中世の本質(7)契約社会

 中世王は中世世界に必要不可欠な存在でありました。中世王は国土の分割、分与の権利を握ります。中世王はこの大権をもって領主たちのために本領安堵や新恩給付を行い、領主たちの土地所有を確定する。勿論、領主たちは彼の裁定に従います。それのみが彼らの土地所有を公的に認定するものですから。そして中世王はその安堵を通じて領主たちを支配することになる。
 封建領主たちが中世王を選ぶ、そしてその中世王が封建領主たちを支配する。それは一見、皮肉なことに見えます。けれども現代国の我々も同じ事をしています。現代国の国民は国民の合意として憲法を制定します、そして憲法が現代国の支配者となる、法治です。そして国民は憲法に従うのです。
 現代国の国民も中世の封建領主たちも同じことをしているのです。但し、異なる点は封建領主が支配者として人間(中世王)を選んだ、それは人治の世界です。一方、現代国の国民は法(憲法)を選んだ、それは法治の世界です。それは決定的な違いです。そして明治維新は人治を法治に切り替える現代化革命の入り口でありました。
 古代の支配者、中世の支配者、現代の支配者はこのように本質的に異なった存在です。そして国家支配者の本質的な違いがそれぞれの支配主体を決定し、その結果、古代世界、中世世界、そして現代世界という固有の世界が形成されるのです。
 これが筆者の歴史観です。繰り返しますが、土地制度は支配主体の手段でしかありません。支配者は土地制度に優先しているのです。
 さて土地所有の認定という同じ仕事をするといっても古代王の姿勢と中世王の姿勢は根本的に違います。つまり古代王は土地所有の認定を自らの意向で行うことができます、独裁です。たとえその裁定が恣意的であり、公正なものでなくとも、あるいは常識に欠けたものであろうとそれはそのまま執行されます。誰も反対しません。
 一方、中世王はそうはいかない。土地所有認定の大権を与えられたことは中世王にとって名誉なことですが同時に中世王は厳しい義務を負うことになります。それは彼の認定が公正であることです。封建領主たちにとってみれば当然のことです。そのために中世王を選んだのですから。従って中世王は義務として彼らの領地所有の認定を公正に行わなければいけない。
 中世王という存在が領主たちの合意の上に成立する限り、公正であることは絶対です。身内だから、縁故者だからといったえこひいきは許されない。あるいは暴君のように恣意的に、乱暴に行ってもいけません。
 中世は契約社会です。権利と義務は厳しく拮抗しています。大権は必ず義務を伴う。従ってもしも中世王が公正な判断をしないようであれば(極端な例として)中世王は封建領主によって暗殺される、王の立場から引きずり降ろされる、あるいはその一方的な裁定は非難され、撤回を求められます。それは封建領主の持つ<抵抗権>であり、その実行です。中世王は絶対者ではないのです。
 どの国、どの時代であっても大権を持つ者ほど誠実にそれ相応の義務を果たさなければいけません。

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