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ゲンバノミライ(仮)第35話 風のような美波さん

空気のように存在して周りを支えて、時が流れると風のように流れて消え去っていく。
それが自分にとっての美学だ。

現場と音楽。どちらにも本気になって熱くなれるのは、そういう共通点があるからだと思う。

「分かるだろ?」
美波昭裕は、いつものように隣にいる立山剣と常丘晃に呼び掛けた。
「分かんね」
晃が素っ気なく返す。
剣は、遠くを見ながらうまそうに煙草を吸うだけで、反応すらしない。
毎回、同じやり取りが繰り返される。
受け止め方などどうでもいい。自分がそう思っていることが大事だ。

美波らが作業して、最後の1段の据え付けがようやく完了した。いつ見ても壮観な眺めだ。縁の下の力持ち、という言葉は自分たちのためにあるようなもの。張り巡らされた鋼製の山留め支保工を見るたびに、美波はそう思うのだ。

建設現場で地下構造物を構築する際には、いったん土を掘り進めなければいけない。そのために、まずは外側に地中連続壁と呼ばれる鉄筋コンクリートの壁を作ったり、鋼矢板を打ち込んだりして、仮の外壁を設ける。掘削深度が浅ければそのまま掘っていくが、深い場合は、壁だけでは構造的に持たない。そこで、頑丈な鋼材を壁に沿って配置して、突っ張り棒のように外側に押しつけることで、壁が倒れ込んでくるのを防ぐのだ。
そこで用いられる鋼材は山留め支保工とか重仮設とか言われている。

少し掘り進めると、山留め支保工を据え付けて、壁を押さえてから、次の掘削を進める。これを繰り返しながら、最下段まで到達すれば、一番下の床である底版の鉄筋を組み立ててコンクリートを打設する。

これが固まれば、今まで山留め支保工で受け止めていた力を、大きな床で支えてくれることになる。だから、最下段の山留め支保工が撤去できる。あとは、同じ要領で下の方から床を造っていくにつれて、また1段、さらに1段と山留め支保工が撤去されていく。

最深部の時には重厚な情景を見せるが、山留め支保工が減っていくと貧相にも見えてくる。本設のコンクリートに力を渡して、次の現場に移っていく。それが重仮設の宿命だから仕方がない。

美波が、今の仕事を選んだのはまとまった休みを取りやすいことが大きい。大学時代のサークルメンバー3人でパンクバンドを結成し、今に至っており、現場の空いたタイミングに単発ライブやツアーをやっているのだ。普通の会社員になると、そうした勤務が難しい。

土日に仕事があっても良いので、まとまった休暇を取りやすく、手に職を付けられて、いろいろな場所に行くことができる。なおかつ、基本的に3人が行動を共にできる。
そんな仕事があるはずないと思っていた。そうしたらあった。それが建設現場の職人だった。

それなりの大学だったので、同級生は名の通った企業に入るか大学院への進学がほとんどだった。周りで職人になったのは自分たちくらいだ。

だが、理系で学んだ基礎は、現場と仕事に生かされている。元請けのゼネコンが管理しているが、設置した山留め支保工に異常が無いかは常時監視されている。もしも、想定以上の力がかかるようであれば、外側の壁が崩れてくる恐れがある。逆に力が少なすぎても危ない。山留め支保工に力が伝達されていないということは、別の何かに力が逃げていることを意味する。想定以上の力を受け持っている部分があるとなれば、その場所が崩壊などのリスクを抱えてしまう。
美波らは、スマートグラスで施工位置などとともに、各所の計測データにも気に掛けつつ、作業を進めている。仕事を覚える過程で設計の基礎も勉強しており、作業と理論の両方を大事にしている。

こんな人生になるとは思っていなかったが、良い形だと思っている。

ラジオで聞いた外国のパンクバンドが気に入って、3人でライブに行ったのが始まりだ。照明が暗くなり、気持ちが高ぶってきていたら、登場してきた人たちが目当てのバンドとは明らかに違った。外国人ではなく、普通の兄ちゃんたちだった。
「何だよ」と思った瞬間、ポップでキャッチーな高速メロディックパンクに飲み込まれた。

にわかパンクファンだったので、パンクというとトゲトゲした革ジャンを着てモヒカンでちょっと怖い人たちというイメージしかなかった。そのバンドは、見た目は普通で演奏も正直下手だったが、曲は素晴らしく、すべてが抜群に格好良かった。
「俺たちもやってみよう!」
楽器など持ったことが無かったが、3人の思いは一致した。

きっかけになったバンドは、まだアマチュアで、自分たちが立ち上げたインディーズレーベルからミニアルバムを出したばかりだった。外国の大物パンクバンドの前座から始まり、あれよあれよと人気が出て、メジャーデビューしていった。今や伝説のバンドだ。

美波たちは、エモーショナルなバンドを数多く輩出したインディーズレーベルからデビューし、地道にアルバムを制作していた。食べていけるほど売れてはいないが、小さなライブハウスでイベントをやれば、それなりに集客できた。地方の現場に行った時には、現地のライブハウスに交渉して、地元のバンドのライブに混ぜてもらうのだ。そうすると、新しい仲間や友達が増えていく。全国各地に、そうしたつながりができていた。

あの災害で大きな痛手を負った地域にも、訪れたことがある街がいくつもあった。何かの力になりたいと思っていた。だから、復興プロジェクトの現場に呼ばれた時には、心にふつふつと湧き上がるものがあった

だが、仕事はいつものように冷静に慎重に淡々とこなした。復興するための工事で労働災害などがあってはいけない。いつも通りの平常心を心がけた。

山留め支保工の据え付けが無事に完了し、美波らの仕事ぶりは、復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)からもしっかりと認められた。その頃合いを見計らって、美波は、CJVの所長である西野忠夫に、コンサートイベントがやりたいと申し出た。さらに、現地のバンド仲間とともに、自治体首長の柳本統義が毎週末に定例化している意見交換に乗り込んで、被災地を盛り上げる野外フェスの開催を提案した。

すぐではなく、中央エリアのかさ上げの大部分が完了するタイミングを狙う。そうすれば、これから街が出来上がっていく基盤の上で、門出を祝うようなイベントになる。イベント用の仮設資材は、美波の会社が提供する。社長の金山昇が「宣伝になるなら金を出す」と言ってくれた。

美波は、全国のバンド仲間に声を掛けた。その中には、美波の人生を変えた伝説のバンドも含まれていた。「被災地を盛り上げるためなら、喜んで協力する」とメッセージが届いていた。

その後の準備は本当に大変だった。だが、多くの協力を得て、いよいよ明日開催される。

現場の仕事が音楽活動の力になり、音楽活動が仕事をさせてもらっている街の力になる。
俺は、こういうことがやりたかったのかもしれない。

設営された会場を前に、美波はそんな思いに駆られていた。
演奏の前に、剣と晃にも、伝えよう。
共感は得られないかもしれないが、黙って共に行動してくれる。それが仲間だ。


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