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ぼくは「文字起こし」をコピペしない

みんな文字起こしが好き

インタビューや対談、座談会を記事にまとめる仕事をする人であれば、絶対に一度は使っているのが「文字起こし」である。

改めて説明するまでもないが、文字起こしとは、誰かが喋っている音声を録音し、それをそっくりそのままテキストに起こしたものだ。人によっては「テープ起こし」という人もいる。現代ではテープレコーダーではなくICレコーダーで録音しているのに、なぜかテープ起こし。「ICレコーダー起こし」と言っている人は見たことないし、多分この先もいないだろう。

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それはさておき、文字起こしの世界は奥深い。うちの編集部は、みんな文字起こしの話が大好きだ。「上手い」とか「下手だ」とか「速い」とか「遅い」とか「センスある」とか「センスない」とか……暇さえあれば、みんな文字起こしの話(?)ばかりしている。気がする。

今回は、そんな文字起こしをテーマで書くことにした。

寝ながらスマホで文字起こし

文字起こしは、出版社や新聞社など活字媒体の新人がやらされる“下っ端仕事”の代表選手だ。

「これ、起こしといて」

新入社員の頃、このセリフを何度聞いたか分からない。その場では、「わかりました!」「了解です!」と元気よく言っていたが、正直、面倒くさいと思っていた。

文字起こしは、とにかく時間がかかる。そして、疲れる。とてつもない重労働なのだ。

パソコンでの文字起こし作業とは、ICレコーダーを止めて・キーボードを打って・止めて・打って・止めて・打って、をエンドレスで続けることだ。

経験上、1時間の音声データをきっちり起こすと、平均で3時間はかかる。2時間くらいのインタビューはざらにあるので、それをパソコンで起こす場合、単純計算で6時間は椅子に座っていなければならないことになる。目や腕、指は当然ながら、腰を痛める。

一度、魔が差して、自動文字起こしソフトを1万円くらいで購入してみたこともあったが、当時(6〜7年ほど前)の技術ではあまりに完成度が低すぎて、結局、人力文字起こしに戻らざるをえなくなった。

いかに楽をして文字起こしをするか。そんなことばかり考えてきた。その末に、捻り出したのが「寝ながらスマホ起こし」だった。

その名の通り、寝ながらスマホを使って文字起こしをする方法である。やり方は極めて簡単だ。左手でICレコーダーを持つ。繋いだイヤホンを耳に入れる。右手にスマホを持つ。

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この状態で仰向けになる。左手でICレコーダーの再生・ストップを操作しながら、右手のフリック入力でiPhoneのメモにバンバン文字を起こしていく。

「今まで自分は何をしてたんだ……」と思うほど革命的な方法だった。

まず寝っ転がれるので、体勢が楽。フリック入力ができる人ならば、とんでもなく速い。わざわざパソコンで文字起こしをしていたこと馬鹿らしくなるくらい、高速で文字が起こせるようになった。文字起こしに苦しんでいる人がいたら、ぜひ試してみてほしい。

文字起こしをコピペしない方がいい2つの理由

長くなってしまった。

今回書きたかったのは、スマホ文字起こしの話ではない。文字起こしは手元にあることを大前提として、「記事を書くときに、文字起こしをどう使えばいいのか」ということである。

約5年前、僕は月刊誌の編集部に異動してきた。編集者が自分で書く記事は、基本的には①インタビュー記事、②対談、③座談会のいずれかだ。したがって、1本の記事を書くときに使う文字起こしは原則1つである。

さて、月刊誌に異動してきて初めてとなるインタビューが終わり、文字起こしが上がってきた。ものすごい文字量である。ワードファイルを頭から読んでいく。何度か読み返して、記事の構成を練る。そして、記事を書き始めた。構成を見つつ、使う箇所を文字起こしからコピペしてはめ込んで、文章を整えて……という方法で書き進めていった。

ひとまず記事を書き上げ、当時デスクだった上司に見せた。すると、僕の原稿を一読した上司は、こう言った。

「あのさ、文字起こしはコピペしないほうがいいよ」

そして、

文字起こしをコピペして書くと、薄っぺらい記事になる。だから、文字起こしは絶対にプリントアウトしてから読んで、記事は一言一句すべて自分で書きなおした方がいい」

と続けた。

つまり、こういうことだ。

仮に、文字起こしに、〈私は、その人のことを心から尊敬しているんです。〉という部分があったとする。そして、この文言をそっくりそのまま記事本文で使いたいと思うとする。

その場合でも、コピペはせず、自分でキーボードを叩いて〈私は、その人のことを心から尊敬しているんです。〉と文字起こしとまったく同じ文章を自分で入力しろ、ということだ。

当時は、「はあ、そうですか。面倒だな」と思っていたが、ある時に気がついた。これは非常に重要な指摘だった。

コピペしながら書いていると、文字量は増えるので、どんどん記事を書き進めている気がしてくる。それなりに書けているような錯覚に陥る。ところが、実際に出来上がった原稿のクオリティは低い。

なぜ、コピペすると原稿のクオリティは下がるのか。さまざまな理由があるだろうが、個人的には、大きく2つがあると思っている。

第一には、文字起こしをコピペすると、文章の論理の破綻に気がつきにくくなる。

喋り言葉は、良くも悪くも、いい加減である。会話では、仮に前後の話の文脈が少しつながっていなくても接続詞などで強引につなげて展開していける。ところが、文章ではそういうわけにはいかない。取材時は全然気にならなくても、文字起こしを読んでいると「あれ? ここの文章のつながり変だな」と気づく。ここに「喋り言葉と書いた文章の微妙な差」がある。

コピペはたしかに楽だ。だが、その“楽さ”ゆえに、「あれ? 変だな」という気づき、すなわち「喋り言葉と書いた文章の微妙な誤差」に気がつく機会を逸してしまうのだ。

ところが、文字起こしを読みながら自分でゼロから書いていると、文章の論理が破綻していることに敏感になる。喋り言葉の粗い論理展開を、無意識のうちに微修正しながら書く癖がつくからだ。

第二には、コピペで記事を書くと、「なんとなく」の雰囲気で“記事っぽいもの”ができてしまう。

当たり前のことだが、インタビュー記事を書くときは、インタビュー対象者が言いたいことを完璧に理解していなければならない。語り手に「憑依」して――その人になりきって――文章を書かない限り、いい記事は生まれない。だから、喋っている内容を理解していないと、記事を書き始めることさえできなくて当然なのだ。

ところが、コピペをよしとすると、インタビュー内容について中途半端な理解でも「なんとなく」形になった記事ができてしまう。この「なんとなく」が厄介なのだ。「仏作って魂入れず」で、構成者が完璧に理解していないインタビュー原稿は、読む人が読めば一発でわかる。

文字起こしをコピペするな――あの時の上司の言葉は、そういうことだったのだろうと僕は理解している。その後、僕インタビュー記事をいくつも書いてきたが、一度も文字起こしをコピペをしていない。


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