月刊コグマ#1 そんなあの子は、透明少女
23:30
歌番組を途中まで見て、自分の部屋に戻ってくるとスマホの画面が残り30分であることを知らせてくれた。
時間をどうやって潰そうか考えるが、何も浮かばない。
どうせなので、最近友人との話で上がった懐かしのアニメでも見てみようかとYouTubeで12歳。と検索してみる。
すると無断転載で話が(たぶん)全てあがっていた。
せっかくなので初回から見ていくと、懐かしさに駆られた。
第2話に差し掛かったタイミングでスマホの通知が唐突に鳴り始めた。
挨拶を返していき、第2話を見終わるとちょうど眠くなってきたので目を閉じた。
朝起きて、窓を開けると寒い風が入ってくる。
外は暗いままだが、遠くの方は少し焼けているように見える。
スマホが鳴り、画面を見ると通知が来ていた。
LINEを見るとメッセージが書かれている。
こういうときは丁寧に返したほうが良いのかもしれないと急に思い立ち、返事を送る。
あけましておめでとうございます。
癖(くせ)と癖(へき)
正月が明けて学校が始まるまでの数日間。そこまで大きなこともなく、ずっとだらだらと過ごしていたのだが、風呂から出て体を拭いているときに急に疑問が湧いてきた。
癖と癖は何が違うのだろうか。
というものだ。
前にもこのネタを取り扱おうと思ったのだが、どうにも話が広がらなかったので、そのままボツになった話だった。
そもそも「くせ」と「へき」は漢字がどちらも癖である。もちろん音読みと訓読みの違いなのだが、「くせ」が訓読みで「へき」が音読みらしい。
しかし、個人的にはもっと根本的にこの2つは違うものだという気がする。なので、この話ではそれを深く掘り下げていこうと思う。
まず、「くせ」というのは、毎日の生活や暮らしてきた年数の中で染み付いた、どんなときにどんな行動をしてしまうのか、その習慣的な行動が「くせ」だと思っている。
これは自分の中で考えるよりも、いつも自分を見てくれているであろう友人や恋人なんかに自分の「くせ」があるのかを聞いてみるのが手っ取り早い気がする。
とある曲に「くせのうた」という曲があるのだが、この曲の歌詞には
君のくせを知りたいが
ひかれそうで悩むのだ
とあり、
知りたいと思うには
全部違うと知ることだ
最後には
きみのくせはなんですか?
という言葉で締めている。
自分はこの曲を聴いて歌詞を見たとき、相手の「くせ」を知ることはつまり、愛なのではないかと感じた。愛があるからこそきみの「くせ」を知ることが出来るのではないかと思う。
「きみの事が好きだ」と言う気持ちをここでは「きみのくせはなんですか?」と言い換えている。「月が綺麗ですね」のような印象もとれるだろう。
では、「へき」とはなんだろうか。
単純に言おう。これは、心だ。自分の色々とある興奮する部分を表す言葉であり、辞書の言葉を借りるならば、自身の「かたよった好み」である。
「フェチ」という言葉に言い換えるのも良いだろう。
例えば、公衆の面前で言えるもので上げるならば、「身長フェチ」である。
その中でも自分は高身長の人が好きだ。
この「かたよった好み」というのは自分の場合、好きな人だとかいうのに関わらず、自らよりも高い身長の女性を見てしまうと何故だか心の奥がときめく感覚を覚えてしまう。
これは自分の身長が低い部類に入るからというのもあるのかもしれないが、実際には分からない。理由は分からないが心の奥でドキドキとしてしまうのだ。
「くせ」と「へき」。このようにあげてみると2つの共通点として、自らがその行動や心の理由を気付きにくいというところに有るのではないかと思う。
これを考えることは、自らの分からない/自分自身の謎を解き明かすようでとても面白い。
こうやって自分達は、心や行動を知りたいと
自分のそして相手の謎を解くのだ。
これを読んでいるきみの癖はなんですか?
透明少女
今は1月。冬真っ只中なのだが、ここから段々と春に向けて夏に向けて暖かくなってくる。
何もかもが透き通って見えてくるだろう。あの嘘っぽい笑顔の女の子は隠せているつもりなのだろうがこっちには見え見えだ。
そんなあの子は誰?
それは例えば、
透明少女
正月になって少しした後、不意に昔のアルバムが見たくなり小学校のアルバムを開いて見ていると、そういえば転校生が多かったなと。
こっちに転校してきてそのまま中学校も一緒だった人もいれば、小学校で卒業する前に再び引っ越しをしてしまう人もいた。
ちょうどあの頃は小学3年生の夏休み手前だったか後だったか。自分のクラスにも1人、女の子が転校生としてやってきた。
自分は当時愛知県に住んでいたのだが、その子は県の大都市、名古屋から来ていたらしい。今思えば、都会の雰囲気が漂っていた気がしなくもない。
よく漫画であるような展開として、転校生が来ると「めっちゃ可愛い子だって!」だの「めちゃくちゃイケメンらしいよ!」だの噂が飛び交うシーンがあると思うのだが、自分の学校も例外ではなく、女の子ということと、とっても可愛いのだという噂が。
朝、先生が教室に入ってくると先生の後ろに女の子が。少し清楚な雰囲気で身長は僕より少し高め(癖と癖で語ったことになぞるのなら、僕の身長フェチにドンピシャの子だった)。噂どおりの可愛い女の子だった。
その子との思い出で覚えているものの一つとして、理科の授業がある。小学3年生になると、今までに習っていた国語、算数などの教科に加えて理科や社会が入ってくる。
その子は、もともと住んでいたところで学んだ理科とは授業の進度が違うらしく、新しい理科ノート(という名前の理科専用のノートがあった)と共に先生にその説明をされているところを自分は見つけた。
それを見た自分は、いい気になってたくさん教えてやるぞと意気揚々とその子に近づいて行こうとしたのだが、聞こえる話をもっと聞いてみると、実は授業の進度が遅いのはうちの学校の方で、その子は自分たちよりも圧倒的に進んでいたらしく、その子の目の前まで来てしまった自分は、「すごーい」と言いながら踵を返した。
うちの小学校は(他の学校は知らないが)サッカー部は男子だけでなく、女子もサッカー部として活躍できる今の社会に寄り添ったような部活で、たしか卒業時点で3人いた気がする。
どの部活に所属するのか気になっていたのだが、その子はそのサッカー部に所属していて、いつも生き生きと部活に通っていたと思う。
たしか、4年生のときは別のクラスで関わることは全くなかったので、時間と共に「転校生」という希少性は薄れていったのだが、理科での大恥寸前の出来事のおかげで頭の片隅にはその子のことが残っていて、来年は同じクラスになれるかもしれないと考えていた。
しかし、気づくとその子は再び転校をしてしまっていた。
4年生の夏休みだった気がする。
透明少女の話を書くにあたって、自分にも記憶に残った女の子はいるのかと考えてみたときにピンと思い付いたのがあの子だった。
名前すらもう憶えていないあの子は、どこで何をしているのか分からないが、あの子のことを思い出してもう少し懐かしさに浸ろうと思う。
そんなあの子は、
そんなあの子は透明少女
躍るFLAGSHIP
ある日、本が欲しくなり、部活も引退してしまった今、休日に出かけることも少なくなったのでどうせだしと思い友人を誘って少し遠くのイオンへと向かうことにした。
電車に揺られて数分。いつも学校に向かうときに乗っている電車とは全く違う路線にいるので、外の景色は新鮮味で溢れている。心の中でワクワクしながら、それに加えて、久しぶりに電車の椅子に座ったのでその揺れでなのか酔ってしまった。
駅に着く。駅のすぐ下には小さな公園が一緒になっていて、たくさんの木と共に、小学生らしき集団がそこで遊んでいた。そこで辺りを見回してみると思った以上に遊具があったことを知った。
昔、住んでいたマンションのすぐ側に周りの公園と比べると明らかに広い公園があったのだが、その公園のことを思い出した。置いてある遊具も思えばそれらに似ている気がする。
イオンの中へと入る。始めに本屋に行こうとしたのだが、友人は来年から一人暮らしのため少し家具を見ておきたいという。運よく入り口近くに「無印良品」があった。
無印良品に入ってみる。実のところ、自分は無印良品が自分は好きだ。何なら、高校生になって新しく買った服の大半は無印良品である。
けれど、最近は全く行っていなかったので入るのは久しぶりだ。
色々と家具を見て、どんなのが良いこんなのが良いと話をする。久しぶりに入ってみたが、やはり雰囲気が好きだ。自分たちはベッドや照明器具、服などを見てそこから出ることにした。
さあ、次こそ。本屋に足を次こそ進める。本屋は2階なのでやっと階段で上の階に上がることになる。2階には先ほどよりもたくさんの誘惑があった。
たくさんの足止めを食らった。
まさか再び服の店に友達と入ることになるとは。
たくさんの寄り道をして、やっと本屋に到着した。
入り口にはたくさんの手帳が並べられている。それを見ると、新しい年が始まったのだという気持ちが湧いてくる。友人はそれほど本を読む人ではないため本屋と併設されているCDショップへと向かっていった。
欲しかった本を手に取り、友人の元に戻る途中、前々から探していたCDを発見した。好きな曲が入っているため欲しかったのだが、その中に入っている曲に「躍るFLAGSHIP」という曲がある。
この曲は他の2曲と合わせて一つの恋の話になっているのだが、その中でもこの躍るFRAGSHIPは曲調も話もオシャレな感じがして好きだ。
それも手に取り、本と一緒にカウンターへ向かう。本屋を出てイオンを出て電車に乗って、駅に着く。
そのとき目が合った。
どうせなら、言わなくては始まらないのならと、自分の気持ちを相手に伝えてみる。
赤いトートバッグを提げた友達は少し考えた様子でうつむいた後、深呼吸をして言った。
「少し、待っていて」
という想像をひととおり終えたところで、やっぱり良い歌詞で話だなと思いながら、本とCDを持ってカウンターに向かった。
まぁその後、結局何かあるのかと思いきや、
友人とは何も無かったのだが。
テスト・リポート
14日 きょうそうのはじまり
1月14日・15日。
それは受験戦争第一の山のイベント。
自分は今、この舞台の入り口に立っている。入り口はこの大学の生徒さんであろう人たちが受付を行っていて、自分の周りには別の学校の女の子二人組がいるだけなので妙に緊張をしてしまう。
受付を済ませてマップを確認する。自分は国語からの参加なので時間はまだ1時間以上はあるみたいだ。ということで、まずは待機場所へ向かうことにする。
校舎はレンガ調の建物となっていて、まさか先ほどまで長い坂を上ってきたとは思えないほど景色が違って見えた。が、ここでも坂は続いているためまだまだ先は長そうだ。
待機場所へ着くと数人、椅子に座っているのが見えた。彼女らはすでに受かっていてそれでこのテストを受けるのか、それともここが正念場なのか。
そこから気づけば時間は過ぎて入室の時間になっていた。思っていた部屋よりも大学然とした部屋で雰囲気に気圧されながらも自分の番号の席に着く。ここから戦争は始まる。
国語と英語。これが14日に受けるテストだ。英語はリーディングとリスニングで2つテストがあるため実質3回今日はテストを受けるらしい。
順調に国語をこなしていき、しっかりとテストを終える。今回の問題は模試などで出てきた問題に比べて内容が面白かった。
評論文に関してはいつも通りだったのだが、物語文が少し僕好みの話だった。
内容はうろ覚えなのだが、第二次世界大戦後すぐの日本で広告会社に勤める主人公が食生活で右往左往する話で、
勇気を与える側であるのと同時に自分も貧窮した時代で生きる、与えられる側であるということが伝わってきて、話にのめり込んでしまった。
英語のリーディングは散々だったので記憶にも残ってないのだが、リスニングで一つ話のネタがある。
リスニングにはそれ用の機器を使うのだが、これが1人一つ配られる。始めに受けとると、SDカードや機器、イヤホンなんかがすべて封や紐で綴じられている。
部屋の担当の人の指示で機器などを出していく。袋はどこかに回収するのかと思いきや、自分達で持ち帰るらしい。
これはもしかして、機器も持ち帰ることが出来るのかもしれない。機器は無理だとしても、イヤホンは個人ごとに使ってしまうのでこれだけは貰えるのかもしれない。
そう思ったのだが。
順調にリスニングを解いていき、終了の合図でイヤホンを取りシャーペンを置く。答案用紙を回収していき、今日はもうお開きかと思ったのだが、次の指示で機器を回収していくことに。
まぁ機器だけなら。と少し悔しさを感じながら渡すと、イヤホンも一緒に入れてくれと言われてしまった。
つまり、ゴミだけ持ち帰らされたのだ。
これにはとてもショックだった。期待を裏切られたのにも等しいだろう。
そんなことがあり、棟から出てスマホを確認すると友人から一通のLINEが来ていた。校門の前で待ってくれているらしい。
スマホをポケットにしまうと急いで校門へ向かった。
15日 おわりとおどろき
昨日よりも早い時間に駅に着いた。今回は数学Ⅰ・AとⅡ・Bの二教科を受けるのだが、それにしても1時間以上も早い時間なのは誤算だった。今思えば前日は電車が遅延して、それでいてちょうどよかったぐらいだった。
めったにここの駅には降りないので、少しこの街を歩くことにする。大学のある方向を横目にして真っすぐ歩く。友人の話によるとこの周辺にスターバックスコーヒーがあるらしい。たくさんの店を横切る。気づけば体育祭で運動場へ向かう時と同じ道を歩いていて、まだ歩くかと少しげんなりしていた。それから30分ほど歩くと先にはスターバックスが見えてくる。
外の窓からは勉強している学生が見えた。
ここまで来たのだから、と昨日とは違う道で大学に向かってみることにした。坂を真っすぐに進む。公園なのかよくわからない作品が飾られているところを通り、進んでいくと県立美術館の前についた。
県立美術館の外側にももちろん作品は飾ってあり、思い出してみると記憶の中には狛犬かシーサーらしき像がいる。
学年末が終わった後にでもここに遊びに来るのもいいのかもしれない。
そして美術館を横切り、進んでいくと大学についた。
昨日と同じ待機場所に行くと、昨日とは比にならないほど大勢の人が。みんながみんな参考書を開いて俯いている。この光景が普通なのだろうが、昨日来た時とは全く違う差に僕は震え、席に着きながら大きな単行本を開きながらその世界に没頭した。
時には役割論理のWikiを見ながら時間を過ごしたり、ふと目線を上げてみると目が合った人と恋のロマンスがあるのかもと心をときめかせたり、いろいろとあったのだが時間は経って入室時間の何分か前になっていた。
棟が開くのを待っている間に一つ厄介な話が合ったのでここで消化しておきたい。
先日は30分前に棟の前につくとちょうど開いたので今回もそうしようと移動したのだが前につくとたくさんの人だかりが。
待つのがめんどくさいなと感じながら寒空の下で立ち尽くしていたのだが、そんな横でどこかの学生グループが今回はどれほどの勉強をしたのかを話し合っていた。
正直に言おう。僕はこいつらがとても嫌いだった。
話の内容は別にいい。しかし、ノリが僕にはきつすぎたのだ。
それは自分がいわゆる「陰キャ」と呼ばれる属性のものだからというのもあるのだろうが、こいつらは、いや、こいつらの中の一人が僕に話を振ってきた。
もちろん話の流暢スキルは知らない人ほど強く発揮されるので、作り笑顔でペラペラと当たり障りなく接したのだが、そいつは1回だけに収まらず、2回、3回と話を振ってきた。
結局のところ、僕がどうして共通テストを受けているのかまで言う羽目になったところで扉が開いたので、その人たちとはそこまでなのだが、その日の一番のトピックスはそのことになったのは言うまでもない。
自分もあいつらの学校なんかを聞き出してやろうかと迷ったが、別に聞いてもその話は価値にならないのでやめておいた。
数学Ⅰ・Aの時間が始まる。昨日来たときよりも周りの活気が違う気がした。今回の自分のような取り方は短期大学の人が多いのだろうか。この数学に文字通り命を懸けているように感じる。
時間が経ち、Ⅰ・Aが終わると周りの人たちはぞろぞろと荷物を持って外へ出ていく。ちょうどⅡ・Bまでの空き時間は昼食用に長めにあるので、外でご飯を食べるのかと思ったのだが、入室時間になり、辺りを見回してみると両手で数えられる程度の人数しかいなかった。
その現状に戦きながら自分はⅡ・Bを受けるのだが、思ったよりも解きやすい問題が多く地味に高い点数を取ってしまったのはまた別のお話。
テストが終わり、自分も教室を出ていく。自分のいた棟はみんなが理科を取らない人の集まりなのでこの部屋や担当者の務めはここまで。
今日もまたスマホで確認すると友人は次のテストまでの待ち時間が長すぎるので帰るらしい。こいつもまた、僕と同じく大学にはすでに受かっているので問題はないのだが、それでいいのかと思わずツッコんでしまった。
電車にのって友人と別れる。ふと共通テストの話を書こうと思った。
タイトルはどうしようか。
僕にとって今回のテストで重要だったのは中身ではなく受けることだった。
それを考えるとこの二日間の自分は
まさにテレビのリポーターのようであった。
枯れた葉
元々の月刊コグマの売り文句は、「周りにあった日常」を書いていくこと。なので、その目標らしく話を広げていくことにしよう。
朝、学校へ向かうために家を出て、近くのコンビニやスーパーを横切りながら3つほど信号を横断する。その中の一つ。一番始めの信号機の通りは車道に沿って並木がある。
信号が青になるのを待っていると、その信号機のすぐそばの木から一枚はらりと葉っぱが落ちるのが視界に入った。
反対側からでも分かるほどにその葉は色素を失って、薄い茶色になっていた。この木も紅葉をして、紅く染まってそののちに茶色に枯れていったのだろうか。
よく病院のシーンなどで、木に残る葉の最後の一枚が落ちればその病室の人が息を引き取ったというシーンがあるが、よく結びつけたよなと改めて思う。それは情景描写全般に言うことも出来るが、そのおかげで雰囲気や気持ちが捉えられるというのが面白い。
そもそも木には常緑性と落葉性があるらしい。学校近くにある公園にも、枯れた木もあればまだ青々としている木もある。なんなら綺麗な紅い花を咲かせているものもある。あれは椿だろうか、山茶花だろうかと通るたびに考える毎日が楽しい。
学校の横には以前までゴルフ場があり、その横にもその紅い花がたくさん咲いていた。
綺麗だったのだが、最近ふと思い出して横を眺めてみると花びらがたくさん落ちていて、もう冬も終わりに近づいているのかという感覚になった。
自分は今、言葉を文字にして書いている。言葉も「葉」ではあるのだが、枯れることはあるのだろうか。話されなくなったら、伝えられなくなったらそれは枯れてしまったことと同意なのかもしれない。
少し前、英語のテキストでそれに似たような話を読んだ。消えていく言葉。そして、その先に起こる予想と対策。読み始めたときは、日本はそこまで関係無いかもしれないと思っていたが、アイヌの文化、言葉の存在を忘れていた。
すると他にも、自分の忘れているもの知らないものも多くある気がしてくる。例えば方言も消えていく言葉と言っていいのではないか。自分の暮らしたところはいずれも大きな訛りは無く、いわゆる標準言語との違いは少しのイントネーション程度だったが、まさかじゃんけんの掛け声が違うことには驚いた。
北の方や南の方ではどこまで方言が浸透しているのだろうか。近畿地方の西辺り、大阪府や京都府などは今もまだ関西弁として強く普及している印象がある。しかし、九州地方に修学旅行に行ったときはそんな訛りを感じさせないほどの標準言語的な話し方だった気がする。
ふと思ったのだが、たとえ方言でなくても、身近で言葉が枯れる様子を感じたことがある気がする。それは、やはり人と生活する中でしょうがないことでもあるのだが、「言葉を飲み込むこと」これも一つ言葉が枯れていく現象なのではないか。
家族と話すとき。友だちに相談するとき。先生に質問をするとき。好きな人に気持ちを伝えるとき。どんなシチュエーションでもこれは起きている気がする。
話したい、伝えたい大切なことがあるのに相手のことを考えて、だからこそ言葉を飲み込んで、葉を殺してしまう。枯れてしまう。
自分はそういうことが何度も何度もあって、その度にずっと枯れさせていたのかと考えると、少し申し訳無い気持ちになった。
これからは出来るだけ伝えていったほうが良いのかもしれない。心は相手も自分も分からないのだから、心をそのまま言葉でしっかりと。でも、たぶんそのままの言葉に相応しいものは見つからなくて、僕たちは言葉を選ぶのだけど、きっともっとシンプルなもので良い気がする。
一番近くて古い言葉。
それにしても、
いつまでも落ちないな。
あの枝で枯れた葉。
まとめ:「時間を消費する」という感覚
他の学校がどのような動きをしているのかは知らないが、自分の通っている高校では2月の第1週が終わってしまうとすぐに、自宅学習期間ということで、学校に行かなくても良い来ることが出来ない生活になる。
とは言っても、その第1週には学年末テストがあり、そこで赤点をとってしまうとその学習期間で召喚させられてしまうので、現在はそれを避けるために必死で勉強をしているところである。
1月に入る前から、先生達の授業を受ける度に「学校に来る日数は、残り1ヵ月も無い」と言われていた。しかし、12月までの生活はそこまで終わりという実感は無く、ごくごく普通の毎日を送っていたと思う。
しかし、いざ1月に入ってみると急に時間の短さを思い知ることになった。共通テストや学年末テストが近づいてくるのにしたがって、残された時間が減っていく感覚というのが身に染みて分かる気がしてならない。
最近では、通常の授業が終わった後、1時間ほど学校に残って勉強をするようになった。もちろんテストが近づいているからというのもあるのだが、もしかしたら心の奥でもっと学校に残りたいと考える自分がいるからかもと思う。
この月刊の始めの投稿をした自分とは本当に真逆な自分になっている気がする。よく分からないプライドからなのか、正直まだ「この学校に来て良かった」とは言えないが、ここで生活した3年は自分の中で良い経験になったと言える自分もいる。
これを成長したと言うのだろうか。
そこまでは分からないが、その「成長」がいつかの自分に役立ってくれることを祈っておこう。
あー、物理のテスト嫌だなー。