田は、多脚型の怪物と化し高速で先行するヒッチハイカーの後を追い、恋人の静香の元へと雪面を必死になって走り始めた。
【次回に続く…】
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