ゲンバノミライ(仮) 第22話 ドライバーの山崎さん
山崎智宏は、夜が明ける前に起床した。歯を磨いてリビングに行くと、味噌汁の匂いがしてくる。
「朝早くに悪いね」
「いいのよ。早番の日は仕方がないわ。それより、ちょっと天気が悪いみたいなの。運転、気をつけてね」
「ああ。いつもノロノロ安全運転だから、大丈夫だよ」
朝食をとっていると、だんだんと日が開けてくる。まだ寒いが、日が昇るのがだいぶん早くなった。春が近づいている証拠だ。
自家用車で30分ほどかけて沿岸の現場に向かう。道路はまだすいているが、ダンプトラックや鉄骨のような大きな建設資材を運ぶトレーラーなど既に動き出している車は多い。山崎の向かう現場は、この一本道を抜けていった先だが、そこからさらに沿岸部を奥に進んだ被災地がたくさんある。始業前に間に合わせるために、早朝、いや深夜のうちから出発しているのだろう。
山崎は、大規模な復興街づくりの工事現場で運転手をしている。あの災害で大きな被害が出た地域で、かさ上げや道路などの整備工事が加えて、復興公営住宅の建設も始まったので、ものすごい数の技能労働者が働いている。山崎のように住み慣れた自宅から通勤しているケースはごく一部。大多数は少し奥まったところに整備されたプレハブの宿舎で寝泊まりしており、現場との間をピストン輸送しているのだ。
詰め所に向かうと、今日のメンバーがみんな揃っていた。お互いの分担と運転する車両の割り当てを確認すると、車に向かってタイヤやバッテリーなど一通り問題ないことを点検する。出発まで少し時間があるがアイドリングは禁止されているので、暖房ベストの電源を入れて身体を温めながら少し目をつぶって気持ちを落ち着ける。
そろそろ時間だ。出発しよう。
山崎はもともと、この街の和菓子屋で働いていた。生産ラインではなく、は配送ドライバーとして得意先を回っていた。
災害が起きたあの日も、いつものように近場の店舗を回って内陸部の大型店舗に向かった。ちょうど荷下ろしが終わって工場に戻るタイミングに、大きな揺れを感じた。直後に社長と連絡がとれて、「こっちは危ないかもしれない。配送が終わっているなら、とりあえず今の場所でしばらく様子を見てくれ。その後は家に帰っていい。詳しいことは週明けに考えよう」と指示された。その後は何度掛けてもつながらなかった。あれが最後の会話となった。
翌日、夜が明けてからすぐに沿岸部に向かおうとしたが、途中から道路が塞がれていてたどり着けなかった。丘の中腹に目的地を変えて、途中からは歩いて藪の中を進み、平地を見下ろせる場所に行った。眼下の状況は早朝のニュースで流れていた映像と同じだった。工場がどこにあったのか分からなかった。
生まれ故郷ではないが、和菓子屋に就職してからずっと通った慣れ親しんだ場所だった。いったんは内陸部で働いたのだが、瓦礫(がれき)処理の仕事があると聞き、沿岸部に向かった。アルバイトとして働いていると、今度は復興街づくりが始まり、もっと人が必要になると皆が話していた。
人を求める建設会社による合同説明会の案内が、詰め所に張り出されていた。参加して数社の話を聞いた。高いところが苦手なので、工事現場で実際の作業をやるのはどうしたものかと迷っていると、現場で働く人たちを送迎する人材を探している会社を見つけた。これだと思った。
最初は自分一人だった。まずは内陸にあるホテルと現場を往復した。送迎する技能労働者の人たちが、団地のようなプレハブの宿舎を作った。完成すると、宿舎と現場を行き来するようになった。現場が本格化するにつれ、どんどん技能労働者が増えてきて巨大な宿舎があっという間に埋まり、ドライバーも増員されていった。
被災者用の復興仮設住宅ができると、そこからも働きに来る人がたくさんいた。子どもを送り出してから、短い時間で勤務する人も受け入れていた。
工事現場には、元請けのゼネコン社員たちや実際に作業する技能労働者に加えて、事務処理を手伝う人、トイレ掃除のような雑務を受け持つ人、工事車両などを整備する人、食堂を切り盛りする人など、ありとあらゆる人が集まっていた。まるで小さな街のようだっだ。
送迎の時には、「おはようございます!」「お疲れ様でした!」と元気よく声を掛けるようにしていた。
そうすると、ちょっとずつ話しかけてくれる相手が増えた。早番の時には、ダンプトラック運転手の山川みのりと鳶・土工職人の前園金之助の二人組がいつもの相手だ。
「うちの周りは桜が咲いてきましたよ」
「いいなあ。週末に見に行こうかな」
「そういえば、現場でも花見イベントをやるって聞いたよ」
「そうなんですか! たくさん飲んじゃおうかな」
「俺は、年を取ってそんなに飲めなくなったから、うらやましいな」
「金さんだって若い時はさんざん飲んだんでしょう。そのお腹を見ると分かります」
そんなたわいもない会話から1日が始まると、なんだかほっとする。
宿舎の人たちは、現場との間だけを行き来する毎日だから、大変だろう。それに比べると、今まで通りに自宅で暮らせている自分は本当に幸せだ。あの時、そう思った。
今朝も、いつもの二人が乗り込んできた。
「おはようございます!」「おはよう」
皆が声を掛けるところまでは昨年と同じだが、感染症が広がってからバス内での会話は自粛中だ。もうすぐ春だが花見イベントなど無理だろう。
去年の花見大会は、山崎たちも参加した。酔っ払った面々を宿舎に運ばなければいけないのでジュースで我慢しながら、バーベキューや復興仮設住宅の人たちが差し入れてくれた地元の惣菜などを食べていた。
ぽつんといると、二人が話しかけてくれた。山川はこの街で生まれ育って観光バスの運転手をやっていたという。前園は遠くの街から来ていると聞いた。
「私は和菓子屋でした。本当だったら、こういう場で、うちのお菓子を食べてもらうのに」
そんな言葉が、ふと口から出た。
あの災害からいくつか仕事を変え、日々の暮らしに埋もれる中で、和菓子屋時代のことがだんだんと頭から離れていっていた。毎日車で運転するのは災害前と同じ地域だ。だが、かさ上げが進んで、かつての街の面影は失われていくにつれ、別世界のように感じるようになった。
だが、心の奥底には、やはりしっかりと残っていた。
「それです! そういうのが大事だと思いまぁす!」
真っ赤になった山川が、勢いよく話し始めた。
「私だって、本当は観光バスでこの街にたくさんの人を連れてきたいんです。うちの会社は倒産しちゃったので、みんな違う場所にいってバラバラに働いています。
でも、こうやって現場で働かせてもらえるから、この街に居続けられています。
当時のみんなでいつかまた一緒に働こうって言ってるんです。
山崎さんも、和菓子屋さん、やりましょう!」
「そんなの無理だよ。私は職人じゃないし…」
「そんなの分からないですよ。戻りたいって思っている職人さんがいるかもしれません。新しい和菓子を作ってもいいし。そうしたら、私が『とっておきの名物ですよ!』って紹介しますよ」
「俺も食べに来ようかな」
「金さんは、ご両親とこの街に観光に来てくれるんです。その時に振る舞いましょうよ。約束ですよ!」
そんな約束はできない。
でも、そんな未来は悪くない。
毎日、宿舎から現場に人を運ぶ。
自分がやっているその仕事が何に続いているのか。
山崎は、少しだけ分かった気がした。
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