ゲンバノミライ(仮)第29話 未完成の吉本さん
「自分のために」だけじゃ、正直しんどい。
年月が経った今、そう思う。
「何のため」なら良いのだろう。
吉本奈保の朝は早い。4時に起きると、着替えや身支度をして朝ご飯を準備する。すぐに食べると昼まで持たないので、まずはお預け。2時間ほど机に向かって大学受験の勉強をする。帰宅後の2時間を合わせても1日4時間しかない。現役高校生や浪人生に比べると全然少ない。地道に続けて、追いつかないといけない。
7時ちょうどか、その次の送迎バスで現場に向かう。
こうした毎日にもすっかり慣れた。ちょっと前までは普通の高校生だったのに。あの頃の自分が、今となっては幻のように思えてしまう。
高校の卒業式が普通に開かれて、みんなとの別れを惜しんで、都会の大学に行って、彼氏ができて結婚して、都会に住み着いて、時々、故郷であるこの街に帰ってきて、昔を懐かしんで。あの災害が無ければ、そんな人生が待っていたと思う。
独りになって、途方に暮れた。嘘みたいだった。「なにそれ」って思った。あまりにも理不尽すぎた。
友達も親戚の人たちも学校の先生も、「自分を大切にしっかりね」と励ましてくれた。支援の手もあった。本当にありがたかった。親切な良い人たちばかりだった。
だけど、本当にほしかったのは、そんな手助けではなかった。今までの普通の暮らし。ただ、それだけを望んでいた。でも、そんなことを口に出せる場面は無かった。
自分の街の変わり果てた姿に、「蹂躙」という言葉が真っ先に浮かんだ。目の前に広がる被害はあまりにも膨大だった。
だが、徐々に建設機械やダンプトラックが街の中を動くようになった。
そんな中で目にしたのが、近くに住んでいた森田真知子だった。
建設会社の社長をしていて、森田の自宅兼事務所では、いつも汗まみれ作業員たちがたむろしていた。そうした姿を周りは怪訝そうに見ていた。自分もその一人だ。
いつも以上に汚れがひどいダンプトラックに作業員と一緒に乗って、走り抜けていった。後から聞いてみると、発災当日から動き出していて、避難警報の鳴り止まない中でも仕事を続けていたそうだ。道を塞いでいる瓦礫は取り除かなければいけなかったし、警察や消防、自衛隊らの救助活動にもサポートが必要だった。
数日後に、自衛隊の人たちが必死になって捜索する姿がニュースに映し出されていた。リーダーの人がインタビューを受けていた。画面の後ろで黙々とスコップを持って作業する女性がいた。男性ばかりの中で小さな身体が必死に動いている。森田だった。取材のことなどまったく意に介さない姿に目が行った。
吉本は、大学に行くつもりだった。現役だから少し背伸びして難関校を受験しており、不合格通知の後に、あの災害が起きた。親戚を頼れば都会に暮らして浪人することもできた。だが、それは違う気がした。
「どうしてなの?」「無理しなくていいんだよ」
何度も説得された。理由はうまく説明できなかった。とにかく嫌だったのだ。
瓦礫が脇にどけられた道とも言えないような道を歩いていて、森田たちが作業している姿を目にした。自分よりも小柄な森田の後ろ姿を力強く思った。近づいていくと、「危ないから、こっちに来たら駄目!」と怒鳴られた。吉本のことを認識すると、「奈保? 奈保ちゃん!!」と駆け寄ってきた。
忙しかったようで、ほんの少ししか話せなかった。
「この街のためにやるしかないのよ」
そんな風に言っていた。
「何か困ったことがあったら連絡してね」と携帯番号を教えてくれた。疲れ切っているのは顔を見れば分かる。それなのに森田は笑顔だった。
「この街のために、か」
皆が周りの人のために必死になって手助けしている。そうした光景ばかりが目の前を駆け抜けていく。
美しいことだと思う。
吉本は、ずっと良い子と言われてきた。そう見られるように振る舞ってきた。
「誰かのためなんて、どうでもいい」
本心を口にできないのが苦しかった。
毎日が過ぎていくにつれ、避難所から人が減っていった。
だんだんと焦りが募ってきた。切実な問題があった。お金だ。自治体の窓口などで聞けば支援制度があったのだが、そこまで頭が回らなかった。
どこかで働かなければいけない。
森田に連絡を入れたが、出なかった。夜になって返信が来た。
「私は、この街のためになんて言えません。でも、働かないと生きていけない。だから働かせてほしいんです」
避難所の外に出て、真っ暗闇の中で自分の気持ちを正直に話した。
森田から「ちょっと考えさせてもらえる?」と言われた。
1日待ったが連絡は来なかった。ただでさえ忙しいのに、私みたいな子どもを抱え込んだら負担になるのだろう。当然だと思った。
翌々日の朝に電話かかってきた。6時前だった。携帯電話の音に慌てて飛び起きた。
「おはよう。奈保ちゃん。いいわよ。雇ってあげる。
ただ、条件があるの。ずっとは駄目。あなた頭いいんだから必ず大学に行きなさい。そのために必要なお金を、うちで働いて貯めること。
もう一つはね、建設会社で何年か働くと受けられる国家資格があるの。それも取ってもらうわ。経験と資格があれば、あの災害みたいなことが起きた時に、きっと助けになる」
「資格ですか? そんなのできるんですか?」
「資料のリンク先をメールするから、それを見てちょうだい」
「分かりました」
「あなたは自分で生きていきたいんでしょう。そうしなさいよ。私、そういうの好きよ。自分のためでいいんだよ。
ただ楽な仕事じゃないからね。逃げ出したくなったら、いつでもどうぞ。そういう人もたくさんいる業界だから、こっちは平気よ。
そろそろ出ないと。明日の朝、また連絡する。その時に返事をちょうだい。
じゃあね」
翌朝、携帯は鳴らなかった。森田が直接迎えに来たのだ。
「やる? やらない? どちらでもいいわよ」
そんな風に言われると、「やります」と応じるしかないじゃないか。
「10分で準備しなさい。さあ行くわよ」
最初は、見よう見まねで瓦礫処理の作業をした。死にそうに疲れた。初日は、驚くほどあっという間に眠りについた。現場のおじさんたちと一緒に作業をしたり、森田に付いていってメモを取って資料を作ったり、いろいろな仕事をした。
今は、復興プロジェクトを一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の下請業者の一員だ。
現場作業の合間に、作業状況を写真にとって整理するシステムや、タブレット端末を使って3D図面と現場との整合性を確認するツールなどの使い方を教わった。
建設のことも現場のことも何一つ分からないのだが、それは問題ないのだという。
現場で働く別の下請企業の人たちに覚えたツールの使い方を教える場面が、徐々に多くなっていった。
「こうやって、点検しなければいけないところを撮影すると認証ボタンが出てきます。そう。それを押すんです。すると右側に図面データが出てきて整合性をチェックして、その結果が表示されます」
「おう、出てきた! 出てきた!」
「問題なければ、このOKボタンを押してください。そうしたら自分の名前と現場IDが出てきますよね。
最初に顔認証でシステムを立ち上げているから問題ないはずなんですが、念のため自分の名前とかを確認してください」
「えーと、こうすればいいのかな」
「そうそう。間違えても、前の画面に戻れますから、心配しないでください。
今度はこっちのパソコンの画面を見て下さい。これはCJVの職員さんが確認する画面のサンプルです。こういう風にリアルタイムに反映されるんです。ここまで来れば終わりです。次の作業場所に移っていけばいいんです」
「へー。すごいね」
「そうでしょう!」
自分が勉強して、分からない友達に教える。学生時代と似たような感覚だった。
現場に出るようになって、毎日が早くなった。夕方5時に仕事が終わると、送迎バスで宿舎に戻って食堂でご飯を食べる。女性専用の宿舎で、同年代の友達もできた。たまに女子会にも呼んでもらえる。仕事が難しくて頭を悩ますこともあったが、楽しいのだ。だから、受験勉強も続けられた。
日々の忙しさは、余計なことを頭から解き放ってくれる。
けれども、そんな状態がずっと続いている訳ではない。
私はなんで今、こうして働いているんだろう。ふと疑問に駆られることがある。
お金も貯まってきて大学への準備は着々と進んでいる。それは自分のためだ。
そうなんだけど、それだけだと、心が折れてしまいそうな気がする。
でも、まだ、故郷のためにという大それた気持ちにはなれない。役に立っているなんて、思えない。
森田とも時折、そうした話をする。
「いいんじゃない。無理に気持ちを整理する必要なんて無いわ。
私も『この街のために』なんて偉そうなことを言っちゃったけど、そうじゃないかもしれない。
時々ね、恨めしそうに見られる視線を感じるの。私なんて、ただ単に故郷の復興事業で儲けているだけかも。そんな風に思うこともあるわ。
心がぐらぐら揺れている時がある。でも仕事は山ほどあるから、やらないと先に進めない。
こう思うんだ。
たぶん、自分の街の仕事だから、迷いがあるんだって。
ゼネコンにいて、知らない街の復興をやっていたら、そんなことは思わない。仕事としてやり抜くだけよ。
自分の故郷だから、奮い立つこともあるし、割り切れないこともある。なんか、そう思うんだ」
森田のような大人でさえ、心の中にぐちゃぐちゃな感情が渦巻いている。
「あなたはまだまだ未完成。それでいいのよ」
別れ際に森田からそう言われた。
その一言がなんだか頭から離れなかった。
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