ゲンバノミライ(仮)第48話 警察の小池警部補
窃盗事件の処理をしていた小池義之警部補に建設現場での事故の第一報が入ったのは、午後過ぎのことだった。
「よりによって…」
思わず言葉が漏れた。
復興街づくりのシンボルとなる工事で、この街の誰もが知っている。徐々にそびえ立っていく姿を見るたびに、ワクワクする気持ちがわき上がっていた。無事に工事が完成してほしい。門外漢の小池でさえ、そう思っていたのだ。
「すごい突風が吹いて、ミシミシとか、鉄と鉄とがこすれ合うような音が聞こえたかと思うと、後ろから『危ない!』って声がして押されて。
それで、足場の脇の方に倒れ込んだと思ったら、ガッシャーンってものすごい音がしたんです。頭を丸め込んで、怖くて体が震えてて。
でも私は無傷で、それではっと我に返って後ろを振り向いたら足場が倒壊していて。金さんが下敷きになっていて」
最初に任意で事情聴取した相手は、街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の中西好子だった。ゼネコン社員で、CJVに出向して現場監督をしている女性技術者だ。
焦燥しきって肩を落とした姿に、いたたまれない気持ちも若干生じたが、そうした感情はこの仕事には邪魔なだけだ。いつものモードで進めていく。
「あなたは、足場が倒れてくる様子を見ていないのですか?」
「はい。倒れ込んだのと同じようなタイミングで大きな音がして。しかも、足場の下にいたので、上の方がどうなっていたのかも分からず。後で映像を見て、強風にあおられて足場の上がぐらぐらと揺れたかと思うと、上端から剥がされるような状態になって」
「映像があるんですね」
「はい。360度カメラで、かなりのポイントを常時記録しています。躯体のところは大事なので3カ所から抑えていました。躯体というのは建物の本体のことです。映像は本社の方でも確認できますので、本社の安全担当部門と管理部門で当時の状況を解析する作業も始めていると思います」
「それを見せてもらってもいいですか」
「多分大丈夫と思いますが、一応、所長の西野に確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ、電話してもらって構いません」
小池が促すと、中西はすぐに携帯電話を掛けた。
「所長からは、包み隠さず説明するよう指示されました」
中西はスマートフォンを操作して、足場の倒壊場面を見せてくれた。
いろいろな角度から確認が可能で、当時の風向や風速、足場を固定している器具にかかっている外力の強さも表示された。足場が倒壊し始める10数秒前に、設計基準を大幅に超える力が固定器具にかかっていて、赤い表示になり危険である警告を鳴らしていたが、時既に遅しということだった。
「周りに他の人はいなかったんですか?」
「はい、二人だけでした。明日、地元の人たちを対象にした見学会を予定していまして、通路の安全対策やゴミなどの片付けとか、そういう雑周りをやりたくて、協力会社さん、いわゆる下請さんですね、何か作業が出たときに対応してもらうので、人を出してもらったんです。
金さんは職長さんではないんですが、仕事ぶりが丁寧で、あと、女性の私にとっても安心できる方でして、私から職長さんに言って、金さんに手伝ってほしいってお願いしたんです。
それが、こんなことになってしまって、私の責任で、金さんは・・・・」
そこまで言うと、中西は取り乱して泣きじゃくり、言葉が出てこなかった。
感情が高ぶった時に、人は本音を出す。非情だが、こういうタイミングこそ、辿るべき原因や責任をつかむチャンスだ。
建設現場のことを詳しく知らない小池ではあったが、足場の倒壊に現場サイドの過失がないかが最大の争点となるを感じた。先ほど見た映像から、強い突風が襲いかかったことは分かる。
だが、不十分な対応が悲劇を招くことは往々にしてある。映像には、基準を上回ったことを示すアラートが示されていた、その基準が、労働安全法制と照らし合わせて、どのような水準だったのだろうか調べる必要がある。そもそも論だが、データが正しいかどうかも疑ってかかる必要がある。デジタルに強いメンバーに当たってもらわなければならない。
そうした冷静な気持ちと同時に、思い浮かぶ光景もあった。
小池は、猛暑の時も雨の日も雪の日も、あの現場がずっと止まらずに動いていて、夜にも現場に明かりが灯っていたことを知っている。深夜のパトロールで回っていた時でさえ、事務所は煌々と輝いていた。
小池自身は、あの災害で大きな被害を受けていない。だが、家も財産も、何より大切な家族を失い、今もなお仮設住宅で暮らす多くの知人がいる。
その中には職場を失い、復興の現場で生計を立てている者も多い。仲間内で集まったときには愚痴も出る。年末に集まった際にも、そんな話になった。あの頃は感染症の問題もなかった。ずいぶんと昔のように思える。
「現場の仕事なんかやったことねえからさ、大変よ。夏は暑いし冬は寒いし、重たい物を持って身体もしんどいさ。
だいたいよ、作業の計画がころころ変わるのよ。先月は、こうやるって言ってたのが、実際には違う手順になって、受け持つ作業も場所も変わって。最初は何だよって思ってたよ」
小池は、職業柄もあって、自分のことを話すよりも相手に話をさせることに重きを置いている。昔に比べて無口になっているが、仲間も百も承知だから聞き入っていても誰も気にもしない。
いつものように酒を口に含ませながら、黙って耳を傾けていた。
その後の知人の言葉が心に残っていた。
「でもさ、違うのさ。俺は自分が被災して、俺ばっかり大変だって思ってたのさ。うちの監督さん、若い女の子なんだけど、都会で働いていたけど、あれが起きてから、いてもたってもいられないって思っていたらしく、赴任が決まって喜んで来たらしいのよ。
そしたら、むちゃくちゃ忙しくて、深夜まで事務所にいて仕事することもあるっていうのよ。俺さあ、びっくりして。工事現場って、夕方になればすぐに酒が出てきて飲んだくれて、金をぱあっと使って豪遊してみたいな、そんなに思ってたのさ。でも違うのさ。
そんな大変でも、監督さんは『やっぱり来て良かった』って言うのさ。
遠距離恋愛で彼氏ともなかなか会えないらしいんだけど、『被災した人に比べれば大変だなんて言えない。お役に立てていることで私が力をもらっているんです』って。俺さあ、嬉しくてさあ」
号泣している中西が、その監督かどうかは分からない。そうかもしれないし、違うかもしれない。
小池の仕事に私情は不要だが、もやもやとしたやるせない感情が渦巻いているのも事実だった。
そんなタイミングで、中西の携帯が鳴った。
顔を上げた中西は、携帯を見て「所長です。出ても良いですか?」と聞いてきた。
小池は、黙ってうなずいた。
「え! 本当ですか?! 本当ですか!!
良かった、本当に良かった。
はい、分かりました。事情聴取が終わったらすぐに向かいます。ありがとうございます。私は大丈夫です。はい」
中西は、携帯を切ると、静かに机の上に置いて、もう一度、泣き崩れた。
しばらく経って落ち着きを取り戻してから、口を開いた。
「金さん、前園金之助さん、一命を取り留めました。意識が戻ったって、現場に連絡が入りました」
「そうですか、それは何よりです」
小池は表情を変えずに、そう返事をした。
意識が戻ったからと言って大けがをしたことに変わりは無く、危険な状況も続いているだろう。予断は許さない。業務上過失致死傷罪の線も消えていない。
でも、やっぱり、良かった。
容疑者になり得る相手に、そうした私見を伝える訳にはいかない。それがもどかしかった。
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