存在証明の呪縛
めずらしく自分の為に何かを書いてみる。
体裁はあまり気にしてないです。
結構ネガティブな内容なので注意して読んでくださいね。
1. 思い込みの発掘
事の発端はすなっちさんとの悩み相談。
軽い気持ちで申し込みをしました。
しかし色々とやりとりをさせて頂く内に、僕の根深い思い込みにぶち当たった。
それは「人の役に立たないと自分には価値がない」という思い込み。
(ここに気付けただけでも大きい。すなっちさん有難うございます。)
その思い込みの源泉は、僕の幼少期にさかのぼる。
2. 過去の辛い経験
僕が小さい頃は、家庭内での喧嘩や暴力が多かった。
父と母が喧嘩や暴力、兄と姉が喧嘩や暴力。
そして父と母は、兄と姉をよく怒り、時には暴力を。
僕は苦しかった。
大好きな家族が傷つけあっている。嫌だった。
僕は自分を守った。
自分は怒られないように、たたかれないように、良い子にふるまった。
兄と姉を見て学び、怒られないようなふるまいをして、自分に出来ることは何でもして、役に立って、自分を守った。
そうしなければ、自分を守れなかった。
そうして、「役に立たないといけない」と思い込む自分が出来上がった。
家族の役に立つ事で、母からは特に褒められた。それはそれで嬉しかった。
しかし、一方で大好きな兄と姉は怒られてばかり。そんな兄や姉を見て、僕の思い込みは、「役に立たないと自分には価値がない」になっていく。
人の役に立つ事でしか自分という存在に価値を見出せないという思い込み。
「存在証明の呪縛」
その呪縛は未だ消えずに残ったままである。
3. 存在証明の呪縛による被害
この呪縛によって得られるメリットもあるのかもしれないが、最近は自分や他人への被害を強く感じている。
①相手の顔色をうかがい過ぎる。
自分が相手に悪いことをしてしまったんじゃないか。過剰に不安になる。
過去に親の顔色をうかがっていたように。大人になった今、悪い事をして殴られる訳でもないのに。これに陥るとまともに仕事や子育てに集中できない。
②おせっかいが過ぎる
相手の役に立って、自分が役に立つ存在である事を証明する為に、どんどん踏み込んだおせっかいをする。相手の要望もまともに聞かず。喜んでくれる人もいれば迷惑と感じる人もいるだろう。
③自分を良く見せようとする
Xなどで自分を良く見せすぎる。「僕はこんなに凄い人なんだぞ」と。我ながらなかなかアホらしい。見ている側からすると、キラキラしすぎて疲弊する人もいるだろう。ごめんなさい。
4. 自己受容の旅
僕は自己肯定感は高い方だと思ってた。
根っこの部分ではめちゃくちゃ低い。
「人の役に立たなくても、自分には価値があると思いますか?」
今の僕は、この質問には思いっきり「NO!」を突きつける。
なんて自己肯定感の低さよ。
自分の内面と向き合いつつ、自己実現をしつつ、「存在証明の呪縛」とぼちぼち歩いて行こうと思います。
これまでの人生一緒に歩んできたからこそ、すぐには捨てられない。
歩いて行った先に「呪縛」との別れもあるかもしれないし、和解する事もあるかもしれない。
今後も旅は続く。