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【Rー18】ヒッチハイカー:第5話「どうしても南へ行きたいんだ…」③『ヤツの狩りが始まった』

「うわあっ!」
「きゃあっ!」
 最前列の運転席と助手席に座っていた伸田伸也のびた のびや皆元静香みなもと しずかが、ガソリンスタンドの爆発の閃光せんこうをフロントガラス越しに最初に目に浴び、真っ先に叫び声をあげた。
 爆発炎上は直線距離にして伸田のびた達の乗る車から200mくらいの距離だろうか…閃光の後、数秒も経たない内に爆風が車に向かって押し寄せて来て、フロントガラスのワイパーで払い切れていない雪を一瞬で吹き飛ばした。道路も爆発の振動でれた様だった。
 だが、伸田はこの男にしては賢明な判断で急ブレーキはまなかった。もし彼が急ブレーキを踏んでいたら、凍結した下り坂の路面で、車はスピンしてガードレールを突き破るか、がけに激突していたかも知れなかった。
 あわてずにギアをチェンジして回転数を上げエンジンブレーキでスピードを落とし、フットブレーキはポンピングを多用したおかげで徐々に速度を落として山を下る急こう配のカーブを何とか乗り切った。

 意外な事だが、何をやってもダメな伸田は車の運転だけは非凡ひぼんな才能を秘めていたのだ。この事は恋人の静香だけが知っていた。

「おい、大変だぜ! 警察…いや、消防にしらせなきゃ!」
 幸田こうだ剛士たけしが突然の爆発を見つめながら叫んだ。

「あんなの…僕、初めて見たよ…」
「私もよ… 怖いわ…」
 サードシートで須根尾すねお骨延ほねのぶと恋人の山野ミチルが手を握り合ってつぶやいた。

「これでガソリンを入れられなくなった。旅館まで持つかな…?」
 伸田のびたがそうつぶやいたのに、助手席に座っていた恋人の静香しずかがスマホを握りしめて怒って言った。

「ノビタさん! 何、のん気な事言ってるのよ! そんな事言ってる場合じゃないでしょ! 誰か人が死んでるかも知れないのよ。剛士たけしさんの言う様に、急いで救急車呼ばなきゃ!」
 そう言って静香はスマホで急いで119にコールしようとしたが、液晶の通信状態を示す表示が『圏外けんがい』となっていた。

「さすがシズちゃんだな。俺は気ばかりあせって通報出来なかったけど、取りあえずこれで大丈夫だといいな。なあ、エリ。」
 そう言いながらも、剛士は抱いていた恋人の水木エリの身体をさすり続けている。この時には、元々健康なエリはかなり回復していた。低体温症のショック状態からも抜け出した様だった。エリが剛士の顔を見上げて弱々しくだが微笑ほほえんだ。

「ダメだわ、剛士さん… 私のスマホは『圏外』だし、ノビタさんのスマホも試してみたけど…同じキャリアだからか、やっぱり『圏外』なのよ。」
 静香が振り返って剛士に言った。
 それを聞いた剛士は左手でエリの身体を擦りながら、右手で自分のスマホをポケットから取り出し確かめて見る。

「俺のもダメだ… 『圏外』になってる。お前達のはどうだ?」
 剛士はそう言って、後ろの座席の二人の方を見て須根尾すねおたずねた。そして、両手でのエリの身体のマッサージを再開する。

「僕とミチルのスマホもダメだよ。やっぱり山の中なのと、この吹雪ふぶきが影響してるのかな…?」
 須根尾すねおが自分とミチルのスマホを両手で持ち、液晶画面を前の者達に向けて首を横に振った。

「そっか… ここ、結構山の中だからな…」
 剛士がエリへのマッサージをしながらつぶやいた。

 そのエリが座り直して、自分にマッサージをほどこしていた剛士の両手をそっと自分の身体からどけさせて言った。
「ありがとう、剛士。もういいわ。だいぶ気分が良くなったから、アタシ自分の服を着るわね。」
 そう言って、まだ心配そうな剛士のほほにキスをしたエリは、ヒッチハイカーと繰り広げた激しいセックスの最中に夢中で床に脱ぎ散らかした自分の衣服を取り上げようとした。

「あら? このリュックって…」
「ん…? どうした、エリ?」
 エリが怪訝けげんそうにつぶやく声に、炎上するガソリンスタンドの炎を見つめていた剛士が振り返った。
 エリが自分の足元に脱ぎ捨てていた服を身に着け始めたが、服がかぶさって下に隠れる様にして、赤い色をしたリュックサックが置かれていたのに気が付いたのだ。

「これって…? あの男の… ひっ! 何、このリュック! この赤黒い色って…ち、血じゃないの?」
 そう言ったエリが恐ろしそうに、くつき終えた足で剛士の方へリュックを押しやった。

「お前、何言って… うっ…! 確かに、血のにおいと肉の腐ったようなひどい匂いがしてやがる…」

 形状や大きさ的には女性向けの様なリュックのトップ部分のスライドファスナーから、黒っぽい色をした何か道具の持ち手の様な部分が外へ飛び出していた。

「これ… 確かにあのヒッチハイカーのだぜ。気味が悪いぜ… 窓から外へ放り出そう。」
 剛士がそう言った時だった。

「バーンッ!」
 何かが上から車の屋根に落ちて来たのか、大きな衝撃音と共に屋根の一部がへこんで、何か所か内側に向けてボコッと飛び出して来た。
 この車の屋根には荷物を固定するための強固なルーフキャリアが装着されていたので補強代わりとなり、落ちて来たモノの衝撃で屋根全体が破壊される事は無かった。

「うわあっ!」
「な、何だ?」
「キャーッ!」

「ギャギャギャーッ!」
 車内の男女が一斉に悲鳴を上げ、運転していた伸田のびたが驚いてハンドルを切り損ねて車が蛇行だこうした。車は徐行に近い速度で坂道を下っていたので、伸田は何とか車の体勢を元通りに立て直す事が出来た。

「お…おいっ、伸田! 何か上から車の屋根に落ちて来たぞ!」
 剛士の叫び声に重なるようにして、車の屋根の上でガサゴソと何かが動く物音と振動が続いている。

「な、何か…生き物が屋根に乗ってるんじゃ?」
「や、やめてよ! そんな怖い!」
 サードシートの須根尾すねおと恋人のミチルが抱き合って震えながら口々に言った。

「お、俺が窓を開けて上をのぞいてみる… でもノビタ、車は絶対に止めるなよ。」
 車中の一同の中で一番勇敢な剛士が、自分の横の窓ガラスを開けようとした。

「あ、危ないよ… ジャイアンツ…」
「そうよ、剛士たけしさん。やめて!」
 前列の伸田のびた静香しずかが口々に言った。

「生き物だったら屋根から追い払わなきゃ、そのままにしてる方が危ねえだろ。 でも、何か突っつける棒みたいなもんねえか…?」
 そう言って皆にたずねながら自分の足元を見た剛士は、先ほどのリュックに目が留まった。リュックからは何かの黒い持ち手部分が覗いている…

「これ、使えねえかな…?」
 そうつぶやいた剛士がリュックのトップ部分のファスナーからのぞいていた取っ手をつかんで、リュックから引き抜いた。

「な、何だ、こりゃあ!」
 剛士がリュックから引っ張り出したのは刃渡り40㎝はあろうかという、変わった刃の形状をした山刀やまがたなの様な刃物だった。重さもズッシリとしていてオモチャではなく本物の様である。そして刃部分をジッと見つめた剛士は叫び声をあげた。

「うわ…こ、これ! 血が付いてるぜ! それに、肉片と毛みたいなもんもこびり付いてやがるっ!
あのヒッチハイカーの野郎… これで何を切ったんだ…?」
 剛士の叫び声に運転する伸田以外の全員が、彼の手に持った刃物の方をいやでも注目した。
 全員の関心が刃物に移り、屋根の上の存在を一時だが忘れていた。

「ジャイアンツ… そ、それ…人間の髪の毛みたいだ… 獣の体毛じゃないよ…」
 サードシートから身を乗り出して刃を見つめた須根尾すねおが、震えながら剛士に言った。須根尾すねおの言った恐ろしい言葉の意味に思い当たって、車内の全員が恐怖で震えあがった。

「アイツなら、人殺しくらい…やりかねねえな。」
 剛士は震えながら手に持った山刀を、恐る恐る取り出したリュックに戻した。
「この気持ち悪い山刀とリュック… すぐにでも車から放り出したいところだけど、警察に届けた方がいいな。」

そう、剛士がつぶやいた時だった…

「バリーンッ!」
 突然、剛士の横の車窓が破裂するような音を立てて内側に割れ、ガラスの破片が車内に飛び散った。
 身体の左側から飛び散るガラスの破片を浴びる瞬間に、剛士はスポーツマンならではの反射神経で自分の身に何が起こったか分からないながらも、左手に持っていたリュックで、自分の身と隣に座るエリをかばおうと構えた。
 次の瞬間、破られた窓から人間の大きな手がヌッと車内に伸び、剛士の左手に持つリュックをいきなりつかんだかと思うと、ひったくる様に強い力でグッと外へと引っ張った。
 まだリュックのショルダーハーネスを握ったままだった剛士の左手が、掴まれたリュックと一緒に強い力で窓の外へと引っ張り出された。

「ジャイアンツ! そのリュックを放せ!」
 サードシートから身を乗り出した須根尾すねおが、引っ張られる剛士の身体にしがみついて叫んだ。須根尾すねおの身体には、隣の小柄なミチルが健気けなげにも抱きついて踏ん張る。

「スネオ! 助けてくれ! 手を握られた! 引っ張られるっ!」
 隣の座席のエリも、剛士の身体に抱きついて反対へと引っ張る。慌ててシートベルトをはずし助手席から後ろ向きに身を乗り出した静香も、剛士の身体を引き出されないように必死にしがみついた。

「ブツンッ!」
「うぎゃあーっ!」 

 何か気味の悪い音に続いてけたたましい悲鳴を上げながら、突然外側から引かれる力を失った剛士の身体が、車内の伸田以外の全員で引っ張っられるまま勢いよく隣の座席のエリの身体の上に倒れ込んで来た。

「た、助かったね、ジャイ…」
 須根尾すねおが剛士に声を掛けようとした時だった。

「ぎぃやああーっ! 俺の…俺の左腕があっ!」

 車内に倒れ込んだ剛士は右手で自分の左手を押さえ、セカンドシート上でエリの身体に重なってわめき散らしながらのたうち回っている。
 左手を押さえる剛士の右手の指の間から、押さえ切れない真っ赤な血が噴水ふんすいの様に車内にほとばしった!
 下敷きになっているエリに、ころげ回る剛士の左腕からき出す文字通りの血の雨が降りそそいだ。
「キャーッ! 何、何なのよコレ? 剛士っ! 冗談やめてよっ!」

「おい、ジャイアンツ! そ、その腕!」
 須根尾すねおが指さした剛士の左手首から血が噴き出していたが、そこから先にあるべきはずの左手が無くなっていた。何かでスパッと切断された様だった。

「きゃあーっ!」
「剛士君!」
「ス、スネオ! とにかくジャイアンツの左手を止血しけつしろ! そのままじゃ失血で死んじまうぞ!」
 セカンドシートで生じた凄惨せいさんな光景に、恐怖の悲鳴を上げる静香とミチルの声をさえぎるように、伸田のびたがルームミラーに映る須根尾すねおに向かって大声で叫んだ。

「分かった!」
 そう叫んで須根尾すねおが、キョロキョロと止血するための布などを探す。
「スネオさん、これ使って!」
 助手席から静香が叫んで、自分の膝にかけていたブランケットを剛士の身体にかぶせた。須根尾すねおがそれを剛士の切断された左手首に被せ、自分のズボンから引き抜いたベルトを使って左上腕部をきつく縛って圧迫し、応急の止血処置をほどこした。
 切断された手首に被せたブランケットの色が、すぐに血を吸って真っ赤に染まっていく。
 エリと重なったまま、のたうち回っていた剛士の身体の動きは止まっていた。
 吹き出す血の噴水は止まったが、エリも須根尾すねおも剛士の血を浴びて顔も身体も血まみれとなっていた。

「ダメだ、ノビタ! ジャイアンツの身体がショック状態を起こして痙攣けいれんしてる。どんどん身体から体温が下がっていくみたいだ。早く病院に連れてかなくちゃ!」
叫ぶ須根尾すねおに伸田も叫び返す。
「分かってるさ、そんな事! でも、まだ何かが屋根の上にいるんだよ!」

全員が伸田の訴える叫び声にゾッと恐怖した。
そうだった…
 屋根に取り付き、破った窓から引っ張り出した剛士の左手首を切断した何者か… スパッと一刀の元に切断された剛士の左手首の状態からして、熊などの野生の動物では有り得なかった。
 屋根に飛び乗った人間の何者かが鋭い刃物で手首を切断したのだろうと、車内の全員に容易に想像がついた。
 恐らく切断には、リュックに入っていた山刀を使ったのだろう…
そいつは何者か…?
 答は簡単だった。リュックの持ち主…
 共通して全員の頭に浮かんだソイツの姿があった。

「あのヒッチハイカーだわ! リュックを取り返しに来たのよ!」
 静香が叫んだ。破られた窓から吹き込む吹雪を伴った風のうなるような音に、叫ばなければ他の者の耳に聞こえないのだ。

「みんな! 何かにつかまってろ! アイツを屋根から振り落とす!」
 そう叫んだ伸田が、ハンドルを左右に切って蛇行運転を始めた。剛士を除いた全員がシートベルトを掛け、座席を力を入れて掴む。剛士の身体はセカンドシートの足元に転がした。

 ときおり、蛇行する車の屋根のはしに上に乗った何者かの車にしがみつく手や靴の先が見え隠れした。

 普段は仲間からグズでノロマと言われる伸田のびただったが、車の運転だけは素晴らしいテクニックを発揮した。凍結した山道での命がけの運転だった。自分を含めた6人の命がかっているのだ。伸田は歯を食いしばりながら必死で運転を続けた。

「ドンッ!」
 大きな音を立てて、伸田の目の前のフロントガラスに何かが叩きつけられてズルズルと滑り落ち、右のワイパーに引っかかって一緒に動き出す。と同時に、物体から出た真っ赤な液体がワイパーの動きにつれてフロントガラスに塗りつけられていく。

「キャアーッ!」
 伸田よりも先に、ワイパーに止まった物体の正体を認識した静香しずかが叫び声を上げた。
「うわあっ! て、手だっ!」
 静香に引き続き、伸田も叫ぶ。

 ワイパーに引っかかって一緒に動いていたのは、剛士たけしの切断された左手だった。曲がったまま硬直した指先がワイパー引っかかっているのだ。
 伸田は蛇行運転を続けながらワイパーの動きを一旦止め、もう一度『最強』で動かした。ようやく引っかかっていた指先が外れ、振り落とされた剛士の左手は車の左後方の吹雪の中に飛ばされて消えて行った。
 ワイパーの動きで、フロントガラスに塗りたくられて広がった血が拭われていくが、すでに血の大部分がカチカチに凍結していたのですぐには拭い切れなかった。

「ダメだ… もうガソリンが無い。Eランプ(エンプティランプ)が点灯し始めた。まだ完全に走れなくなったわけじゃ無いけど、旅館までは到底たどり着けないし、あの爆発したガソリンスタンド以外のスタンドまで行くのも絶対に無理だ。ロードサービスどころか、俺達には助けを呼ぶ手段も無い…」
 伸田が絶望的なつぶやきを漏らした。
 隣りの助手席に座る静香は、伸田のつぶやきを聞き逃さなかった。
「ノビタさん… お願いよ、そんな事言わないで…」
 
「とにかく、あの燃えてるガソリンスタンドに向かってみよう。そのうち、必ず消防や警察が来るはずだ。それに…このままエンジンが完全に切れたら、みんなこごえてしまう。
 特にジャイアンツが失血で危ない。火のそばなら、取りあえず凍える事は避けられるだろうし、スタンドで何か通信手段も見つかるかもしれない。」
 伸田は車内のみんなにそう告げた。

「僕はノビタに賛成だよ。車の事はお前に任せる。とにかく、早くジャイアンツを病院に連れて行かなきゃ…」
 須根尾すねおはそう言いながら少しでも吹雪の侵入を防ぐために、応急処置として割られた窓を車に積んであったビニールシートとガムテープでふさいでいる。

 気を失っている剛士の身体はブランケットや毛布でくるんだ上に、エリが少しでもあたためようと自分の身体を密着させて抱きしめていた。

「バリーンッ!」
「キャアーッ! 助けて! スネオ君!」
 今度は後部のリアガラスが外から叩き割られ、サードシートに座っていたミチルの首が侵入して来た大きな手につかまった。

「ぐえっ、た…助…けて…」
 苦しそうな声で助けを求めながら、小柄なミチルの身体がガラスを割られたリアウィンドーから外へと引きずり出されていく。
 ミチルは自分の首をつかむ大きな手を左手の爪できむしりながら、右手を恋人の須根尾すねおに向けて必死に伸ばした。思い切りバタつかせて空を蹴り続けるミチルの左足からいていた靴が脱げて飛んた。

「うわあっ! ミチルーッ! ミチルを離せーっ!」
 ミチルの上半身はすでに窓の外に引きずり出された。セカンドシートにいた須根尾すねおがサードシートに戻り、必死に手を伸ばしてミチルの暴れる脚を掴む。須根尾すねおは恋人ミチルの両脚を自分の両腕でかかえ込み、両足で座席を踏ん張って必死で引き戻そうとする。
 だが、相手の信じられない怪力にミチルの身体ごと須根尾すねおも引っ張られていく…
「うわああー! 助けてくれっ! ノビター!」

「スネオーッ!」
「スネオさん!」
「スネオ君っ!」
 伸田に静香、それにエリが須根尾すねおの名を必死に叫ぶ。
 だが全員の叫びもむなしく、ミチルの身体はすでに車外へと消え、今では須根尾すねおの胸までがリアウィンドーの外へと引きずり出されていた。

「バツンッ!」
 胸まで外に出ていた須根尾すねおの身体が一度大きくはずんだかと思うと、不思議な事に引きずり出されていた動きが止まり、代わりに車内に残っていた須根尾すねおの身体が激しく痙攣けいれんし始めた。
 しかし、その痙攣も十数秒ほど続くと止まり、それからは須根尾すねおの身体は全く動かなくなった。

「おい、スネオ! どうした⁉ ミチルちゃんは?」
 伸田が車を走らせながらルームミラーに映る須根尾すねおの身体に呼びかける。しかし、須根尾すねおからの返事は無く…身体もピクリとも動く事が無かった…

「ノビタさん、私が見てくる! エリちゃんは剛士さんとそのままにしてて。」
 意を決した静香が、助手席からセカンドシートを越えてサードシートまで移った。そこにはミチルの姿はすでに無く、胸から上を外に出した須根尾すねおのぐったりとして動かない身体があるだけだった。

「スネオさん… ねえ、スネオさんってば!」
 静香が須根尾すねおの身体に手を掛けて、外に出ていた胸から上の部分を引き戻しにかかる。小柄とは言っても動かない須根尾すねおの身体は静香にはとても重く感じられた。
 強く引き、やっと須根尾すねおの身体を車内へ引き戻した静香が、この世のものと思えないほどの叫び声を上げた。

「ぎゃああーっ! ひいいぃーっ!」

 驚いた伸田がルームミラーで覗いた時には叫び声を上げた静香が意識を失ったのか、倒れるところだった…

「おい! シズちゃん! どうしたんだよ⁉
 エリちゃん、頼むよ! シズちゃんを見てやって!」
 そう言った伸田がルームミラーに映るエリの方を見た時、すでに剛士の身体をセカンドシートに静かに横たえたエリは、身体を起こしてサードシートを覗き込んでいた。
 そして、エリが凍り付いた様に動きを止めたままなのを、伸田が不審に思った次の瞬間…

「うげええーっ!」
 突然身体を二つ折りにしたエリが、サードシートの床に向けて激しく嘔吐おうとした。そして、そのまま何度も吐き続けた。

「どうしたんだよ、エリちゃんまで! いったい何が起きたんだよ⁉
落ち着いて話してくれ!」
 前方を見ながら運転を続ける伸田には、何が何だか分からないだけにイラついた叫び声を上げた。

 ようやく吐き気が収まったのか、エリが伸田に向かって表情を失った蒼白そうはくな顔に涙を流しながらつぶやいた。

「うう… ノビちゃん… スネオ君のく、首が… うえっ!」
 エリにまた吐き気が襲ってきた様だった。

「スネオの首が…? どうしたんだよ? しっかりしろ!」
伸田がエリを叱咤しったした。

「ううう… スネオ君の… 首が無いの… おええっ!」
 エリはそこまで言うとまた吐き始めた。だが、もう胃液以外に吐く物など残っていないだろう…

「スネオの? 首が無い…? そんな…」
 伸田は目の前が真っ暗になった。
 剛士の左手首の次はミチルがさらわれ、そして今度は須根尾すねおが首を切断されて殺された…

「何てこった… 畜生ちくしょう! いったい俺達が何したってんだよ… みんな…俺の大事な親友なんだぞ… くっそおおおおーっ!」
 伸田は親友達を思って泣きながら叫んだ。

 須根尾すねおには剛士と一緒になって、小さい頃からよくいじめられた。でも、自分と静香を合わせた4人はずっと親友だった。みんなのマドンナである静香を射止いとめた自分を、剛士も須根尾すねおも何やかや言いながら結局は祝福してくれたのだった。

「ノビタさん! しっかりして! ねえ、何か聞こえない? あれ…ミチルちゃんの泣き声じゃないかしら!」

 伸田が親友を思って泣いている間に、いつの間にか静香が意識を取り戻していたのだ。
 しかも驚いた事に、気丈にも彼女は首を切断された須根尾すねおの遺体をサードシートの座席に座らせてシートベルトを掛けて固定し、予備のブランケットで首の無くなった遺体の上半身を覆ってやっていた。
 親友の死で自分もショックを受けているだろうに、静香はそれだけの事を一人でやってのけたのだった。
 エリはセカンドシートに戻り、剛士の身体を抱きしめて震えていた。

 須根尾すねおの遺体の処置を終えた静香しずかが、助手席に座り直してシートベルトを掛けながら伸田のびたに対して話しかけてきたのだった。

「ご、ごめんよ…シズちゃん。考え込んでた…
 それで、何だって…? ミチルちゃんの泣き声? じゃあ、彼女は生きてるのか?」
 伸田が横目で静香を見ながら、希望の気持ちを込めた声で聞いた。ミチルだけでも助かってくれたのなら…

「ええ… 吹雪ふぶきの音に混じって、何か『パン、パンッ、パンッ!』ていう音と、ミチルちゃんの泣き声かうめくような声が聞こえた気がしたんだけど…」
 はっきりとした自信が無いのか、静香は首を捻りながら言った。

「いや、シズカちゃん… アタシにも聞こえるよ。
 あれは、この車の真上で…あのスネオ君を殺したケダモノ野郎が、ミチルの事をおかしてやがるんだ!
 アイツの、あのでっかいチンポでミチルが犯されて泣いてるんだ…」
 自分がさっきまで狂ったように性交を繰り返していたエリが言うのだから現実味があり、間違い無いのかも知れない。

「何て事を… アイツは狂ってる。アイツは邪魔な男は虫けらのように殺して、女は犯さないと気が済まないのか…?
 アイツ…まさか、俺達を狩る気なんじゃ…」
 伸田の口にした言葉を聞いた静香は、防寒着の上着の上から自分自身を抱きしめるようにしてガタガタと震え始めた。もちろん、それは寒さのためだけでは無かった。

「大丈夫だよ、シズちゃん… 大事な君を、あんな狂ったケダモノの好きにさせてたまるか!」
 伸田が、静香に自分の決意を口にした時だった。

「バンッ!」
「うわ!」
 にぶい衝撃音と共に、フロントガラスの上部にさかさまになったミチルの顔がへばりついた。だらりと垂れ下がった両腕がフロントガラスを掻きむしっていた。

「パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!」
 ミチルの身体は背後からヒッチハイカーに犯され続けているのだろう…男にピストンで激しく突かれるたびに、フロントガラスから見えている彼女の顔や手もガクンガクンと大きくねていた。その度にミチルの顔がフロントガラスにベタンベタンと叩きつけられる。

 声は聞こえないが、彼女の口元が血の混じったヨダレを流しながら何かを訴えかける様に動いていた…
「た・す・け・て… ミチルちゃん、そう言ってるのよ!」
 静香が泣きながら自分の両手を前に伸ばして、フロントガラス越しにガラス上を跳ね動くミチルの顔を指でなぞった。

「アイツを振り落とせば、ミチルちゃんまで凍った路面に叩きつけられる… どうすればいい…? 教えてくれ、スネオ…」
 伸田はルームミラーでサードシートに固定された首の無い須根尾すねおの遺体を見て、祈る様につぶやいた。




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