武士論を検証する(11):法治国
<貧すれば鈍す>ということわざがあります。立派な人であっても生活が貧しくなると、余裕を失って愚かなことをするという意味です。日本史を振り返ってみるとそれはほぼ真実です。古代王や中世王や大名たちが皆、立派な人たちであったと仮定します。そんな立派な人たちも財政難に陥るとそれまでの法や契約を平気でねじ曲げる、あるいは無視する、そして財政を立て直すために自分にとって都合の良い政策をたち上げる。それは多くの場合、国民や領民へのしわ寄せとなる。例えばそれは重税や専売制です。それは特に農民たちを苦しめた。江戸時代の大名の農民圧迫は有名です。
奈良時代から江戸時代末期まで、1000年以上に渡り日本人を支配してきた者は古代王であり、中世王であり、そして大名たちでした。それは人が人を支配するという<人治>です。そして人間は弱いもので、貧すれば鈍するのです。人間が支配者である限り、その支配はいい加減なもの、そしてしばしば残酷なものとなる。被治者である国民だけが苦汁をなめるのです。
村に村法があり、都市に都市法があったように国には国法がある。国法とは憲法です、<国民の合意>です。明治維新において日本国の支配者は憲法となります。支配者は古代王でも無ければ徳川でもありません。そして重要なことは憲法が<貧しない>ことです。それ故、常に一定の規範を示す。不動の指標です。法による支配を<法治>と呼びます。それはいい加減な人治に対峙するものです。
総理大臣も国会議員も一般の国民もみな法に従います。日本人は法を尊重し、法を順守する、そうであれば国は日本人に生命、財産、そして尊厳を保障します。一方、国民はその見返りとして国に対し、納税と勤労の義務を果たします。それは現代国における双務契約です。国民全員が<等しく成り立つ>のです。洗練された安全保障です。
国民は法を順守することによって安全を手に入れます。国民は最早、特権人種(古代王や中世王や大名など)に服従する必要は無くなったのです。人が人を支配するという不安定で、時として非人間的なものとなる支配体制(人治)は淘汰されたのです。その点、法治は人類にとって究極の支配体制です。
しかし法治国は無条件に成立するものではありません。簡単なものではない。そこには厳しい条件があります。条件とは国民が順法精神と誠実さを備え、それを十分に発揮することです。誠実に法を守ること、それが唯一、法治国を成立させる絶対的な条件です。
今日、法治国と認められる国は日本、西欧諸国、そして西欧人が建国したアメリカやカナダ、オーストラリアなどです。世界の中では少数派です。いずれも中世史を持つ国、そして中世を経験した国民が建国した国です。彼らは18世紀および19世紀に人治を否定し、法治を目指す革命を断行しました。現代化革命です。彼らは流血の惨事を繰り返しながら中世の特権階級を殲滅し、憲法を制定し、そして議会を開きました。法が支配者であることの宣言です。
革命の成功は勿論、革命家たちのおかげです、そして同時に中世人のおかげでもあります。すなわち武家支配の下、日本人は双務契約や村自治を律義に実践し、中世の精神をしっかり身につけてきた、それ故革命家たちによって突然、用意された憲法や議会(国自治)の意味を速やかに理解できたのです。それは村法や寄合の発展したものでしたから。
中世700年間の双務契約と自治の経験が革命を成功に導いた。革命家たちがいくら勇敢であり、賢くあっても法に従う精神や自律の精神が日本人に涵養されていなければ憲法や議会は絵に描いた餅でしかありません。
つまり現代国の成立は国民が中世を経て、中世の精神を身につけていることが絶対条件です。革命家の活躍と共に中世の存在こそ現代化革命を成功させる絶対の条件でした。今日、日本人の誠実さと順法意識の高さは世界的に有名ですが、それは実に武士のうち立てた中世にこそその真因があったのです。
一方、中世史を持たない国の国民は双務契約と自治を経験していません。ですから彼らの国に革命が起こり、革命家たちが憲法を制定し、議会を開いてみても残念ながら法治は実践されず、それ故民主政治は正常に機能しません。空回りです。革命は失敗します。古代国は古代国のままであり、しかし現代国へと進みません。
例えば今から10年ほど前に起こった民主化運動、<アラブの春>はそれを象徴的に物語っています。アラブの国々は過去2000年間、古代国でありました。いくつもの古代国が消えては現れた、その繰り返しである長い、長い古代史を持っています。そんな古代国がいきなり民主化を目指したのです。しかし当然の結果でありましたが、その民主化は失敗しました。
彼らは独裁者の追放に成功しました、しかし肝心の民主政治を正常に運営することはできませんでした。民主政治は国民の間に根付かなかったのです。アラブの国民には法を順守する精神、多数決に従う精神、自制する精神、すなわち中世の精神が深く染み込んでいなかった。暴力が法の上に立つのです。暴力が法をねじ曲げる、あるいは無視する。今日、アラブの国々は例外なく独裁者が支配する古代国となっています。
つまりアラブの春は旧い古代国が倒れ、そして新しい古代国が誕生しただけのことでした。法治主義の確立無に民主政治は定着しません。古代国が中世を経ずに現代へ至る道は想像できないほど険しいものです。こうした民主化の失敗は枚挙にいとまがありません。
古代国にも法はあります、しかしそれは専制者の勝手な命令の束でしかなく、国民の合意とは言えません。ですから法はあっても専制者の都合で一瞬にして変更される。すなわちそれは無法です。古代国は無法の地です。専制者の繰り出す命令のみが権力と暴力を携えて国民を支配し続ける。従って古代国の人々の安全保障は古代王への絶対服従となる。国民に自由はありません。
そして古代社会は血縁主義と縁故主義によっても支配されています。中国の血縁主義やロシアの縁故主義は世界的に有名です。中国では権力者の周りに血縁者が群がる、そしてロシアでは権力者の周りに縁故者が群がる。血縁主義や縁故主義は不正や汚職の温床です。結局、血縁や縁故が幅を利かせ、<誠実さ>を押しつぶすのです。正直者が馬鹿を見る、それが古代国です。
現代国にあって不正や汚職は事件であり、マスコミや国民が一斉にそれを非難します。一方、古代国において不正や汚職は事件ではありません、しかし日常茶飯事です。古代国では誰もそれを問いません。古代王の命令、そして血縁や縁故あるいは嘘でさえ法の上に立つのです。当然のことですが、法治主義は成立しない。
今日の世界の二極化は歴史の産物です。現代国と古代国との対立は中世史の有無が原因です。双務契約や自治を数世紀に渡り経験してきたかが問題です。国民の間に中世の精神が培われているかどうかが問題です。専制主義が粉砕されたかどうかが問題です。国家が一度、様々に分割されていたかどうかが問題なのです。
日本や西欧諸国は700年以上をかけてようやく法治国へと到達しました。従って(理論上に限るお話ですが、)ロシアや中国などもそれと同じくらいの年月を費やし、厳しい契約社会を経験し、分割主義を実践し、そして<他者を認める>思想を真に理解するようであれば彼らも又法治国として成立するようになるでしょう。法治は天から降って来るものではありません。
―――(12)へ続きます