ゲンバノミライ(仮)第50話 時代遅れの朝子さん
「こんにちは。注文の品をお届けにあがりました」
最後の品が来た。予定よりも少し遅い。急いで袋詰めをやらないと間に合わない。
「はーい! 向こうの会議室に運んでください。一緒に行きますね」
この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)で事務職員として働く明石朝子は、大きな声で返事をして立ち上がると、配達に来た酒屋の平川哲也と一緒に会議室へと急いだ。
今日の夕方、全職員と現場に入っている作業員、関係する協力会社幹部らが参加する大規模な安全大会が開かれる。その時に全員に渡す手土産の準備をしなければならなかった。集計上の必要数は1000個ちょっとだが、急きょ増員される作業が出る可能性もあるため、余裕を見て1100個を用意する。余ったら若手らに配る予定だ。
安全大会とは、安全意識の啓発や注意事項の徹底などを図る会議だ。毎年7月1日から7日までが「全国安全週間」として位置付けられており、その準備期間である6月には必ず開かれる。明石の所属するゼネコンでは、本社や支店の安全大会で、社長や支店長、安全担当の部門長らの指示が出される。その内容を踏まえて、各現場でも作業員や協力会社幹部が参加する安全大会を実施する流れとなる。
恒例の安全大会は、今年も開かれた。
だが、今日は、それとは別だ。
1年前に、この現場で、想定を上回る強風が起きて足場が倒壊したことに起因する労働災害が起きた。当時、CJV職員の中西好子が作業員の前園金之助と二人で現場を点検して回っており、倒壊間際に前園が中西を突き飛ばして助けた。その代わりに前園が逃げ遅れて、頭部損傷の重傷を負った。一時は意識不明の状態に陥ったが、その後は回復し、リハビリの成果もあって無事に退院できた。
CJVや、工事を統括するゼネコンは、再発防止策を検討し安全管理を強化した。悪天候が予想されていた中で点検を行ったことが労働災害につながったため、業務状況にかかわらず安全を最優先する方針が改めて徹底された。
災害が起きた当初は緊張感が高まるが、時が経つにつれて徐々に意識が薄まりがちだ。このため、1年という区切りに安全大会を開くことにしたのだ。感染症対策のため会場は分散するが、同時中継で全員が参加する。
建設現場で安全大会を開く際は、日頃の作業への労をねぎらうため、元請けが作業員らに手土産を用意することが一般的だ。今回は、作業を早めに切り上げて夕方に開く。時間設定を踏まえ、酒やジュースとつまみに速乾性の抗菌防臭タオル、携帯用の除菌スプレーを加えたセットにすることになった。配布物の注文や、ビニール袋詰め作業などの準備は明石の仕事だ。
つまみとタオルは先週までに届いていて、ビニール袋に詰める作業は終わっている。酒は、せっかくだから冷たい物を配ろうと、ギリギリの時間に配送してもらい、直前に詰めることにした。
さすがに一人では間に合わない。
前園と、配達してくれた平川の3人で黙々と作業を進める。人によって飲みたいものが違うため、缶ビールを500個、缶チューハイを300個、残り300個はジュースにした。
前園金之助は、怪我で退院した後に遠くの実家に戻っていた。体調が戻って、どうしても戻りたいという本人の意志をくんで復帰することになった。だが、今までと同じような作業は難しい。安全管理の補佐する役目を担うようだ。
感染症の拡大防止のため、余計な私語は極力自粛するルールだが、広々とした会議室にたった3人しかおらず単純作業の繰り返しとなると、手を動かしながらでも段々と飽きてくる。
話し好きの明石は、ついつい口が動いてしまう。
「復帰早々、こんなお仕事お願いしちゃって、なんだか申し訳ありませんね」
「いやいや、いいんですよ。こういうお土産って嬉しいですよ。私はいつも楽しみにしてました。
現場に出ている人たちにちょっとでも喜んでもらえたら、嬉しいですよね」
「お身体の具合はどうですか?」
「おかげさまで、ピンピンしています。リハビリしてから、落ちきった体力を取り戻すためにジョギングをするようにしました。ちんたら走るだけですが、気持ちいいんですよ」
「ジョギングかあ。僕なんか、そういうの全然やってないですよ」
「酒屋さんは、毎日の配達で動き回っているから、すごい運動量じゃないですか」
手を動かしながらも、たわいのない世間話に花が咲く。
「お忙しいのに、袋詰めのお手伝いまでお願いするのは図々しいと思ったのですが、本当に助かります」
「いやいや、あの災害でただでさえ人口が減っている上に、この感染症でしょう。正直、売上げが伸び悩んでいまして。
ほんと、参っています。だから、こうしてたくさんの注文をしていただけるとありがたいです」
「自宅でお酒を飲む人は多いそうですけれどね」
「そうなんですが、インターネットの格安サイトで頼まれる方ばかりです。うちみたいな零細は扱う量が少ないので、値段で太刀打ちできません。僕たちみたいな地元の酒屋の役割は終わったのかもって、自信が無くなっちゃいますよ」
「私も、ただでさえ役立たずなのに、怪我までしてしまって。現場の方や社長に迷惑を掛けてばかりですよ。こうやって働かせてもらえるのは、本当に幸せです」
「皆さんは、ちゃんと仕事されているから立派です。私なんて、お茶くみとか雑用しかできないから、肩身が狭くて。
こういう袋詰めって、面倒ですけれど、一つ一つ作業が終わっていくから、仕事をしているというか役に立っている実感がわくんです。
周りの皆さんに呆れられてしまうので、言えませんけれどね」
何十年にもなる会社員人生を振り返っても、自分には何もない。明石は、そう思うことが多い。
高校を卒業して事務職員として今の建設会社に入り、実家近くの出先事務所に配属された。当時はまだゼネコンという言い方が無かったように思う。いわゆる一般職で、お茶くみ、ちょっとした買い物、事務所の掃除、宴会のお酌を含めた雑用をひたすらやってきた。昔は、青焼きといって、青色の大きな紙に手書きの図面を印刷して工事現場で使っていた。タクシーで現場と青焼き屋を行き来することも多かった。
最初の数年は可愛がってもらえたが、後輩の女性社員が入ってくるにつれ、段々と周りからの視線や扱いが変わってきた。後輩たちが結婚して退社していく中で、なかなか良縁に巡り会えず、気がつけば、田舎で言う結婚適齢期をとっくに過ぎていた。
「いい人はいないの?」
「結婚しないの?」
最初は、その程度だったが、こういうのは段々とエスカレートする。
「いつまでいるつもりなの?」
年下の男性社員から、突き刺さるよな言葉を投げ掛けられることもあった。
今から振り返れば、あの頃はまだまだ若かった。めげずに結婚相手を探せば良かったのかもしれない。
友人たちの出産ピークが過ぎていくのを目にしながら、諦めの気持ちだけが強まっていった。
このまま一人でどうやって生き抜いていくのか。
この会社に何としてでもしがみついていく。それしかない。
頭が良くて仕事ができるのであれば、スキルを高めたのだろうが、平凡な自分にそんな能力など無い。
唯一の武器が人付き合いだった。
セクハラまがいのことは上手にかわしつつ、事務所の幹部に気に入られるようにとにかく気を配った。中年男性が喜ぶような話題を一生懸命勉強して、にこにこ話しかけた。懐に入り込むと、男性職員同士の飲みに誘われるようになり、そうした時は最後まで付き合い、愚痴やぼやきを聞いた。
あの災害が起きるまでは、沿岸のこの地方は大きな工事が少なく、惰性で事務所を置き続けていたような場所だった。本社で華々しく活躍するような人材は来ないということも、徐々に分かってくる。事務所の中では偉そうにしているが、心の中には不満や不安、弱気、挫折感みたいな感情が渦巻いている男性社員も多かった。
飲みの付き合いが深くなると、より一層、皆に大事にしてもらえるようになる。スナックを切り盛りする知人に店の手伝いをさせてもらい、振る舞い方や話の回し方など処世術も学んだ。
そうこうしているうちに、仕事相手や地元関係者との懇親の場にも呼ばれるようになった。不思議なもので、生き残り策だったはずが段々と面白みを感じるようになっていった。
大ベテランのように振る舞っていても、人はそれほど自信満々には生きていない。包み込むように気持ちの面で支えてあげると、年上であっても子どものように可愛げがでてくる。
相手が話したい時に、嫌がらずに頷きながら聞いてあげる。ちょっとした自慢話を聞いたら、わざわざ他の人の目の前で褒めてあげる。くだらないオヤジギャグに大声で笑ってあげる。
やっていたのは、その程度のことだったが、喜んでもらえた。
小さな組織では、上の立場の人間の心をつかんで継承していけば立場は安泰。だが、年下や女性のメンバーからは煙たがられるようになった。
「独身で仕事もできなくて暇だからそんなことができるのよ」
「おばさんが、一生懸命取り入ってる姿って、悲しいね」
そんな陰口も耳に入ってくる。
「なんで何にもできない人が正社員で、仕事ができる私が非正規なのよ」
会社の人件費の使い方が変わり、契約社員や派遣社員が出入りするようになってからは、そんな言われ方もしていた。
表向きは丁寧に扱われるが、女性だけの集まりには呼ばれなかった。
「あざとおばさん痛すぎ!」
派遣期間が延長されなかった年下の女性からなじられたこともある。
明石には、悲しさとか憤りとかは無かった。自分には、こういうやり方しかできないのだから、仕方がない。
自分の行為があざといことなのかは良く分からない。
だが、仮にあざとかったとして、あざといことが、そんなに悪いのか。
選択肢がない中で追い込まれ、この暮らしを維持するために踏ん張って頑張って、わざわざ鈍感に生きているのに。
もやもやとした気持ちは、自分にだってある。
立派な大学を出て、性別に関係なく、必死に働いて、職場のリーダーになる。そういう道を突き進んでいる後輩の女性たちを見ていると、本当に頭が下がる。
今の時代に生まれていたら、同じようにできただろうか。
明石が就職したのは、男女雇用機会均等法が施行される前の時代だ。セクハラという言葉もなかった。
「お婿さんを探して寿退社してくれればいいから」
今では許されない失礼極まりない言葉だが、そういう態度に理不尽さを感じる選択肢すら与えられていなかった。
時代遅れの自分のような存在に対して、今さら、平等っぽい競争の場で頑張れなんて…。そんな気持ちを、誰に吐き出せば良いのか。
「CJVに異動させられると聞いて、私、怖かったんです。今までのルールが通用しないじゃないですか。
いよいよ追い出されるのかな、って思いました」
明石は、最後の缶ビールをビニール袋に詰め終えた。
「ごめんなさいね。変な愚痴を言ってしまって」
前園と平川は少し前に袋詰めが終わっていて、明石の方を向いて話を聞いてくれていた。
「こんな大きな会社に勤めているだけですごいのに、いろいろ大変なんですね。いやあ、私なんかには想像が付かない世界ですよ」
前園が、フォローしてくれた。髪が薄くなった頭頂部をなでながら照れくさそうに話す姿が、何だか可愛らしい。
「明石さんは、優しいんですね。
町会長の坂田さんから聞いていますよ。1人暮らしの仮設の方々を支えてくれているって。
年下の僕みたいなのに言われたら不愉快かもしれませんが、明石さんも甘えていいんじゃないですか。おじさんたちが散々甘えさせてもらってきたんでしょうから」
ゆっくりとした平川の話し方は、なんだか聞いていて心地よい。
「ありがとうございます」
明石は、ゆっくりと頭を下げた。
「袋詰めを手伝っていただいたことはもちろんですが、話を聞いてくれて嬉しかったわ」
そろそろ安全大会の時間だった。
その時に会議室の扉が勢いよく開けられた。CJV職員の中西だった。
「金さん!! 金さーん!!」
前園の顔を見るなり駆け寄ってきた。
「本当にすいませんでした。良かった。戻ってきてくれて…」
「いいんですよ。現場作業はできませんが、安全監視をしっかり務めさせてもらいます。
パソコンとか、何とか眼鏡で現場を見るって聞いていますが、この通りのおじさんなもので、機械は苦手です。
頑張って覚えますので、よろしくお願いします」
「もちろんです!」
明石は、健気な中西を見ていて、うらやましくなった。
自分では選べなかった道をしっかり進んでいく。そういう女性の背中を後押ししたい。
それくらいだったら、できるのかもしれない。
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