まえがき
ドイツで迎える六度目のクリスマスは、前古未曾有の事態に見舞われながらも、しぶとくその伝統的存在感を失わずにいる。職場でも連日大量のシュトレン(※1)が作られるし、各ショーウインドウにはクリスマスらしい装飾が施されていたりするものの、言わずもがな、コロナウイルスの影響でこの二〇二〇年という年は異様な光景の連続であり、クリスマスマーケットを欠いたドイツの冬景色もまた例外ではなかった。
マスク着用は常識になり、新規感染者数の数値を観察する事は日課となり、ドイツを代表する世界的ビールの祭典であるオクトーバーフェストをはじめとする各催し物も軒並み中止となった。十一月には小規模ではあるがロックダウンが再び施行され、つい先日にはその規模がまた厳格化された。
そんな今年はいわゆるバカンスを満喫しきれなかった人もきっと大勢いるだろう。身近での発症例がなかなか無かったのでふとした瞬間に油断してしまいそうになるが、聞くところによるとドイツの感染件数は累計百万件以上にものぼるらしい。あまりに莫大な数字だとこれまた現実味を帯びて来ないなどと思うのは甚だ呑気な頭であるから、自分で自分を叱ってやらないといけないなどと考えていた所、先日同僚であり職業学校に通っている見習い生のクラスメートがウイルスに感染したと聞いて、いよいよ他人事ではなくなって来た。
個人単位で見ても、予定変更に次ぐ予定変更に見舞われた年になった。前代未聞の一大事に、冷静で的確な判断で指揮を執れた人がいたなら、そちらを褒めるべきである。私を含む多くの人は、きっと、不明瞭な明日に目を凝らし、不明確な未来を推測し、見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んでは曇っているのがレンズだと思い、自分のメンテナンスの杜撰さに嫌気が差したりもしたのではないだろうか。
そうして怒涛のように過ぎてきた二〇二〇年も残すところ僅かである。去年の今頃は日本への一時帰国準備とこの時期忙しくなる仕事に追われ何となくバタバタしていたように記憶しているが、今年は当然ながら、一時帰国はおろか、近隣の国への小旅行でさえ自粛を強いられた。
強いられたというと一方的に被害者面をしているように思えるが、あくまでも自己の安全や職場への配慮を加味し、仕方がないと納得したうえでの判断である。しかしいざ、ステイ・ホームという言葉が脳裏に浮かぶ時、それは「家の中に籠る」という任意的な解釈というよりも、「外へ出なかった」という行動が欲求の抑圧と柔軟な対応の上に取られた半ば強制的な解釈の方が自分の意に則っているような気がして、そこに矛盾を見るのである。
しばらく家の中でじっとしていると、そのうちまた外の空気を吸って走り回りたくなるものである。それと同様に、しばらく平凡な日常の中にいると、また困難な環境に身を置きたくなるものである。
そこで私は来年、マイスター学校に通う事を決めたのである。
二〇一八年、三年間の製パン職業訓練の集大成である国家試験に合格し、晴れて“ゲゼレ”というパン職人の国家資格を取得した。それから二年間は実務経験を積みながら資金を稼いできた。その間も幾度となく脳裏に浮かんでは消えてを繰り返してきたマイスター学校という選択肢が、この二〇二〇年の間にその色味を増してきていたのである。これは偏に機が熟したばかりでなく、おそらくひとつのコロナウイルスの恩恵と呼んでも差し支えないのではないかと思う。あるいはそうでも言わなければ気が済まないほど、心の中にコロナウイルスに対する悔恨の思いが蓄積している事の表れかもしれない。
このnoteには、マイスター学校に通う生活の様子を細かく描写していく所存である。手に持っていた望遠鏡を置き、自分の目で見、耳で聞き、心で感じた事を綴っていく事を誓い、これを前書きとする。
(※1)シュトレン [Stollen]:ドイツのクリスマス時期に食べられる焼き菓子。日本では「シュトーレン」とも呼ばれる。
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