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【言語学】『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』【#1】

どうもこんにちは、げんちゃろです。

noteに読書感想文を載せるのはこの記事が初めて。どのような構成で書いたらいいか小一時間頭を回してみましたが、特にこれといったアイデアは浮かばないのでとりあえず書き出してみて気に入らなかったら後で編集すればよろしいの精神でいくことにします。

最初の投稿となる一冊はこちら、ケイレブ・エヴェレット著、屋代通子訳『数の発明』(みすず書房、2021年)です。

・著者の紹介
この本の著者の父、言語学者であり敬虔なキリスト教の宣教師でもあったダニエル・エヴェレット氏は、ブラジル・アマゾンの森の奥深くに住まうピダハンという少数民族との生活を通して、彼らの言語を研究するとともに、ピダハンにキリスト教の布教活動を行った方で、その研究の成果を『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房、2012年)に記した人物。著者のケイレブは、そんな父ダニエルとともにピダハンの村で生活を送ったという独特な経験を持ち、みずからもピダハンを含む少数言語の研究に打ち込んでいます。

・「数」は生得的or 文化的?
私を含め日本人の一般的な感覚からすれば、「数」という概念が存在しない世界というものは想像しがたいはず。特に日本語を見ると、ものを数えるときの語彙(助数詞)がバリエーションに富んでいることが非常によくわかります。動物を数えるときは「匹」を使うけれども、ある程度サイズの大きな動物になると「頭」を使ったり、紙は「枚」で数えるのに紙の束である本は「冊」で数えたり・・。このような例はいくらでも挙げられると思いますが、これらは、日本語が「数」を数えることに重要性を見いだしていたことの証左であるように思えます。また、英語では、助数詞という概念は存在しないものの、主語が1人のときと2人以上のときとで動詞の形が変わることはご存じのとおりで、「数」が重要な意味を持っています。

このような「数」の概念は、世界中のほとんどの言語において見られるものですが、そもそも「数」は人類に本来的に備わっている感覚なのか?それとも文化的に獲得するものなのか?ここがこの本の大きなテーマです。

・数を持たないピダハン
世界には数の体系を持たない言語があり、ピダハン語もその一つ。この本では、そのことを実験によって確かめていくのですが、その実験方法が面白い。

実験のひとつには、まずピダハンの前に乾電池や糸巻きといったものを一定の個数並べ、それと同じ数をピダハンにも並べてもらうというというものがあります。この実験では、ピダハンは、3つまでであれば容易に同じ数のものを並べることができたのに、4つ以上になると明らかに苦労し出すということ。

こういった様々な実験の結果から、一般的に、人間は、3つまでの量を区別するという能力は生まれつき持っているけれども、それ以上の数を識別するには生まれ育った文化が「数」の体系を持っていることが必要と考えられます。「数」は人間が生得的に備えている概念ではなく、文化(経済・交易の必要性など)によって発展してきたツールにすぎず、そして、ピダハンは、外の文化に触れる機会があってもなお、「数を持たない」という選択をした民族なのです。

・世界の言語に見る「数」と「手」の関係
この本で述べられているお話で非常に面白いなと思ったポイントが、世界中の異なる発展をしてきた言語において、数にかかわる言葉が「手」を元に作られているとみられるというところです。

私たちの普段の生活で最もよく使われる数の数え方は10進法だと思います。それに5の倍数というのもなんとなくキリがよいように感じますね。これは世界の数多ある異なる言語において共通する性質で、それは人類にとっていつでも目に入りやすい「手」を見て数を数えていたからではないかというのです。実際にも、「手」を示す単語が「5」という数をも意味している言語も確認されているようです。

また、世界は広く、8進法や12進法を採用している言語もあるようなのですが、これも指と指の隙間の数(片手4箇所×2=8)や、親指を除く指の関節の数(片手12箇所)から由来すると考えられるんですって。

・小括
この本では、我々日本人にはイメージしがたい、「数」を持たない言語が世界には存在すること、「数」の捉え方は生まれ育った文化によって様々に異なりうるということを解き明かしてくれます。また、言語学の研究一般について思うところではありますが、この本も例にもれず、仮説を確かめるための実験の設定が面白く、どうすればこんな実験を思いつくのだろうと感心します。

上記でも言及した『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』も、堅苦しい言語学の解説本というよりは、異界のジャングルの奥地で四苦八苦しながらピダハン達の言語や思考をあれこれ探っていくダニエル氏の冒険書的な側面が強い作品で、非常にエキサイティングです。キリスト教布教のためにピダハンの村に入ったダニエル氏が、ピダハンの生活・考え方に触れ、最終的には自らの信仰を捨ててしまうほど、、ピダハンたちの考え方は衝撃的なものだったのです。興味のある方はぜひ。

また、ピダハンについてのお話は、私が大好きなYou Tubeチャンネル、ゆる言語学ラジオでも取り上げられていますので、聞いてみてください。

ではまた!

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