【R-18】ヒッチハイカー:第31話『人外の存在と必死に戦う人間達!果たして彼らは危機を乗り切れるのか!?』
SIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)隊長の長谷川警部が、伸田の着るボディーアーマーに付着して絡みついたヒッチハイカーの蜘蛛の糸を『ヒヒイロカネの剣』で切断する作業を開始した。
糸の切断作業中にも、爆発で炎上中の大型トレーラーから立ち昇る炎と煙が風に吹き流されて出来た切れ間に、時折覗く巨大な怪物の姿に長谷川は恐怖感を抱かずにはいられなかった。
「あ、あのバケモノ… 大型トレーラーの激突でも死なないのか…?」
長谷川が怪物の姿を指さし、震える声で伸田に聞いた。
電柱の様に太く長い脚で立ちあがった巨大な蜘蛛型怪物の頭部に当たる部分と、まるでそこから生えたかの様に存在する人間形態の上半身も炎に照らされて煙の合間に垣間見えている。
どうやらヒッチハイカーの人間部分も無事な様子だった。
だが無事だったとは言っても、怪物も燃え盛る炎の勢いに気圧されたのか、あるいは大型トレーラーとの衝突で損傷した肉体の修復を待つための時間稼ぎのつもりなのか、今のところすぐには伸田達の方へ襲いかかって来るつもりは無い様だ。
「長谷川隊長、あいつは通常の衝撃や炎では死なないんです。SITの携行火器も通用しません。不死身に近い自己再生修復能力を持っているんです。
現時点でヤツに致命的な傷を負わせる事が出来る唯一の武器は、僕の持つベレッタに装填されて、たった一発だけ残った『式神弾』だけなんです。」
「な、何だって? たった一発の9mmパラベラム弾で…? そうか、その『式神弾』とかいう弾丸は鳳 成治指令の陰陽術が込められているんだったね…」
自分の耳を疑った長谷川が伸田に問い返す。
「ええ、この『式神弾』には間違いなく、あの怪物の息の根を止めるほどの威力があります。
ですが、ヤツの蜘蛛の身体部分は針金みたいに硬い剛毛とカニの外骨格みたいな硬い表面で装甲の様に覆われていて、『式神弾』とは言っても9mmパラベラム弾では弾き返されてしまうんです。
ヒッチハイカーに致命的なダメージを与えるには、人間形態を残したヤツの身体部分に直接『式神弾』を撃ち込むしか方法はありません。」
この伸田が長谷川に説明する間にも、ヒッチハイカーは襲いかかっては来なかった。
容赦なく吹き荒れる吹雪の中を明々と照らし出す炎が凍て付いていた周辺一帯を温め、一時ではあったが敵対する双方にとって小休止ともいえる時間が流れた。
この間に伸田は長谷川と別れてからのヒッチハイカーとの戦いで自分が経験して知り得た事を長谷川に説明した。
「だが伸田君… いくら君が射撃の名手だといっても、この吹雪の中で高度的に結構上に位置しているヤツの巨大な身体のうちで、小さな人間形態部分だけに照準を合わせるというのは、かなり難しいな。
しかも…ヤツに有効な『式神弾』の残弾が一発だけで、打ち損じる訳にもいかんとなると…ますます厳しい状況だな。」
さすがに長谷川はSITの指揮官だけの事はあった。彼は伸田の説明を聞いただけで、ヒッチハイカーの怪物としての特殊性や気象条件を鑑みた上での現在の困難な状況を即座に理解したのだ。
しかも、怪物に対して有効な武器が伸田の持つベレッタに残されたたった一発の9mmパラベラム弾だという、どう考えても不利過ぎる条件ばかりだという事も理解したうえでの発言を聞き、日頃から戦闘部隊を指揮する者として流石だと尊敬の面持ちで伸田は長谷川を見た。
「長谷川隊長、胸を張って大丈夫だと言い切る事が出来ないのが残念ですけど、僕にはこの『ウインドライダー』システムと、今あなたが手に持っている『ヒヒイロカネの剣』があります。
不利な条件が多すぎるけど、希望が全く無い訳でもありませんよ。」
そう言って伸田は背中のバックパックと、長谷川の持っている剣を指さした。
長谷川は伸田の指さした剣を彼に手渡すと、伸田が背負っているバックパックを指さして質問しようとした。
しかし伸田は、質問される前に長谷川を押しとどめて話し始めた。
「今は長く説明してるヒマはありませんが、このバックパックを使えば僕は自分の意志で空を自由自在に飛べるんです。
上手くいけば飛行してヤツに近づき、避ける事の出来ない至近距離から、外骨格に覆われていないヤツの人間形態部分に直接『式神弾』をぶち込んでやります。
僕を信じて、任せてもらうしかありません。」
最初はポカンとした表情で聞いていた長谷川だったが、伸田が自信を持って話し終えた時には、彼の目に微かな希望の光が灯ったようだった。
「分かった…訳じゃないが、ここまで怪物相手に生き残って来た君を信じるよ。
ここは、君の言う希望に賭けて見るしか無いようだもんな。」
長谷川が伸田の顔を見てニヤリと笑いながら言った。
「ギギギギギギーッ!」
突然、生き物の声なのか物同士をこすり合わせた音なのか不明だったが、吹雪ともトレーラーの燃え盛る炎の燃焼音とも違った奇妙な音が周辺に響き渡った。
すると次の瞬間、炎上中のトレーラーの炎と煙を跨ぎ越すようにして一本また一本と蜘蛛型をした怪物の巨大で長い脚が二人の方へ伸びてきた。
2本の長大な脚がトレーラーを跨ぎ越し、人型のままの形態を残した上半身部分が吹雪で横向きに流された炎と黒煙の上に姿を現した。
「はっはぁー! ノビタく~ん! 待たせたなあ!
まさかこのオレ様が、あの程度の不慮の交通事故で死んだと思ってたんじゃねえよなあ?
でも…ちょっぴり痛かったのは確かだから、何倍にもして、お返ししてやるぜえっ!」
叫び声の終わらない内に、脚を含めると20mを越す怪物ヒッチハイカーの全身が、炎上するトレーラーを完全に跨ぎ越えて伸田達のいる方へと姿を現した。
怪物のトレーラーに負わせられた損傷部分は、折れた数本の脚も凹んで穴の開いた腹部もすでに元通りの状態に回復していた。
完全な状態での蜘蛛型ヒッチハイカーの恐ろしさは、戦った伸田が誰よりも知っていた。
「ヤバい! すぐに来ます!」
炎上中のトレーラーから伸田と長谷川のいる地点まで距離にして優に100m以上はあったが、怪物は超スピードとしか言いようのない速度で疾走して二人に迫って来た。
「は、速すぎる!」
立ち上がり、後ろを振り向きながら逃げようとしていた長谷川があっけに取られるほど、怪物の8本脚での走行速度は速かった。
「も、もう…私には無理だ! 伸田君、君だけでも逃げろ!」
全速力で走るのをあきらめ、恐怖に頭を抱えた長谷川のすぐ後ろにヒッチハイカーが迫って来た。
「一匹いただきっ! てめえだな、あのトレーラーを俺にぶつけやがったのは! 死ねいっ!」
ヒッチハイカーが長谷川の身体を串刺しにするべく、持ち上げた右前脚を振り下ろした。
「うわあああーっ!
絶叫する長谷川警部の身体が地面から浮き上がったかと思うと、驚くべき反応速度で横っ飛びに怪物の右前脚を躱した。
「大丈夫ですか?」
耳元に聞こえてきた声にビクッと驚いた長谷川は、声のする方を振り仰いだ。
「の、伸田君? わ、私達は飛んでいるのか?」
長谷川は自分の身体が地上3mほどの高さの空中を滑空しているのに、今更ながら気付くと仰天した。
「そうです。でも、さすがに男二人分の体重で高度をこれ以上に上げるのは無理です。
バッテリーに負荷をかけ過ぎると、この後のヤツとの戦闘に響いてしまう。」
伸田が両脇に手を挿し込んで身体を持ち上げ、『ウインドライダー』システムの6基のローターを推力全開で飛行し、怪物の攻撃から間一髪で長谷川を救い出したのだった。
「くっそう! 逃がすかあっ!」
あと一歩で長谷川を串刺しに出来る所を伸田に救出されたヒッチハイカーは怒り狂い、巨大な姿とは思えない驚くほどの俊敏な動きで二人の追撃を開始する。
『ウインドライダー』システムは基本的に一人で飛行するためのマシンだ。しかも、伸田の使用しているのは本来は千寿 理専用に開発・調整された試作型『ウインドライダー』なのだ。
承知の通り、千寿 理自身は獣人の白虎であるため、多少の事故や墜落で死んだりはしない事から、普通の人間が使用するには危険すぎるシステムであるといえた。つまり、恐ろしい事に安全対策が万全ではないのだった。
それを曲がりなりにも使いこなしている伸田も、尋常な存在では無いといえる。
「ザザザザザーッ!」
凍てついた地面でも8本の脚で移動するヒッチハイカーには安定性を欠く事は無かった。飛行する伸田に見事なまでに追走していた。
ギリギリの所で攻撃を躱しはするが、長谷川を運びながら逃げ回る飛行では分が悪すぎた。両手の塞がっている伸田は、武器である『ヒヒイロカネの剣』もベレッタも使用できないのだ。
「もういい、伸田君! 私を下ろしたまえ。このままでは君が戦えないし、いずれヤツに捕まってしまう!」
長谷川が伸田に対して怒鳴った。
「し、しかし…」
伸田も今の自分が不利なのは、百も承知だった。自分よりも体重の重い長谷川を抱えたまま逃げ回っていては、バッテリーの消耗も早い。しかも、何よりも喫緊の問題として伸田の腕の筋肉が限界を迎えていた。
長谷川は身長的には大柄な方では無いが、警察官として鍛え上げた頑健な肉体は決して軽いという訳では無いのだ。
しかも、SITの装備を着用した長谷川の体重は80㎏を下回っている事はあるまい。それを、SIT隊員の様に日頃から鍛錬した肉体とは程遠いといえる伸田の筋力で抱え続けているのだ。
すでに限界を超えていて当然だった。
「君は私を助けてくれた。これ以上、君の負担になる訳にはいかん!」
そう叫んだ長谷川は自分から身をよじって、強制的に伸田の手から抜け出そうとした。
「あっ!」
伸田が止める間もなく、長谷川は約2mの高度から雪の積もった地面へと飛び降りた。
地面に落ちた長谷川は数m転がった末に、得意とする柔道の前回り受け身で着地の衝撃を和らげつつ身体の回転を止めるヨロヨロと立ち上がりると、右手の親指を立て『サムズアップ』のジェスチャーを見せて自分の無事を伸田に示して見せた。
「長谷川さん… 僕に負担をかけまいと… よし!」
長谷川の気持ちを理解した伸田は決意も新たに急上昇した。
そして、伸田は右へ旋回するとヒッチハイカーの背後を取るべく怪物の後方へ回り込もうとした。
とにかくヒッチハイカーの意識を長谷川から引き離し、自分の方へ向けさせなくては…
だが、空を飛べなくなったとは言っても、怪物は巨体の重量を物ともしない蜘蛛並みの素早い動きと速度で、伸田に背後を取らせまいと動き回る。
「ノビタよう、お前の目的は分かってるぜ。俺を、あの飛び降りたオッサンから遠ざけようとしているんだろ?
だが、俺としてもトレーナーで突撃をかけて来たオッサンを黙って見逃してはおけないなあ。
見てろよ。お前の見てる前でオッサンを八つ裂きにしてやる!」
ニヤッと笑いながら言い放ったヒッチハイカーは、再び長谷川のいる方へと向きを変えた。
「くそっ! 私とて、大人しく八つ裂きにされてたまるか! 来い、バケモノ!
人間はな、貴様みたいなバケモノに決して屈しはしないんだ。SIT隊長としてのオッサンの意地を見せてやるぞ! 」
自分に狙いを向けられた長谷川は、今までタスキ掛けにベルトで背負っていたSITの主要武器であるSMG(サブマシンガン)のMP5SFKを身体の前方に構え、安全装置を外すと銃口をヒッチハイカーに向けた。
「タタタタタタタッ!」
今でこそ指揮官となり前線から離れた長谷川だったが、持ち前の度胸と射撃の腕前には自信があった。
長谷川は横向きに走りながら怪物に向けてSMGを斉射した。
「タタタタッ! タタタタッ!」
しかし、SMGが蜘蛛型のヒッチハイカーに通用しない事は、長谷川の部下達の戦いで証明済みだった。装甲の様に硬質化した怪物の外骨格は、長谷川のSMGから発射されたフルメタルジャケットの9mmパラベラム弾をことごとく弾き返す。
「くそお! 何てヤツだ!」
長谷川は毒づきながら林に向かって雪の降り積もる地面を走った。彼は一番近くの常緑樹の木陰に駆け込むと、身を隠しながら撃ち尽くしたSMGの弾倉を新しい物と交換した。
「オッサ~ン、見いぃ~つけたあ!」
「バキバキバキッ!」
頭上から声が聞こえてきたと思った途端、次の瞬間には長谷川の目の前で太さが30㎝あまりもある木の幹がへし折られた。怪物の前脚が長谷川の隠れていた木を薙ぎ倒したのだ。
「うわあっ!」
驚いて後ろ向きに倒れ、尻もちをついた事が長谷川に幸いした。
怪物が横薙ぎに払った巨大な脚が、長谷川の被ったヘルメットを擦りながら彼の頭上を通り過ぎて行ったのだ。
後一瞬、長谷川の倒れ込むのが遅ければ、彼の首は胴体から無残に切り飛ばされていただろう。
「タタタッ! タタタタッ!」
だが、長谷川とていつまでも呆然としている訳では無かった。目くらまし程度にしかならないとわかってはいるが、怪物に向けてSMGを撃ちながら彼は隣の木の影へと駆け込んだ。
「バキバキッ!」
長谷川の駆け込む先々の木を、次々に薙ぎ倒しながらヒッチハイカーが追って来る。
「タタンッ! タタタンッ!」
相手に通用しないと分かっているSMGを発砲しながら、長谷川は必死で逃げる。
「へっへー! 無駄無駄無駄無駄~!」
追い回すヒッチハイカーは、すぐに長谷川にとどめを刺す気は無いようだ。まるで獲物を狩るのを楽しんでいるかの様だった。
「く、くっそう! も、もう走れん!」
SITの装備を身に付け、決して軽くはないSMGを構えながら、50歳代にしては長谷川は良く動いた方だと言えただろう。だが、勇敢なSIT隊長である彼にも、ついに体力の限界が来たようだった。荒い呼吸で顎が上がり、走る速度も目に見えて落ちて来た。
この地面を逃げ回る長谷川の危機を、空中を飛行する伸田が黙って見ていた訳では無い。
「お前の相手は、この僕だ! その人じゃないだろっ!」
伸田は、『ウインドライダーシステム』のバックパックに装備された6基のローターをフル稼働で飛び回りながら、必死にヒッチハイカーの背後から近づこうと試みていたのだった。
怪物は巨大な蜘蛛の身体もヒッチハイカーの人間部分も完全に長谷川の方を向いてはいるのだが、その人間部分の頭部から生えた二本のカタツムリの様な触角が背後で飛ぶ伸田の動きを捉えて離さないのだ。この触角にはカタツムリと同様、先端に眼球が付属している。
たとえ本体が別の方向を向いていても、怪物の二本の触角はそれぞれ同時に他方向を認識する事が出来るのだ。この触角が伸田の動きを正確に察知し、ヒッチハイカーの伸縮自在の触手が攻守にわたって正確に動き回り、伸田を寄せ付けないのだった。
伸田はヒッチハイカーの触手攻撃を『ウインドライダーシステム』の能力を存分に発揮させた絶妙な飛行で躱し、あるいは『ヒヒイロカネの剣』で受け止める事で精一杯で、なかなかヒッチハイカーの弱点だと言える人間形態の部分に近づく事が出来ないのだ。
「くっそう! 近づけない! これじゃあ、長谷川さんが!」
焦る伸田の攻撃を牽制しながら、長谷川を追い詰める怪物ヒッチハイカー…
「もっ、もうダメだ…」
怪物の眼下で息を切らしながら逃げ回っていた長谷川が、疲労から足をもつれさせて遂に地面に倒れてしまった。
地面に降り積もった雪の中に顔を突っ込むように倒れ伏した長谷川を、残忍な笑みを浮かべながらヒッチハイカーが見下ろした。
もう目の前の獲物が逃げられないのを見て取ったヒッチハイカーは、後方にいる伸田を振り返って楽しそうに叫んだ。
「はっはははあっ! どうだ、ノビタ! オッサンはもうダメだって。走れないってさ!
お前の見ている前で、このオッサンを生きたまま八つ裂きにしてやるよっ!」
仰向けに転がり、頭上で巨大な怪物が自分を殺そうと前脚の一本を振り上げたのを見て取った長谷川は死を覚悟して目をつむり、ヒッチハイカーとの戦いで殉職していった自分の部下達に対してつぶやいた。
「すまん… お前達の仇を討ってやれなかった… 私も今、そっちへ行く。」
「やめろおおおっ!」
必死で伸田が叫んだが、ヒッチハイカーは振り上げた左前脚を長谷川めがけて容赦なく振り下ろした! 目の前で起きようとしている残虐な光景に伸田は、きつく目を閉じた。
「ガッキーン!」
巨大な金属同士がぶつかり合う様な甲高い音が周辺一帯に響き渡り、長谷川と伸田は閉じていた目を開いた。
「な? パワーショベル…?」
眼を開けた伸田が見て驚愕したのは、振り下ろされたヒッチハイカーの左前脚の攻撃を受け止め、間一髪で長谷川の危機を救った一台の大型パワーショベルの振り上げた巨大な黄色いアームだった。
「ギギギ、ギシッ! ギギギ…」
「ぐ、何だ…この重機は?」
この突然現れた思いがけぬ伏兵に驚愕し、悔しそうに歯ぎしりする怪物ヒッチハイカーの振り下ろした巨大な脚をを、黄色いアームを軋らせながら受け止めているパワーショベル…
「た、助けが来た…のか? いったい誰が?」
長谷川が救われた事にホッとして伸田がつぶやく。
「長谷川隊長っ! 無事ですかっ!?」
パワーショベルの運転席から、聞き覚えのある大きな叫び声が上がった。
「遅いぞ、安田! もうダメかと思ったぞおっ!」
パワーショベルのアームの影から、無事を知らせる長谷川の返事が聞こえた。
「良かった、長谷川隊長は無事だ…
それにしても、あのパワーショベルを運転してるのは安田さん…? あの安田巡査なのか?」
長谷川の無事を知ったのに加え、思いがけずに現れた救援が別れてからの安否が不明のままだった安田巡査である事を知った伸田の表情に、満面の嬉しそうな笑みが広がった。
「伸田君! そこで飛行している君は伸田君なんだなっ?
今のうちに、長谷川隊長を助けてくれ! 急いで!」
パワーショベルの運転席から安田の叫び声が上がった。彼は自分が重機で怪物の前進を阻止している間に、伸田に長谷川を逃がせと言っているのだった。
「そうです! 僕は伸田です! 隊長の救出は任せて下さい、安田さん!」
そう叫び返した伸田は、組み合った状態のヒッチハイカーと大型パワーショベルを迂回して飛行し、長谷川の倒れている地面に降り立った。
「さあ、長谷川隊長! 安田さんがヤツを食い止めてくれている間に、ここから離れましょう! 僕に掴まって下さい!」
「すまん、伸田君… 安田、死ぬなよ。」
長谷川は部下の安田と民間人である伸田の自分を救おうとする気持ちに素直に従った。彼らは足手まといとなる自分がいては、満足に戦えないだろう…
伸田は疲労困憊の余り、自力で立てそうにない長谷川の身体を背後から手を回して抱え込むと、少しでも怪物から遠ざかるために『ウインドライダー』システムの飛行能力を全開にして吹雪の中を飛び立った。
「安田さん、すぐに戻ります!」
伸田は背後を振り返り、安田の無事を祈りながら叫んだ。
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牛頭人身の怪物ミノタウロスのバリーに『ロシナンテ』の後部を持ち上げられ、傾く車体の後部座席に座るSITの島警部補と皆元 静香は前の座席に押し付けられた。
そして、後ろを振り返った二人は揃って恐怖の叫び声を上げた。
「きゃああああっ!」
「くっそお! もう一匹、バケモノが現れやがったあっ!」
運転席に座りハンドルに押し付けられる姿勢になった鳳 成治が島に向かって叫んだ。
「島警部補! 後部バンパーガンを撃つんだ!」
現在、『ロシナンテ』の火器管制システムは手動に切り替えられ、完全自立型人工知能『ロシーナ』の制御から後部座席に乗る島に委ねられていた。
「了解っ! くらえ、牛のバケモノ!」
後部バンパー中央部に一門だけ取り付けられた『バンパーガン』が火を吹いた。
「ガガガガガガッ!」
「ブ? ブモオオオーッ! 」
『ロシナンテ』を後方から抱え上げていたバリーはちょうど正面に立っていたので、わずか十数cmの距離で『バンパーガン』から発射された数十発の5.56x45㎜NATO弾を下腹部から大腿部にモロに喰らった。
さすがのバリーも、この突然の攻撃には驚き、思わず両手で持ち上げていた『ロシナンテ』の車体後部を手放した。
「ズシーンッ!」
「きゃあっ!」
約1mの高さから落とされた『ロシナンテ』の後部車輪が地面にぶつかって大きくバウンドした。静香が短い悲鳴を上げる。
「二人ともしっかり掴まってろ!」
「ギャリギャリギャリーーッ!」
鳳がアクセルを踏み込み、『ロシナンテ』を前方に急発進させた。
次の瞬間、『ロシナンテ』の前方に立ち腕組みをしてニヤニヤ笑いながら眼前の光景を見ていたライラの姿が突然消失した。
ハンドルを握っていた鳳は急発進させた『ロシナンテ』がライラを撥ね飛ばしたか車体の下部に轢きつぶしたかと思い、一瞬肝を冷やして目を瞑ったが、何かに衝突したり乗り上げた様な感触は全く無かった。
では一体、ライラはどこへ行ったのか?
「はははははっ! やるじゃないか、アンタ達!
でもねえ、バリーを怒らせちまったようだ! 怒ったアイツは恐ろしいよ!」
頭上から突然聞こえてきた女の嘲笑に、車内の3人は驚いて上を見た。
すると、先ほどヒッチハイカーに開け放された天井部に3人で応急処置のために張った防水シートが捲り取られ、美しいが残忍な表情を浮かべたライラの顔が車内を覗き込んでいた。
驚いた事に、ライラは一瞬の間に『ロシナンテ』の上部に音も無く飛び乗っていたのだ。
車内の3人は見た目が非常に魅力的で美しいこの女に、バリーに対してと同じくらいの恐怖を覚えずにはいられなかった。
「ほらほら! 怒ったバリーが追っかけて来たよ!
楽しくて恐ろしい闘牛ショーの始まりだ! あっははははは!」
「ブッモオオオオーッ!」
怒り狂ったバリーが『ロシナンテ』の猛追撃を開始した。
「ドドドドドドドッ!」
「ガガガガガガッ!」
島がバリーに向けて容赦なく『バンパーガン』を撃ち続けた。たとえ相手が生身だろうと容赦などしようものなら、こっちがやられる。
鳳 成治が『ロシナンテ』を凍り付いた国道のアスファルト舗装に載せた。
たとえ路面の積雪が凍結していようと、『ロシナンテ』に装着されている雪道仕様の特殊スタッドレスタイヤには何の支障も来さない。鳳がアクセルを目一杯踏み込むとチューンアップされたエンジンが爆発的に回転数を上げ、すぐに時速100㎞以上を叩きだした。
さすがのバリーも『ロシナンテ』との距離をぐいぐいと開けられていく。
「キキキキキキーッ!」
タイヤと路面の間から砕け散った氷のしぶきを上げながら鳳が『ロシナンテ』をスピンターンさせ、車体を180度回転させると追いかけて来るバリーに車体前部を向けた。
「今だ、島警部補! ヤツにバンパーミサイルをぶち込め!」
「了解ッ!」
鳳に即答した島が液晶モニターに映し出された『バンパーミサイル』の照準をバリーに合わせた。
「牛のバケモノにロックオン! 発射ッ!!」
島が叫びながら発射スイッチを押した
「バッシューッ!」
『ロシナンテ』の右前部バンパーのミサイル射出口から発射されたミサイルが白煙を引きながら、迫り来るバリーに猛然と襲いかかっていった。
「ドッカーンッ!」
「やった! 直撃だ!」
歓声を上げた島が隣に座る静香の肩を叩いた。
静香はいくら相手が敵だったとしても、生き物に対してミサイルを撃ち込む事を島の様に素直に喜んでいいものなのか、複雑な表情を浮かべた可憐な顔を爆発の起こった前方に向けていた。
運転席に座る鳳は島や静香とは違い、感情を表わさない冷静な面持ちで爆炎と煙に包まれる前方をジッと見つめていた。
『ロシナンテ』車内の3人がそれぞれの気持ちで見守る中、信じられない事が起こった。
徐々に晴れていく黒煙の切れ間から、倒れずに立ち尽くすバリーの巨体が姿を現して来たのだ。
「ブッモオオオオーッ!」
動きを止めて立ったままのバリーの頭部が天を大きく仰いだかと思うと、周辺一帯に響き渡るほどの猛牛の雄叫びを上げた。
「し、信じられん… ミサイルの直撃を受けてもヤツは平気なのか…?」
後部座席の島が恐怖に震える声でつぶやいた。
無理も無かった。『バンパーミサイル』は小型とはいえ、一発で世界最強の戦車でも行動不能の状態に陥らせるほどの威力があるのだ。
しかも、先に『バンパーミサイル』を喰らったヒッチハイカーも同じ様に無事だったとはいえ、立っていた場所から吹き飛ばされた身体に大きな損傷を受けていた。
しかし… 立ち位置さえ変わらないままのバリーは、下半身に着用していた皮製のズボンやコンバットブーツらしい編み上げの靴こそボロボロに破れていたが、剥き出しになった灰色の肌をした生身の肉体に損傷は認められなかった。
空を見上げ雄叫びを上げていたバリーが頭をおろし、『ロシナンテ』をギロリと見据えた。
「うふふ… 残念だけど、あんなミサイル程度じゃあバリーは倒せないわよ。
それにアンタ達、彼を怒らせちゃったみたい…」
突然聞こえたハスキーな女性の声に、車内の3人はギョッとして上を見上げた。驚いた事に、妖艶な美女ライラが車から振り落とされもせず、依然として涼しい顔のまま破損した屋根の上に乗っていたのだ。
「バリーに灯った怒りの炎は、きっとアンタ達を皆殺しにするまで消えないわね…可哀そうだけど。」
真上から車内を見下ろすライラの顔には、話す言葉の内容とは裏腹に楽しそうな表情が浮かんでいるのだった。
ライラの真下にいる島と静香の二人は、背筋を冷たいものが這うのを感じた。
島も静香も、この残忍な二人組を鳳が『殺戮のライラ&バリー』と呼んだ理由を理解出来た気がした。
そんな二人の気持ちなどお構いなしに鳳が叫んだ。
「島警部補! 残りのミサイル一発を、もう一度ヤツにお見舞いしろ! 急げ!」
「りょ、了解っ!」
鳳の命令に島が答えながら、もう一度『バンパーミサイル』の照準を立ち止まっているバリーに合わせた。
『ロシナンテ』に4発搭載されていた『バンパーミサイル』はヒッチハイカーとの戦いで既に2発使用していたため、残り一発となっていた。
「ブモオオーッ!」
それまで止まっていたバリーが大きく一声吠えると、再び『ロシナンテ』に向けて突進を開始した。
「ドドドドドドドッ!」
地響きを上げ、地面に降り積もった雪を舞い上がらせながらバリーが迫る。
「ミサイル発射!」
「バッシューッ!」
発射された『バンパーミサイル』がバリーに向けて直進する。だが、バリーにはミサイルを避けるつもりは全く無い様だった。
彼は頭を低くし二本のツノを前へ突き出す体勢で一直線に疾走した。
「ドッカーンッ!」
『バンパーミサイル』は、バリーの突き出していた頭部を直撃して炸裂した。
「ミサイル着弾! 今度こそどうだ!?」
島が期待を込めて前方を食い入るように見つめながら言った。
「きゃああああっ! まだ来るわ!」
静香が両手で口を押え目を大きく見開いて叫び声を上げる。
またしても爆炎と煙がバリーを包み込んだが、牛頭人身の魔人は疾走を止めなかったのだ。
「バケモノめ! バックするぞ、二人ともつかまってろ!」
鳳がギアをリアにシぶち込みアクセルを踏み込んだ。
「ギャリギャリギャリーッ!」
4WDの車輪が凍てついた地面をしっかりと捉えて逆回転し、『ロシナンテ』がバックに急発進しようとした。
「ギャギャギャーッ!」
だが、四輪駆動の4本の特殊スタッドレスタイヤは地面の雪と土を盛大に巻き上げるだけで、『ロシナンテ』の車体は一向に後進しようとしなかった。
「鳳さん! 一体どうなってるんだ!?」
混乱した島が大声で叫びながら後ろを見る。
「うわっ!」
「きゃあ!」
島と静香が同時に叫んだ。
振り返った彼らの目の前にあるリアウィンドーの向こうから、ライラの美しくも残忍な笑顔が覗いていたのだ。
そして、真っ赤なルージュの似合う形のいい唇を動かしながらライラが車内の者達に告げた。
「残念だけど、ここからは逃がさないわよ。観念する事ね。」
車内の誰もが、この恐ろしい光景を信じられなかった…
ピッタリとフィットした黒革のボディースーツに包まれた身体は、見た目はしなやかな筋肉質の様だが決してマッチョではなく、むしろファッションモデルの様にほっそりとした美しいライラが片腕で、全力でバックしようとする『ロシナンテ』の車体を押し返しているのだった。
「ダメだ! 一向にバック出来ん!」
振り返って叫んだ島が前方に目を向け直した時には、バリーの突進して来る姿が『ロシナンテ』からわずか十数m先に迫っていた。
「ぶつかるぞ! 口を閉じて衝撃に備えろ!」
その時、一人だけ目を瞑らず前方を見据えていた鳳は見た…
突進して来たバリーの2本のツノが『ロシナンテ』の車体前部に突き刺さろうとしたまさにその瞬間、バリーの巨体が鳳から見て右から左の方向へと凄まじい勢いで吹っ飛んでいったのだ。
それはまさに一瞬の出来事だった。
恐らくバリーの激突に向けて疾走するスピードは、時速100㎞を優に越していただろう。その凄まじい運動エネルギーで『ロシナンテ』に激突しようとする直前だったバリーを横向きに吹っ飛ばしたのは、バリー以上のもの凄い勢いで右から突然飛び込んで来た白い影だったのだ。
その動きは人間の肉眼でハッキリと捉えられる速度では無く、一陣の白いつむじ風とでも表現するしかなかった。
右方向から凄まじい勢いで飛び込んで来た白い物体は、激突したバリーと一体となって『ロシナンテ』の車体を掠めながら左斜め後方へと飛び去って行った。
「ドドドドオオオーンッ!」
バリーと白い塊は地響きを上げながら一度地面に強く叩きつけられた後、何度かバウンドしながら徐々に速度を落として転がって行った。
やがて動きを止め、地面に俯せに横たわった巨体のバリーの背に前脚を載せて抑え込みながら、スックと立ち上がったのは一頭の白い野獣だった。
野獣の全身を覆うフサフサとした白い毛皮には、幾筋もの黒く美しい縞模様が浮き上がっていた。
バリーに凄まじい体当たりを喰らわせて『ロシナンテ』を危機から救ったのは、尻尾の先までの体長が3m余りもある一頭の大きなホワイトタイガーだったのだ。
顔を『ロシナンテ』の方に向けたホワイトタイガーが、大地を揺るがし『夕霧谷』一帯に轟き渡るほどの大音量の声で吠えた。
「ライラあぁーっ! 俺の大事な愛車と仲間達に手を出すんじゃねえーっ!」
驚いた事に、ホワイトタイガーが口から発したのは猛獣の雄叫びでは無く、人間男性のハッキリとした日本語だったのである。
この、空気と大地を揺るがすほどに響き渡る雄叫びを聞いた鳳 成治の顔に、久しぶりの安堵の表情が浮かんだ。
ライラとバリーの出現から、今目の前で突然起こった一連の出来事まで、さすがの冷静沈着な鳳 成治も全身に冷や汗を流し手に汗を握りっぱなしだったのだ。
そして今、バリーとの激突を回避した事で、それまで全身に張り巡らされていた緊張の力が一気に抜けていくのを感じながら、『ロシナンテ』の運転席に座る鳳 成治がつぶやいた。
「ふ、ふふふ… 遅いぞ、千寿。
それに、お前にとっては俺達3人の命よりも愛車の方が優先順位が上だってのか…? クソッたれ野郎め。」
憎まれ口を叩いてはいたが、今まで緊張の連続で入りっぱなしだった肩の力を、ようやく鳳は抜く事が出来た様な表情をしていた。
この突然現れたホワイトタイガーが、それほどまでに鳳に安堵感を与えたというのだろうか…?
そうなのだ。
『ロシナンテ』を窮地から救ったホワイトタイガーの正体は、鳳がこの世の誰よりも信頼を置く旧友であり、神獣白虎の姿へと変身した『風俗探偵』こと千寿 理その人だったのである。
彼こそ鳳 成治が唯一心を許し、安心して自分の背後を任せられるかけがえの無い親友なのだ。
「ふ、待たせたな相棒… この化け物どもは俺に任せろ。」
吹き荒れる吹雪の中、離れた場所に停車中の『ロシナンテ』内では聞こえるはずも無かったが、白虎の発したつぶやきが確かに聞こえた気がした鳳も、白虎に向けてウインクしながらつぶやき返した。
「ああ… 任せたぜ、相棒。」
【次回に続く…】
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