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第69話 ワイヤーソーの舞さん

「ほら、見てください! きれいな断面。ぎっしりと詰まっています」

コンクリート構造物を解体する会社で働く梶原舞は、構造物の切断作業が終わった後に現れた表面を、必ずじっくりと見定める。

「いい仕事してましたね!」

隣にいる現場監督の山内衛にそう話し掛けると、「おうっ」と応じた。
照れているのか目を合わさないが、目元は緩んでいる。

「中がスカスカだったら、どうしよう…。その時は黙っていてくれよ」

さっきまで不安そうに見ていたが、骨材やセメントが隙間なく詰まっている状況にほっとしたようだ。

梶原が手掛けるのは「ワイヤーソーイング」という工法だ。「ワイヤーソー」や「ワイヤソー」などとも呼ばれる。
解体したいコンクリート構造物に穴を開けて、ダイヤモンドを数珠状に装着したワイヤーを通す。このワイヤーを高速で回転させることで、硬いコンクリートを切断していく。糸で食材を切る料理法の超強力バージョンと言った方がイメージしやすいかもしれない。切り取った部分の断面がきれいに現れることも特徴だ。

こうして大きな構造物を小さなパーツに分解し、別の場所に運んで、最終的には重機のブレーカーでバラバラに壊すような流れとなる。

建設現場でコンクリート構造物を造ると、内部がどうなっているのか直接見ることはできない。老朽化が進んだ段階で、一部を抜き取って状況を確認するケースや、放射線や超音波などで非破壊検査をするケースはあるが、目にできる範囲はごくわずかだ。
全てが分かる訳では無いものの、ワイヤーソーイング工法で切断すれば今まで見えなかった断面が、レントゲンやMRIのようにリアルに出てくる。

もしも、異物が混ざっていたり、空隙だらけになっていたりしたら、建設段階で手抜かりがあったということになる。断面の姿は、施工状況を示す成績表のようなものとも言えるかもしれない。

コンクリートで造ったインフラや建築物は何十年も使われるため、造った本人が解体の現場に立ち会うようなことはほとんどない。梶原は各地の現場で数多くのコンクリートを切り取ってきたが、造った本人と一緒に仕事をするのは今回が初めてだ。

解体対象は、この街に流れる小さな川に架かっていたコンクリート橋だ。あの災害で流され、今は別の場所にある。
小さな橋だが、人間ではとても運べないような重量物だ。こんな離れた場所まで動かす自然の力を思うと、改めて恐ろしさを覚える。

山内は、もともとはこの街で土木工事を中心に手掛ける建設会社の技術者だった。
「怒られながら現場で仕事を覚えて、やっと独り立ちした時に手掛けた橋だったんだよ。だから思い出深くてね」
最初の打ち合わせで、梶原にそう話してくれた。

あの災害が起きる前は公共事業が先細りする時代だった。山内の働いていた建設会社は、そのあおりを受けて業績が悪化していった。故郷で働き続けたかったが、当時は独身で身軽だったこともあり、新天地を求めて都会の建設会社に転職し、橋や道路、下水道などいろいろな現場で経験を積んでいったそうだ。そして、技術者としてのベテランの域に達していた頃に、あの災害が起きた。

「ほんの少しでも良いから何かの力になりたい。そう思うと居ても立っても居られなくて、コーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の事を知って応募したんだよ」

CJVは、官民らが連携して立ち上げた事業体で、梶原にとっては、元請けの立場となる。復興街づくりの構想立案から調査・設計、施工、その後の運営までを一手に担う。施工は、大手ゼネコンからの出向組が中心だが、いろいろな技術者が集まっている。山内のような転職組も多いそうだ。

「運良くCJVに就職できて、自分が造った橋の移設を任されることになるなんてね。
ちょっと複雑だけど、不思議な縁を感じるんだよ」

被災した橋は、本来はもっと早く解体されているはずだった。だが、災害の恐ろしさを後世に伝えるための遺構として残すべきだという意見が沸き上がり、方針が定まるまで時間がかかった。
賛否両論が渦巻き、皆が納得する解を見いだすのは困難だった。

決め手となったのは、橋がある場所だ。
被災者が住む災害公営住宅の予定地内だった。住まいから毎日目に入る場所にあり続けることは、教訓を伝えると同時に重荷にもなる。

残すために、一部だけを切り取り、元にあった場所に近接した川のほとりに戻す。それが結論だった。

大きな損傷を受けた端部はそのままの状態で保存し、比較的原形がとどめられている中央部分は移設後にもメンテナンスを続けることで、コンクリート構造物の行く末も見比べるという構想だ。

移設計画で出番になったのが、梶原たちだった。

ワイヤーソーイング工法には、繊細かつ綿密な計画が求められる。解体工事と聞くと、無造作に壊すような派手なイメージが抱かれがちだが、それは誤解だ。造るときのように安定的に物を積み上げていく工程とはまったく異なる。イレギュラーに構造物が暴れるような事態を避けるために、慎重に計画を煮詰める必要がある。

運びやすいパーツに分解することや、切断した時の構造物の安定性などを考えて、切断面をどこに配置するか。安全に作業しながら求める形に仕上げるために、ワイヤーを通す穴をどこに設けるか。ワイヤーが滑らかに回転するように据え付けなければ、無理な力がかかって、ワイヤー自体が切れて飛び散るような事故につながりかねない。

梶原は、作業管理はもちろんのこと、計画立案時のさじ加減に長けていた。
社長の大久保宏祥からは「今回は壊すために切り取るのではなく、残すために切り取る。そういう役立ち方もあるんだよ。関係者には、いろいろな思いがあるだろうから、そういう気持ちに寄り添うっていうことも、頭の中に入れておいてほしいんだ」と言われた。
梶原は、その言葉を聞き、今までとは違った形で、自分の仕事を愛おしく思えた。

梶原自身は、建設業界にもともと興味があった訳では無い。
周りから「なんでまたコンクリートカッター屋さんなんかになったの?」と聞かれると、いつも答えに窮する。
実家の近くで、割と大きめの会社が良いと思って就職先を探し、行き着いたのが今の会社だっただけだ。
強いて言えば、建設業界へのアレルギーが特に無かったことが決め手だったのかもしれない。

「私は、就職活動で応募した時は、事務職のつもりだったんですよ。
だけど、就職希望者向けの見学会で大きな壁を切っていくのを見せてもらって、気持ちよさそうだなって思ったんです」

「それは何となく分かるなあ。料理で食材をざくざく切るのも気持ちいいよね」

「そうそう。そのもっとダイナミックな感じです。
こんなこと言うと怒られちゃいますが、うちの社長は口がうまくて。最終面接で『梶原さん、いろいろ壊してみない? 結構、快感だよ』って誘われて。にやっとしながら。
そう言われて、『確かに気持ちいいかも』って、思わず頷いちゃったんですよ。それが運の尽きです」

「でも、合ってたんだから、それでいいんだよ」

「まあ、そうなんですが、なんだか見透かされたみたいで、ちょっと悔しいんですよ」

梶原は、そんな無駄話で山内と打ち解けていった。

故郷のために自分が造った構造物を、自分の指揮で分解していく。
どのような気持ちなのだろうか。
梶原には想像が付かない。

作業は順調に進み、無事に最終日を迎えた。
一部の被災者から切り取る作業を見たいという声が上がり、今日だけ希望者の見学を受け入れていた。
二人で寄り添う老夫婦や、幼子を抱く母親、男女の高校生グループなど10人程度が集まった。仮にアクシデントでコンクリートの破片などが飛び散っても大丈夫なように、離れた場所に見学エリアを設けた。山内は住民に説明するため、見学エリアに張り付いている。

梶原は、後輩たちと一緒に、いつも通りに削孔済みの穴にワイヤーを通して機械をセットした。切断後には、隣に据え付けられたクレーンでつり上げる段取りになっている。
ワイヤーが高速で回転していく。巻き付いたワイヤーが、奥側から少しずつコンクリートを浸食していく。手前の端部にまで到達すると、仕上げが近い。

間近の状況をリアルタイムで見えるようカメラを用意し、見学者にはタブレット端末で見せていた。梶山は、ちらっと見学エリアの方に目をやった。参加者たちは画面に見入っているようだ。

すぐに切断中の橋に視線を戻した。

切断作業が完了して縁が切れ、すぱっと二つの塊に分かれる瞬間は、いつみても気持ちが良い。無事に作業が済んで安心すると同時に、なんとも言えない爽快感に包まれる。

クレーンオペレーターに合図して、保存するパーツを引き揚げた。トレーラーの荷台に載せると、仮置き場へと運んでいった。
この場から無くなってしまうとあっけない。トレーラーが見えなくなると、見学エリアの方から、ため息のような声が沸き上がったような気がした。

橋の解体作業はまだ続くが、自分たちの役目はここまでだ。
梶原たちは、ワイヤーやワイヤーソーマシン、防護柵などの片付けを始めた。今回もしっかりと動いてくれた機械たちに感謝だ。

車に機材を積み終えた頃には夕方になっていた。
解体を待つ橋の残りの部分を、夕日が照らしていた。

「梶原さん、ありがとうございました」
振り向くと山内がいた。

「今回は、残すための仕事だったので、ちょっと緊張しました。問題なく終わって、ほっと一安心です。
こちらこそ、お世話になりました」

「次の現場は?」

「まだ決まっていませんが、家から通える所になりそうです。娘がまだ中学生だから、あまり遠くばかりにならないように、気を遣ってもらっています」

「そうか。良かったな」

「山内さんは、この街で働き続けるんですか?」

「CJVって、工事だけじゃなくて、完成してからも維持管理とかを任してもらえる。
だから、持って行ったあいつらの面倒も、ずっとみていくつもりなんだ」

「そうなんですね」

「また来てくれよ。その時には立派な街に戻ってるから。」

「楽しみにしていますね」

梶原は、次の来る時のことを想像しながら、沈もうとしている夕日に照らされた景色に見入っていた。


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