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月刊コグマ#11 表現欲は止まらない
気付けば冬真っ只中と言っても遜色ないくらいの寒さになってきている。
自分は11月は秋だと信じている派の人間だ。
なので、もっと暖かくてもいいのになぁ なんて思っているのだが、肌を刺すような寒さも好きなので文句は言えない。
そんなわたくし。
現在、絶賛風邪引き中である。
ちょうど今日、病院まで行ってきたのだが、いかんせん粉薬(漢方)がマズ過ぎる。
どうしても飲むときに、顔がしかめっ面というか、”苦虫を嚙み潰したような”顔になってしまう。
まぁ、これはしょうがないことなのだが、やっぱりイヤだ。
イヤすぎる。
駄々をこねても仕方ないのは分かっているのだが、ホントにホントにホントにホントに苦くてトラウマになりそうだ。
とりあえず5日間分はもらってしまったので、その分は飲み切らなきゃいけない。
朝・昼・晩の3回も!!!!!!
我慢、しなくちゃなぁ…
ショートドラマ
最近、インスタグラムやYouTubeShortを眺めていると、数分に収まる縦画面型のドラマである、ショートドラマがよく流れてくるようになった。
色々な種類の内容があり、面白いと思うものもあれば、これはちょっと…と思うようなものまで、多種多様だ。
自分がいいなと思う俳優さんや女優さんをチェックできるという点でも、脚本が面白いという点でも楽しませてもらっている。
こういうのを見ると、自分も以前は劇に打ち込んでいたな、と当時の気持ちを思い出すことがある。
中学生時代の3年間は本気で演劇に打ち込んでいた時期だった。
そもそも、小学校では演劇会のようなものは無く、逆に文化祭のような、各クラスで出店をする祭りがある。
ハローワークや銀行もあったハズだ。
(今もあるのかは知らないが。)
それはそれで楽しかったし、いい思い出もあるので嫌な気持ちは無かったのだが、心の隅では「劇がやりたいな」と思っていた気持ちもあった。
そして中学生になり、O市立N中学校へと進学する。
N中では文化祭の時に店を各クラスで出す というような文化祭ではなく、
体育館の中で、吹奏楽部や和太鼓のパフォーマンスをしたり、先生たちも出し物をしていたり(記憶違いかも)していた。
その中で1つ、N中劇という演劇もプログラムの中に含まれていた。
確か、開校当初からやっている伝統的なモノである。
その劇があると聞いたとき、とても興味が湧いた。
今でも、あの時のワクワクとした気持ちを思い出せる気がする。
意欲のあった自分は応募用紙に自らの名前を書いて、意気揚々と提出をした。
その数日後、応募した人たちが集められて説明会が始まる。
そこで言い渡されたのは、「配役を決めるためのオーディションを行う」ということだった。
当時、塾に通っていた自分は授業の合間にオーディションの台本を読んで覚えては授業を受けてを繰り返していたのを覚えている。
1年生の時の劇では、「N中誕生物語」という演目をやった気がする。
自分がどの場面のどの役として出ていたのかは、残念ながら忘れてしまったが。
2年生の時の劇では地元の有名人である、竹千代(家康)の母 於大の話である「竹千代の母」をやった。
この時は、塾の勉強もオーディション台本の練習も全く身に入らず、全然良い役をもらえなかったのを覚えている。
確か、第1幕の背中に矢が刺さった武士の役だった。
もっと練習すればよかった…当時は思っていたが、あの頃の自分はたぶんあれが限界だったと思う。
でも、ここで失敗したおかげで次の年に頑張れたと思えば、いい経験だった。
3年生の時は、日産自動車の源流である快進社の創始者、橋本増治郎の話である「橋本増治郎」という演目を行った。
去年のような失敗は繰り返さないぞ、と自分を発起し劇の練習に真面目に取り組んだ結果、第4幕の主人公役をやらせてもらえることになった。
当時は好きな子もいたし、その子に良い姿を見せるぞ!!と張り切っていたおかげもあってか特に頑張っていた気がする。
(まぁ自分のヘタレのせいで、その子とも結局友達止まりだったのだが)
そういえば、今思い出したのだが3年生の文化祭では、劇をやった後にそのままマーチングの大会があって、だいぶハードなスケジュールだったはずだ。
本番は正直、個人的にはあまり満足のいかない終わりになってしまったので、腑に落ちてないのだが、友人たちにはよかったといてもらえたので、良しとしよう。
と、まぁこんなことがあり、未だに少しだけ演劇に憧れている節はある。
うちの大学には演劇サークルがあるので、そこに入ろうか一時期は悩んでいたことだってあった。
それくらいには、またやってみたいなぁと思っている。
でも、マルチタスクが苦手な自分にとっては、片方頑張ると片方おろそかにしてしまいそうで怖くもある。
だから、今はとりあえず普通のドラマやショートドラマでも見て、満足しておくことにしよう。
あ、今期のドラマは「放課後カルテ」と「海に眠るダイヤモンド」を見てます。
どっちも面白いのでぜひ。
打ち上げみたいな会
やっとこさ、実習が一つ終わった。
前期・後期の通年でやるモノで、前期のみのチームもあったのだが僕が選んだのは後期まであるチームだったのでこの11月までやっていたのだ。
地域活性が大きな課題なのだが、それにしても方法がたくさんある。
例えば、このチームでやっていた策略の一つに「AIプランニング」というものがある。
これはAI(Chat GPT)に店主の要望を聞いて、解決策を出す。
その仲介役をこちらで担うというものなのだが、結果的に今のところはこれが一番貢献できている。
他にも、自分はワードプレスを使ってその場所のWebを作ったのだが、まだまだ穴も多いので、随時更新必須ではある。
しかし、僕が話したいのはこんなことじゃない。
今回の話はその最後の実習終わりにあった出来事の話である。
元々はいつもと同じ16:00過ぎまでこの実習をやると思っていたのだが、何と教室がブッキングしてしまっていたらしく、13:15ほどに解散することになってしまった。
教授の終わりの言葉とかは正直何にも思えていないが、まぁテンプテートな言葉をしゃべっていたような気がする。
結局、元々11月までの予定だったこの実習も1月にある餅つき大会まで引っ張ることになってしまったし、
なんならもう一つ受け持っていた案件は来年のイベントがゴールなので、行ってみれば来年まで持ち越しということになる。
なので、やっと終わった!!!と喜ぶところなのだろうが、個人的には残念ながらそこまでの実感はない。
始めから終わりまでグダグダしていた実習だったなぁという気持ちの方がやっぱり大きいくらいだ。
そんな教授の話が終わった後。
同じチームの友人から「この後一緒にご飯いかない?」と誘われた。
しかし、自分は既にお昼ご飯を食べてしまっていたのでそこまでお腹は空いていない。
どうしようかと悩んでいたけど、「ドリンク飲むだけでもいいから」と言われ、気付いたら自分は中華料理店にいた。
これは、、、、、、
完全に飲むつもりだ…
そう悟ったときには遅く、8人中5人の手にはジョッキがつかんであった。
自分はジンジャーエールを頼んで、おんなじ席の場に着く。
みんなで打ち合わせたわけではないが、これは完全に打ち上げの雰囲気だ。そしてみんなの不満をぶちまける大会が始まってしまったのだ。
『お酒の力を借りられないと、自分の気持ちをしっかり言えない というのは嫌だから。
自分は飲めないからって、気持ちを言わないのに、相手は飲んで気持ちを言ってるっていうのは相手に失礼だから。
だから自分はお酒を飲まなくても、気持ちを言える人間でありたい』
という言葉をどこかで聞いた気がする。
何で聞いたのか、本なのかテレビなのかラジオなのか。
どれで聞いたのかは分からないが、お酒の場で必ず思いだす言葉である。
これの倣って、自分もたくさん思ってることをぶちまけてやろうと思った。
結局、13:30くらいから始まった会は食べ物や飲み物をつまみながら、人への不満を燃料に16:30ぐらいまで盛り上がってしまった。
もちろん自分も言った。
誰とは言わないが、もちろん言った。
けれど、今回やったやつは打ち上げではない”みたいな会”なので、本当の打ち上げも今後やるつもりらしい。
どうなるのかは分からないが、おいしいごはんが食べられたらそれでいいやって思っている自分がいる。
何はともあれ、楽しみである。
まぁ、お酒は飲めないけど。
苦手って気付いたんだ。
秋葉原に行こう
「今度、簡単なタイマーを作るので秋月電子までいってこちらの部品を購入してきてください」
そのような連絡が教授からクラス宛てに来た。
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はじめはめんどくさいなぁと思っていて、自由参加でもあったので、別に行かなくてもいいかなぁなんて思っていた。
しかし、自分の友人の大半が受けたいという。
まぁそこまで言うならということで、自分も受けることに。
数日後。。。
予定の合った人に声をかけて、当日秋葉原駅に集合することに。
なんと自分、初 秋葉原だ。
秋葉原といえば、いわゆるオタクの街みたいな印象を少なからず受けてしまうのだが、実際はどうなのだろうか。
自分も例に漏れず、十分オタクしてる人間だと思うので順応は出来る気がするが、実際はどんな街なのか気になるところである。
時間は11:00
今日はこの日に集まって、まず秋月電子へ行こうということになっている。
別に先にご飯でもいいけど。
まだ来ないかな~と待っていると、友人から1つの連絡が。
「「「うしろにいるよ」」」
軽くホラーものだぞこれは。
と思いながら、後ろを振り向くとしっかりと後ろに付いていた。
もう一人約束していたのだが、だいぶ遅れそうなので、とりあえず後ろの彼と一緒に秋月電子へ向かうことにした。
秋月電子まで向かっていると、いろいろな店が見えてくる。
こうやって大学生になってパソコン関連の授業を受けてくると、否が応でも聞こえてくるようなパソコンメーカーの名前は多くある。
そんな有名なパソコン工房とかソフマップとかの店舗を横目に自分達は秋月電子へ到着した。
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中へ入って部品を探してみることに。
中には自分の父親世代の人がいっぱいいて、勤務先や趣味で色々作っているのだろうと想像をした。
外国人の方(たぶんあれは英系だと思う)の方が流暢な日本語で店員さんに質問をしていたりして、とても嬉しくなった。
さて、探して数分経つがまったく部品が見つからない。
とりあえず手分けして探すことに。
自分はマイコンを探すことにした。
マイコンだけでもすごい数がある。
思えば、授業内だけでもいろいろな種類のものを扱ってきたのだから当たり前だ。
なんとかその中から探しだし、後ろの彼の元へ。
すると後ろの彼も電池ホルダーを見つけていた。
ついでに一緒に基盤も見つけて一件落着。
買い終わって満足していて気づいたのだが、
まだ遅刻の彼が到着する前に買い終わってしまった。
待ってる間、近くのドトールで後ろの彼は紅茶を。
自分は抹茶ラテを飲んで遅刻の彼を待った。
遅刻の彼が到着して、
遅刻の罰として自分達と同じ苦しみを味わってもらうために自力で探させたり、
お昼ごはんを探すために秋葉原を散策したり。
そこで、地味に並んでいるローストビーフ丼のお店を見つけ、
せっかくだから行ってみようということになり
ローストビーフ丼を食べた。
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山わさびソースを選んだのだが、これがまた美味しい。
良い感じの香りとピリッとする感じで、とても美味しかった。
その後は後ろの彼がパソコンについて詳しいので、デスクトップがほしい自分達は少し教えてもらった。
今の自分のノートパソコンだと、どうしてもモンハンワイルズはうまく動作しないので、悩んでいるのだ。
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まぁ今はアイスボーンやってるし、もうちょっと稼いでからでもいいかな…と思っている節もあるので、まだ我慢だ。
そんなこんなで、初 秋葉原を終えた。
これからも通うかと聞かれたら
………たぶん来ないかな
そんなことは無いが、また用事があれば来るかもしれない。
表現欲は止まらない
どうして自分は月刊を続けているのだろうか。
そう思うことがたまにある。
そもそも、この月刊コグマというコンテンツを求めて読んでくれる人はいないと思っているのだ。
この気持ちは、自己肯定感とはまた別の感情だと思う。
極めてシステマチックに考えた結果の帰結。
自分に文才があるとは思ってないし、人気のある人間だとも思っていない。
毎日書いてるわけでも、毎週でもない。
毎月という微妙に遅いテンポなのだ。
ただこのnoteで細々とやっているコンテンツをだれかに望まれてるとは到底思えない。
じゃあ、それでも何故この月刊を続けるのか。
それには自分の根底にある気持ちが理由だろう。
そもそも、自分はストレスを溜め込む性格だと思う。
誰にも自分の感じているイライラを話さない。
物にも当たらない。
ただただ抱えてその日を終える。
自分でもその性格を直さなくてはと思っているのだが、自分の痛みを相手にも共有してもらうというのが申し訳なくなってしまうのだ。
痛みを自分で終えられるなら、それでいいじゃないかとも思う。
相手に分け与えずとも過ごせるなら、それでいいじゃないかと。
でも、やっぱり抱えて抱えて、抱えすぎるといつか人は疲弊して壊れてしまう。
最近もバイト先の副店長がその関係でお休みしてしまい、今もまだ復帰出来ていない状況である。
そして、自分もまた壊れかけたことはある。
この月刊で以前話したこともあるだろう。
当時は高校1年生の冬だった気がする。
ストレスを溜めて溜めて、頼れる人もいなくて
中学までの友人も繋がれるツールはネットだけ。
関わろうとしなければ、関係は終わりを迎える。
いつしか自分は、文字通りの孤独になっていたと思う。
結局自分はそれだけの人間関係しか築けなかったんだなぁと思い知ったし、正直かつての土地の彼らを恨んだ。
高校生の初期の自分は本当にひねくれていて、今思っても最悪な自分だったので、当たり前なのだが友だちがいなかった。
ふとしたとき、
なにやってんだろ
と思ってしまった。
これを思ってしまったらもう、アクセルは止まらない。
片っ端からLINEの友だちを消して行ったときの自分を今でも覚えている。
1月2月辺りの出来事だった。
その数日後、自分はこの月刊コグマを始めた。
この全方向に向いた、自分にも向いている刃をどうにか収めるために、文字ベースで吐き出すことにしたのだ。
この月刊を書き始めてから、自分の中にあったイライラは少しずつ減ってきていたように感じる。
案外僕はチョロい人間だ。
数回(たしか、#2)で一回更新をやめている理由はたぶん自分の中でひとつ落ち着いたからなんじゃないかと今は思う。
高校2年生の7月頃、この月刊コグマは再開した。
理由はいろいろあった。
どうしても伝えたいことがあった。
後悔があった。
また、noteで書きたいなと純粋に思った。
僕はこの書きたいという気持ちを、表現欲という言葉に置き換えることにする。
高校生活をしてるときなんかは、毎月のように書きたいことがいっぱいあって、その瞬間はホントにキラキラしてたように思う。
今もまだ書き続ける理由は、
自分の中にはまだ表現欲が生き続けているからだ。
以前とは違って、書きたい内容と書ける内容は変わってきている。
ネタが思い付かなくて、前ならもっと思い付いていたのに なんて思うことも少なくない。
けれど、そうやって考える時間も今は好きだ。
まぁ結局そのせいで出口のない迷路をさまよい続けて末日近くになってしまうのだけども。
きっと、今の僕を見て同年代の人は羞恥に悶えている人もいることだろう。
僕もたぶんそうなる。
友だちのこういう場に書いたエッセイなんて見たら身悶えするだろう。
まぁエセ詩人みたいで、気持ち悪いし?
なにイキってるのよって気持ちになることも分かるし。
でもそれでいい気がする。
それくらいでいい気がする。
この書きたいという気持ちはまだ止まらない。
まだ生きてるんだ。
書きたいものにも何度も出会うだろう。
この気持ちの満足のいくそのときまで、
僕はまっすぐ書き続けるだけだ。
まとめ:さみしさはいつもそばに
この月刊で話したことのあるような話を何度もしている気がして、どうにもすっきりしない。
本当ならもっと爽やかで笑いのあるお話を書きたいのだが、どうしても自分の中のドロドロとした部分が溢れてしまう。
毎日華やかで、特にさみしさなんて感じないです!って人も少なからずいるかもしれない。
けれど、どっちかっていうと僕のような今の幸せよりもさみしさを感じてしまう人間のほうが多いんじゃないかと思う。
あいにく僕は、そういう人たちを元気付けて上げられるほど余裕がない というか、言ってしまえば同じ穴の狢なのだ。
そういうやつらで肩を寄せあっても解決することは残念ながら出来ないと思う。
だれか引っ張り出してくれる人間がいないと。
でも、毎日のように鬱屈とした思いを抱えて、それを全面に出して生活をしているわけじゃない。
人間は誰しも暗さと明るさを持っている。
暗さがこの鬱屈としたさみしいという感情ならば、明るさはそこから抜け出そうという強い意思なんだろう。
僕たちはその明るさになりきることができる。
だから表裏一体なのだ。
久しぶりに、○○さんって裏がありそうだよね…
という話を聞いた。
人の裏表をこの月刊の題材として扱ってきていた自分にとっては、それを裏と捉えるのは違う気がする。
全部その人のその人らしさなわけだし。
人間にはペルソナって概念もあるんだから、そういう顔があるのも当たり前だと思う。
僕たちは結局いつも、晴れないさみしさを抱えている。
でも、それだけじゃなくて、それを晴らそうと努力する明るさも持っている。
それを行使して日々を過ごしている。
たぶん、このさみしさが晴れるタイミングはいつかあるんだろう。
恋人が出来たとき?望んだ企業に就職出来たとき?自分のコンプレックスが解消されたとき?
それはいつかわからないけど、
とりあえず
さみしさが晴れるそのときまでは
頑張ろう。
頑張って、生き抜くのだ。