誰もいない選手村は圧倒される(なぜ僕は東京オリンピックには何か言わずにいられないのか)
SNSをはじめて十数年。
僕はなんとなく「たのしげ」なことを発信することを意識してやってきた。愚痴は書かない、なにかの批判をしない、強い意見を出さない、
リプライでバトらない。(バトるのは絶対やだけど)
時事ネタや生活のあれこれに対して、何か言いたくなることはたくさんある。
それでも割と飲み込んでこれまでやってきたけど、
東京オリンピックを巡るあれこれに関しては、もうリミッターを超えてしまった感覚がちょっとある。
日々流れるニュースに対して、「言いたくなる」だけじゃ抑えられず、言葉か何かを発せずにはいられなくなっている。
ここ数日、
「世の中には大変なことがたくさんあるのに、
どうして僕は東京オリンピックに過剰反応するんだろう?」
と考えていた。
先日noteに書いたように、過去の自分の仕事との結びつきかな?
とも思うけど、でもそれだけじゃないような気がした。
それで先ほど、ハっとたどり着いた答えのひとつが、
「誰もいないオリンピック選手村を目の当たりにした」
ということだ。
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昨年の中旬。
月島に住んでいた僕は、
近隣エリアでマンションを書いたいと思い、
佃・月島・勝どき・晴海エリアの物件をいろいろと見ていた。
その頃(少し前かもしれない)、
晴海にある東京オリンピックの選手村をマンションとして販売していて、
50倍とも言われる倍率で全戸完売したという話を聞いた。
不動産屋さんによると、
入居できるのは、オリンピック終了後に改装を終えた2021年(オリンピック延期決定前の話ね)で、
子供の進学などに合わせてマンションを買ったファミリー層が多いらしい。
オリンピックが1年延期した時点で、
入居も1年以上延期して、購入者は待つことしかできず、
人生設計が狂った人たちも多くて大変だということだった。
2020年4月の緊急事態宣言中、
僕は散歩がてら、晴海のオリンピック選手村を見に行った。
そして、その規模に圧倒され、現実感のなさに鳥肌が立ち、
こわくすらなった。
これはもう、僕の言葉なんかじゃなくて、そのとき撮った写真を見て欲しい。
東京のわりとど真ん中に、広大な埋立地があって、
こんな巨大なマンションが立ち並び
しかも誰一人として歩いていない。
もう人類が滅びたSFの世界みたいだった。
このSFみたいなマンション群が、
現時点で1年半以上、無人で放置されている。
なんかこの事実だけでもゾワっとする。
で、跡地のマンションを買った方々。
いま中止になれば1年遅れぐらいで買えるかもしれないけど、
2024年まで延期になったら、その人らはどうなる?
あと3年間無人のまま維持するのか?
2032年に延期だとして、
さすがに11年間無人はないだろうから、
そしたら新しい選手村はどうするのか?
その資金と場所は?
(東京中心部に、もうこれだけの土地はないと思う)
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「選手村のことが心配だから、オリンピックやめてほしい」
ということではなく、
なんというか、
この空っぽの巨大な選手村が、
いまの東京オリンピックに立ち向かう日本(の偉い人と市民)の象徴のような気がしてならないのだ。
大きすぎて、果てしなさすぎて、空虚で、
誰もどうしたらいいか分からず、
でも困る人は確実に増えて、時間が過ぎていく。
そして、僕は、この大きすぎる出来事を前に、
大きすぎる選手村の前を怯えながら歩いて、
不安になったり、noteを書いたりすることしかできないのだ。
(がっくり)
ああ、終わり方が分からなくなってしまいました。
そういえば、選手村ができてから僕の大好きな晴海埠頭に入れなくなったんだけど、あのエリアはどうなるんだろうな。
将来、「いちょう並木のセレナーデ」を聴いた子どもが
「晴海埠頭って何?」って聞いてくる日がくるんだろうなあ。
東京はスクラップ&ビルドの繰り返しで出来た街だし、
変わっていくことに感傷はないんだけど、
ただただ、晴海の選手村に、
できるだけ健やかで自然体に、
人の営みで溢れる日がくることを僕はずっと待っているよ。