中世の本質(31)近世不要

      古代---    中世---     現代---
支配者:  古代王      中世王(封建領主)  法(国民)
国家体制: 中央集権制    分権制        中央集権制
政府:   中央政府     主従政府       中央政府
政治:   専制政治     主従政治       民主政治
人的関係: 上下関係 不平等 主従関係 平等主義  平等関係 
     主義、形式主義   現実主義
人権:   ---      領主権 武士権    基本的人権
               農民権 抵抗権
自治:   ---      村自治       国自治(民主政治)

 さて中世についていろいろ語ってきましたが、契約や平等や人権などという抽象的なことばかりが語られて、退屈された方もいたかもしれません。普通の歴史書とは大分、違いますから。源平合戦や承久の乱や応仁の乱など血沸き肉躍る中世の絵巻物はここにはありません。
 上記に示したものはこれまでの説明を一つの表(ひょう)にまとめてみたものです。このまとめによって中世の理解が深まれば幸いです。ここには日本史の<支配主体の変遷>が描かれています。古代の支配主体、中世の支配主体、そして現代の支配主体です。
 この表(ひょう)からわかることの一つは古代が直接、現代へと連続しないことです。古代の次には必ず、中世が来るのです、そしてその後に現代が来る。古代はいきなり現代へと連続しないのです。歴史は段階的に進んでいます。
 例えば人的関係は三つの段階を経て成立します。人的関係は先ず、古代に上下関係として存在し、次に中世の主従関係、<上下関係プラス平等関係>として複合的に存在し、そして最終的に現代において完全な平等関係として成立します。それは蝶が幼虫、さなぎ、そして蝶と完全変態するように、です。それは魔法のようです。そしてこの変態の経過では中世が重要な役割を果たし、古代と現代を接続しているのです。
 民主政治もいきなり誕生するわけではありません。古代国からいきなり民主政治は生まれない。古代国の政治形態は専制政治であり、古代王の独裁です。この独裁政治が分割され、中世の主従政治となります。中世王と封建領主たちによる共同政治です。そして最終的に現代国はすべての特権階級を排除して、国民による民主政治を確立します。
 この変遷も三段階の移行です。先ず、中世が古代の独裁の塊(古代王)をある程度、粉砕し、いくつかの小型の塊(封建領主たち)に変えます。そして現代がそのいくつかの塊をさらに細分化し、一粒、一粒(国民)にまで粉砕する。つまり国民すべてが参加する政治形態、民主政治が形成されるのです。
 古代の独裁の塊は一機に一粒、一粒にまで分解できないのです。それは無理です。古代の塊は徐々に、長い歳月をかけて切り崩されていくのです。古代は即、現代へと連続しません。ですから中世という歴史は人類の歴史にとって必要不可欠な存在でありました。
 それ故、中世史の有無が国家の形を決定します。すなわち中世を通過した国は現代国(民主国)へと進むことが可能ですが、中世を通過しない国は古代にとどまったままで、現代へと進まないのです。
 古代国では独裁の塊は堅く、それを破壊し、粉砕する者が登場しなかった。封建領主(武士や騎士)がついに登場しないのです。その結果、中世を通過した国は民主国となり、そしてそれ以外の国は専制主義を継続します。専制国です。
 さて日本史は三つの歴史から構成されています。しかし残念なことですが、今日の歴史学は日本史を四つに区分しています。それは近世史という歴史を含めているからです。そして支配主体という概念に無縁であるからです。
 中世400年説、中世800年説、そして中世500年説がその代表であり、近世史を認め、日本史の4分割を主張しています。しかし筆者はこの書において幾度も、そしていろいろの角度からこれらの説の誤りを指摘してきました。
 近世は固有の支配主体を持っていないこと、桃山時代と江戸時代は国家の支配者も体制も政治形態も中世の支配主体であること、そしてそれ故、近世とは中世の一部でしかないことなどです。
 もし日本史に近世という場違いなものが入り込みますと日本史の三段階の変遷が壊れてしまいます。専制主義――分割主義――民主主義という美しい推移が消えて、日本史は専制主義――分割主義――奇妙な突起物(近世)――民主主義という醜い、不合理な変遷となってしまいます。
 明治維新やフランス革命は分割主義を否定した革命ですが、奇妙な突起物を否定したものではありません。西郷や大久保は江戸幕府と全国の藩という中世の分割体制を潰し、中央集権の日本を立ち上げたのです。この分割体制から中央集権体制への移行は歴史事実であり、すなわち中世と現代は直接、連続しているのです。中世と現代の間には一つの歴史も入り込めません。
 従って中世室町時代死亡説を唱える中世論は根底から誤っています。中世400年説、800年説、そして500年説は歴史学の世界から退場すべきです。彼らは桃山時代から近世が始まったと主張する、しかしそんな日本史は存在しません、近世史などというものはありません、中世は室町時代で消滅したのではなく、江戸時代末期まで存続するのです。
 これらの過ちの原因についてはこれまでいろいろの角度から指摘してきましたので、改めて説明することはしません。ただ一つだけ言いたいことは歴史が人間により造られるものであること、しかし土地制度によって造られるものではないということです。そして歴史の検証というものは<他者を認めない人種>と<他者を認める人種>という人間の根本の在り方まで深堀されるべきことです。
 近世は不要です。近世という虚構の歴史は日本史から削除されるべきです。そうすることによって日本史は美しい、合理的な三態の姿を獲得します。そして日本史の発展が精確に表現されるのです。
 歴史教科書や多くの歴史書は近世を除去し、子供たちや読者に日本史の精確な姿を届けるべきです。

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