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三春そぞろ歩き〜冬の愛宕神社→龍隠院散策路を歩く

毎日なんだかんだと忙しく、毎日note!と誓ったハズが、週一noteになりつつある…というか、なっている今日この頃です。

本日は久しぶりに三春町内散策へと出かけました。

今回の目的地は、愛宕神社。

以前から行ってみたいなあと思いつつも、鳥居の向こうにデーン!と佇むなかなかの勾配の石段に恐れをなしておりました。

しかし、元日に参拝した友人の話によると、神社裏の散策路がなかなかよいとのこと。

社殿の写真を拝見したところ、小さいながらも精緻な彫刻に彩られた、なかなかステキな雰囲気。これは一度、参拝せねばと思い、重たい腰を上げた次第です。

本日は(も?)時間がないにつき、本当にさっくり、ざっくりした紹介になってしまったのが残念! 本日は曇天だったにつき、写真が暗くなってしまい、さらに加工する気力もないのが、残念至極です(→言い訳です(;^_^)

そんなことはともかく…

社殿の彫刻もさることながら、アガリコと呼ばれるコブ状の盛り上がりのあるケヤキや落葉でふかふかになった散策路など、そぞろ歩きを楽しめるコースでした。

さて、デーン!とした石段の写真を撮り忘れたにつき、二の鳥居からご紹介。

小さな社殿ながら、彫刻がすばらしかったです。

境内の「由来記」によりますと、神社が勧請されたのは、慶長18年(1613)のこと。

時の三春城主であった蒲生郷治が、三春鎮護と火伏などを祈念して、京都に鎮座する阿多古神社(愛宕神社の総社)から「迦具槌命(かぐつちのみこと・火の神)」と「将軍地蔵尊」などを分霊して、京都にならい、三春城から西方の現在地に愛宕堂を建てて祀ったのが、はじまりとされるそうです。

それ以降、愛宕堂には代々法印が居住してご祭神を守護したとのこと。

法印は「法印大和尚位」の略で、僧位の最上位のこと。当時は神仏習合であったことが分かります。

正保2年(1645)に秋田氏が三春城主となると、町内は6つに分割され、それぞれに鎮守の社が定められ、愛宕堂は中町の鎮守となりました。

明治に入り、神仏分離令により、愛宕神社と改称します。

秘仏とされる「将軍地蔵尊」は二重の木箱に納められ、外箱には「愛宕山本地秘仏 天下泰平 国家安穏」と記され、古来から「将軍地蔵尊」を念ずれば、競争に打ち勝ち、貧虚から免れるといわれてきたそう。

現在の社殿は、いつ頃の建立なのでしょうか。記述はありませんが、正面の龍の彫刻や木鼻など見応えがありました。

こちらが「アガリコ」のあるケヤキの木。

「アガリコ」のアップ。

「アガリコ」については、コチラの記事をどうぞ♪

どなたが並べたのか、四阿に散らばっていたドングリ。

四阿の脇の道から散策路へ。

ふかふかの絨毯の上を歩きます。

わたし好みの、葉が削ぎ落とされ、枝だけになった樹木のシルエット。



散策路脇の小さな畑。こんな風景を見ると、なんだかうれしくなります(なぜでしょう?)

このあと、龍隠院まで歩き、一通り参拝して、今度は王子神社→きたまち蔵までの散策路も制覇。
こちらの散策路は、地元の小学生たちが入学記念に植えた桜の苗木に囲まれていました。将来は桜が見事な散策路になることでしょう。他に高い木がないため、町内を一望できるのも魅力(写真は後日…)

こうして歩くと、三春町は丘に囲まれた城下町であったことが分かります。お城のあった城山もしかり。
町内には、他にも散策路があるようです。かくなる上は、三春町在住期間に、全コース制覇!といきたいものです(;^_^

明日1月21日は三春だるま市が行われる日。
20日(土)23時現在の予報は、雪のち雨。外はみぞれが降りはじめました。午後に行われるひょっとこ踊りまでには、降り止むといいのですが…。
もちろん明日も撮影に行く予定でおります。

いただいたサポートの半額は、日本野鳥の会郡山支部など自然や生態系を守る活動をされている団体に寄付し、半額はnote執筆・撮影のための交通費に充てさせていただきます。療養と休業のため車を手放したため、現在カーシェアリングや電車を利用しています。サポートよろしくお願いいたします。