中世の本質(32)日本史:三つの歴史と二つの革命

 

 筆者は日本史の基本の形が次のようなものであると考えます。―――日本はこれまで二つの革命を通過して来た、一つは古代をひっくり返し、中世を造った中世化革命であり、もう一つは中世をひっくり返し、現代を造った現代化革命です。その結果、日本史は三つに区分けされ、古代史、中世史、そして現代史が生まれた、と。
 歴史の交代とは古代が中世へと変わること、そして中世が現代へと移ることです。それは支配主体である国家支配者、国家体制、国家政治の三つが根底から変わることです。それを成し遂げる行為が革命です。
 従って革命とは単なる支配者の交代でもなく、時代の移行でもなく、あるいは土地制度や社会の変化でもありません。歴史の変化に比べれば例えば荘園制の成立や院政の始まり、守護、地頭の設置や石高制の施行も小さな出来事でしかありません。それは時代の変化、そして社会の変化をもたらしたに過ぎない、しかし国家の大転換ではありません。ですから歴史を区分するとは国家の大変化を見極めることです。
 これまで日本においても西欧においても中世化革命という言葉は存在しませんでした。ですからこの言葉は筆者の造語です。歴史学において何故、それは存在しなかったのでしょう。古代を清算する、そして中世を造るこの世紀の行為は何故、認識されなかったのか。何故、見過ごされてきたのでしょう。それは歴史学の大きな問題です。
 日本史における中世化革命は400年に及ぶ長く、重たい革命です。しかも興味深いことですが、革命当事者たち――頼朝や義満や秀吉などはそれが革命であるとは知らず、古代支配を清算した、そして分割支配を開発し、継続、発展させてきたのです。言わば日本の中世は頼朝が餅を搗き、義満や秀吉が餅をこね、そして家康が餅を食べた歴史です。
 いずれにせよ中世化革命が実行されたからこそ古代の専制主義は淘汰され、中世の主従主義が誕生し、そして中世世界が形成されたのです。秀吉によって古代王が実権を剥奪され、日本国の象徴と化しましたが、それはまさに古代消滅の象徴といえます。それは絶対王権から相対王権への最終的な移行でした。
 そしてこの400年の間に古代の悪の数々は武士や農民によって駆逐されて、新たに中世独特の制度や思想や精神が築かれたのです。平等主義や現実主義が芽生えて、自律や順法の精神が育ち、そして村自治が成立しました。
日本は国家として根底から変化したのです。ですから頼朝から始まった中世化革命は秀吉においてその極点に達したといえます。そして家康は革命の意志を引き継ぎ、中世世界をさらに磨き上げたのです。
 そして世界史の観点から見ますとアジア、アフリカにおいて日本のみが中世世界を創り上げた国です。そして日本以外に中世国を立ち上げた国は世界で西欧諸国だけです。すなわち西欧諸国も中世化革命を起こし、双務契約を開発し、分割主義を実践し、そして相対王権を樹立していました。
 中世化革命は歴史事実です。中世化革命は鎌倉時代から室町時代を通過し、桃山時代へと流れる一本の太い流れであり、鎌倉時代から桃山時代までを緊密に、親密に結び付け、生気ある、動感あふれる、そして合理性ある歴史を造り出しました。
 鎌倉時代から桃山時代までの期間は中世の誕生期、成長期、そして確立期といえます。そして江戸時代は中世の盛期そして衰退期といえるでしょう。その点、頼朝や義満や秀吉や家康などは皆、同志であった。彼らは日本を豊かな、そして治安に満ちた中世国にするという同じ目的を持つ中世王でした。
 中世700年は統一感のある、生気あふれる歴史です。中世化革命とその美しい軌跡が認識されなければ鎌倉時代などの各時代は特別の共通項を持たず、単に年代的に連続するだけです、ばらばらに存在する。そこに登場する人物や事件は表層的に把握されるだけです、しかし中世化革命の推移の中で、つまり歴史の底流の中で見つめられ、検証されることがありません。それは静止的で閉鎖的な歴史観です。そして国家の一大変革、すなわち古代の消滅と中世の確立という歴史の醍醐味は表現されません。
 中世化革命という概念は歴史教科書に取り入れられるべきです。そして中世化革命を構成するもろもろの歴史事実が紹介されるべきでしょう。そうであれば子供たちは中世日本の成り立ちと日本史の精確な推移を学ぶことができます。そして彼らは日本の歴史の美しさを感じ取るに違いありません。しかし今の子供たちは生気のない、歪められた日本史を学んでいるのです。
 もう一つの革命である<現代化革命>もあいまいな形で理解されています。この言葉も一般に普及しているものとは言えません。産業革命やフランス革命など現代化のための革命は明確に言語化され、いろいろと定義されていますが、現代化革命という単語は確かに存在しているとは言い難い。
 ここで論じる現代化革命というものは中世を清算し、そして現代を立ち上げる革命です。それは明治維新に違いないと指摘されるかもしれません、しかしそれは違います。現代化革命は明治維新ではありません。それは明治維新を含めた、明治時代から今日までの約150年、続く革命です。つまり明治維新は現代化革命の入り口であるということです。現代化革命は明治維新を突破口にして明治時代から令和の時代まで継続している革命です。
 革命は一朝一夕で済むものではありません、そんなに簡単なものではない。国全体が、そして社会が大きく転換する、そして国民の精神がはっきりと切り替わるためには一世紀も二世紀をも必要とします。日本の中世化革命は400年を費やしていました。
 維新の革命家たちは中世の支配体制を破壊しました。それは徳川と大名たちを追放し、彼らの主従政治を廃止し、分権制を中央集権制へと切り替え、そして新しい国家の支配者として憲法を据えました。そして革命家たちの遺志を継いだ職業政治家と日本国民は明治時代、大正、昭和、平成、令和と日本国の現代化をすすめてきました。法治を盤石なものとする、そして中世の不完全な平等主義や現実主義や人権や自治をより完全なものとするために奮闘努力してきたのです。
 それでも現代化は道半ばです。まだまだ改革すべき事柄や改良すべき事柄は残っています。例えば21世紀の今も小型の特権者が社会のあちこちで幅を利かせています、古代の悪である血縁、縁故、世襲などが時々、噴出します、汚職も完全に消えたわけではありません、男女格差の不平等も依然として残っています。
 限りはありません。完璧な世界というものは永遠に現れないでしょう。それでも少しずつ、休むことなく、あきらめることなく、古代の悪や中世の悪を封じ込め、誰にとっても気分の良い社会を築くことは大切なことです。それが民主主義の実践です。その点、現代化革命は今も継続中です。
 中世化革命と現代化革命とこの二つの革命が存在したからこそ日本に折り目正しい歴史の進展がもたらされたのです。それは誇るべきことです。そして日本人はこれからも中世精神に則って誇るべき日本を造っていくことでしょう。

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