ゲンバノミライ(仮) 第19話 ダンプ運転手のみのりさん
実感ってすごい。
自分が運んできた土砂が少しずつ故郷の基盤になっていく。
山川みのりがダンプトラックの運転手になったのは、この災害が起きて復興事業が始まってからだ。もともとは観光バス会社の運転手だった。この街の観光需要はそれほど大きくなかったため、少し離れた拠点都市で就職して、この地方をバスガイドと一緒に案内して回ったり、観光地を行き来したりしていた。
集合時間にはわくわくした表情で乗り込んできて、バスの中が賑やかな声で包まれる。帰り際には遊び疲れて静かに寝入って、到着するとスッキリとした笑顔で家路につく。運転しているので、つぶさに見ている訳ではないのだが、お客さんの表情の変化のようなものを、運転席に座って感じていた。
お客さんが楽しんでくれると、自分も笑顔になれた。大好きな仕事だった。
だが、あの災害が起きて、観光どころではなくなった。
山川が所属する観光バス会社は、復興事業のために被災地に向かう人たちのための貸し切りバス需要でなんとかしのいで、徐々に戻りつつあった観光需要に望みをつないでいた。被災地支援を兼ねた復興ツーリズムが段々と浸透していったものの、回復にはほど遠かった。
自宅待機が増えて手持ちぶさたになっている時に、工事が進んでいる被災地の方に車で出掛けてみた。両親が仕事の関係で都会に移り住んでしまっていたため、来るのは久しぶりだった。
積み上がっていた瓦礫は撤去されていて、まっさらになっていた。
「復興って、どれくらいかかるんだろう」
ぐるりと周りを見渡して一人つぶやいた。あまりにも被害が大きく、何がどうなれば元に戻るのか想像がつかなかった。
向こうからダンプトラックが走ってきた。
街ができてないので道路の舗装も進んでいない。山川の脇を通ると大きな音とともに土埃が舞った。
「うわっ」
ちょっと顔をしかめた時に、走り去っていくダンプトラックのナンバーが目に入った。
観光バスでお客さんを連れて行ったことがある遠い地域だ。
遠距離だったので緊張しながらも、知らない場所を走って楽しかった。
「一度見てみたかったんだよ。孫と一緒に行けるなんて幸せでした。本当にありがとうね」
旅行に参加した老夫婦から、そう声を掛けてもらったのを今でも覚えている。
あんな遠くからも仕事に来てくれているのか。
復興現場の人手が足りていないとニュースが報じていたのを思い出した。
ダンプトラックだったら、私にもできる。
復興事業の仕事をしたいから退職したいと上司の竹林直人に申し出たら、「現場資材を運び終わったら、もう一度、観光のお客さんを乗せようよ」と言ってくれた。
「1日でも早く戻って来れるように、しっかりと働いてきます!」と返事をした。
建設関係の運送会社に転職した。複数の復興現場に入っているが、せっかくなら自分の街を手掛けたいと、今の現場を志願した。
プレハブ宿舎の1室を与えられ、そこから送迎バスに乗って現場まで行く。作業員詰め所で一休みしてから朝礼が始まり、その日の分担を指示されて、ダンプトラックへと向かうのだ。
団地のようにずらっと並ぶプレハブ宿舎に驚いた。普段は行かないような奥まった場所にあるので、この街に慣れ親しんだ山川でさえ知らなかったのだ。
「建設現場なんかに行って大丈夫?」
両親からは散々心配されたが、そんな不安は現地を見て吹き飛んだ。女性がたくさん働いているので女性専用寮が用意されていた。ゼネコン社員や鉄筋屋さん、資材屋さん、重機屋さんなどと宿舎で仲良くなって、女子会を開くこともあった。
仕事は楽では無かった。小規模集落を整備する場所と、かさ上げする中央エリアの土砂集積地との間を何度も行き来して、ひたすら土を運んだ。山を切り開く作業の進捗によって、その都度、ダンプトラックが向かうべき場所も変わるため気が抜けない。
待機所の近くにダンプトラックのオペレーションルームがあり、一度見せてもらった。地図上にすべてのダンプトラックが表示されていて、人工知能(AI)が最適な配車体制を提案してくれるのだという。手渡されているバイタルセンサーで体調変化の予兆が分かるため、そうした観点も考慮されているそうだ。行き先が決まれば、スマートグラスとイヤホンに通知が来て誘導してくれる。通行可能な道路や渋滞状況などを踏まえた想定所要時間も表示される。それに則って安全運転で走るという流れだ。
現場にはバーチャル体験ルームもあって、昼休みに入ってみたらすごかった。昨日までの現場の状況が3D図面に反映されていて、VR(仮想現実)で現場内を見て回ることができるのだ。歩行者と車、飛行機の三つのモードがあって、歩行者だとゆっくりと散歩ができる。車であれば流れるように現場内の様子を見て回れて、飛行機だったら空から俯瞰して全体像が分かる。
ただ、昼間は、住民の人たちや見学者も来るので、ゆっくりと見るのは気が引ける。女子会で一緒になったゼネコン社員の中西好子に相談したら、「作業員の皆さんも見れた方がいいね!」と上司に掛け合ってくれて、宿舎からの朝一のバスが到着する時間に合わせて体験ルームを開けてくれるようになった。
最初は楽しんでいろいろと見ていたが、その行為の位置付けが徐々に変わってきた。
現場が進むにつれて仮設道路の位置がどんどん切り替わり、昨日まで通れた場所が大きく迂回しないといけなくなることが日常茶飯事だった。VRで自分が通りそうな場所を事前に見ておくと、それだけ運転がスムーズになるのだ。VRでは1カ月先や半年先、1年先の現場の状況も表示される。そうした未来予想図も一緒に見ていくと、ここ数日の動きがだんだんと想像できるようになっていった。そうなると運転の安定性がさらに上がる。
中西によると、配車体制を考えるシステムには運転手ごとの履歴も蓄積されていて、走行速度やブレーキの頻度、毎月の土砂運搬量などのデータが、より効率的な配車に反映されていくという。そうしたデータベースから優秀な運転手をピックアップして表彰する「ベスト運転手賞」なる制度が途中から創設されて、山川は上位の常連となっていた。そうなると、給料が上がるのだ。
友達もできた。
鳶・土工職人の前園金之助だ。年齢はずっと上だったが、「周りのみんなもそう呼んでくれているからいいよ」と言われて、「金さん」と呼ばせてもらっている。
宿舎から現場に向かう一番早い時間のバスで、いつも一緒になっていた。
金さんは、生コンクリートの打設から職人仕事を始めたが、今では、資材の揚重作業や簡単な足場の組み立て・解体、工事が済んだ場所でのちょっとした補修、現場内の安全設備の点検など、いろいろな作業を手掛けているという。
「何でも屋さんなんですね! 私はトラックの運転しかできないから、すごいですね!」
そう言うと「そんなことないよ。言われたことをやっているだけなんだ。中年で体力も落ちているから作業も遅いしね」と謙遜するのだ。その照れる様子が、ちょっとかわいい。
違った種類の作業をしっかりやるのは、本当にすごいと思う。
観光バスの運転手時代に道路工事に遭遇してイライラしたことが何度もあった。振り返れば暑い中でも真夜中でも工事は行われていた。みんな大変な作業をやっていたのだ。現場に入って、そのことが初めて分かった。
金さんは、遠くにある実家から働きに来ている。
「海が近くにあって緑にも囲まれている。この街の景色が好きだよ」
そんなことを言われたので、自分がかつて観光バスを運転していた頃の話をした。
「実は私、この街って見所が全然無いって思っていたんです。ガイドブックに載るような名所はないし、何万人も訪れるようなイベントもありません。
でも、あの災害で跡形も無く消えてしまった今になって、穏やかな海から昇ってくる朝日の美しさや、こぢんまりとでありながらも脈々と続いている春のお祭りとか、紅葉で包み込まれるように見えるあの丘の姿とか、皆さんに見てもらいたい場所がどんどん頭に浮かんでくるんです。
ちょっとずつだけど着実に土を積み上げていく今の仕事は好きです。
でも、やっぱりお客さんを運びたい。『この街に来て良かったよ』『また来たいな』って、そう言ってもらいたい。
それが夢なんです」
「そうかあ。みのりちゃんが、そう思ってるんなら、きっと叶うよ。その時は、うちの両親を連れて遊びに来るよ」
「はい!」
本当にそうなったらいいな。
山川がいた観光バスの会社は、つい先日、倒産していた。ただでさえ落ち込んでいた需要に、感染症の拡大が追い打ちを掛けた。
だが、夢は終わっていない。
かつて上司だった竹林から、「良かったら山川さんも参加しない?」と誘われて、一緒に働いた面々とオンラインで集まった。近況報告をしているうちに、観光バス会社時代の失敗談に話題が移り、未来のことにもつながっていった。
「いつかまた、集まって働きたいね」
皆の偽らざる気持ちだった。
「俺たちは観光のことしか知らなかったから、需要の変動に耐えられなかったんだ。
感染症が流行る前だけど、今働いている福祉施設で旅行イベントを計画した時に、望み通りに対応してくれる会社がなかなかなくて困ったって聞いたんだ。『それだったら、うちでやったのに』って思ったんだよ。
せっかくバラバラになったんだから、違う世界をちゃんと勉強しよう。そうすれば、もっとお客さんに寄り添った柔軟なサービスが提供できるんじゃないかな」
竹林の言うとおりだった。
山川がいる現場にも、ヒントがいっぱいあるように思う。
それを吸収するためにも、まずは一流のダンプトラック運転手になりたい。
腕を上げて、金さん家族に復興を遂げたこの街を見てもらうのだ。
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