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月刊コグマ#2 新しい風/Brand New Days


生活はつづく

気が付けば2月も終わりに差し掛かっている。

今月は何をしたんだろう?
そう思い返してみる。

今月の頭に大学の期末テストがあり、それを難なくこなした(意訳)後、ペルソナ3Reloadを始めたんだっけ。
テストが終わったら暇になるからって毎日1日中やってた気がする。

1週間とちょっとでP3Reを終わらせて、無印版と同じように感動して泣いて、そこから何日かは喪失感でたまらなかった。

それで今は、Nintendo-directで真女神転生Ⅴのマイナーチェンジ版である真女神転生Ⅴ Vengeance が出るとの情報を見て、
せっかく買ったのにやらないのももったいないと思い、メガテンⅤをやっているところである。

1日1日が終わるたびに、とても無駄にしている感じがして、後悔する日々。
もちろんペルソナもメガテンも面白かったし面白い。

でも、どこか周りの同年代の人たちよりも時間を無駄に浪費してる感じがある。

去年は静岡での生活が最後だった、というのもあってか、本当に色々なところに行った気がする。
丁度今頃だったかには深海魚水族館に行ったんだっけ。

楽しかったなぁ…

あ、そうだ。
今度すみだ水族館にでも行こうかな。
まぁカップルとか多いと思うし、とっても空しくなるんだろうけど。

今までにも似たようなことを語ってきたと思う。
水族館だったり、海だったり、どうして空しくなるのに独りでも行きたくなるの?と言いたい人がいるかもしれない。

でも単純に、僕はあの雰囲気が好きなんだ。
と返すだろう。

特に水族館などはそうなのだが、あの雰囲気はとっても穏やかな気分になれる。
自分とどこか溶け合っているような感覚がして、好きだ。

海も似たような理由で、あの波の音がリラックスできているような感覚になるから好きなんだと思う。
実際に出来ているかは分からないけど。

そういえば、今月の頭に少しだけ、かつての友達を誘って熱海に行こうか考えていた時があったことを思いだした。
結局、実行はしなかったけど。

最近の自分はいつにもまして人の目を気にしてる気がする。
それこそ、さっきの「独りでも」とか「空しくなるから」とか。
こいつ等が僕はとっても怖くなってしまったからだと思う。

最近、自分の風貌はいわゆる陰キャなので(まぁ内面もだが)、どうしても相手と対等に会話が出来ているという気がしない。
だから、自分が出来るのは真摯である行動をとる ということのみだと考えている。

そうじゃないと、どこか舐められている感覚がする。
だからこそ、そうやって真摯に純粋に それでいて穏やかに受け答えをすることが大切な気がしている。
今の自分のプライド的なモノともいえるだろう。

でも、
「独りでも」「空しくなるから」という
これらは僕の今のくだらないプライドを傷つける第一要因なので、無意識に避けているのだろう。

だから、「怖くなってしまった」。

そんなに悩むんだったら、友だちでも呼んで行ったらいいじゃないか!
なんて声が聞こえてくる気がする。

でも待ってくれ。
水族館だぞ?海だぞ?
なんでむさくるしい男どもと遊びに行かなくてはいけない?

ここはしっかりと言わせてもらうが、僕は嫌だ。
せっかく行くなら女の子と行きたい。
華々しいデート風にしたいんだ!!

まぁ、今の僕には手を伸ばしても届きそうにないくらいには夢のまた夢な願いなんだろうけど。

僕たちの世代は、僕に限らず、多くの人が受け身になっていると思う。
誰かが自分を遊びに誘ってくれないかな?と考えるばかりで、自分から「遊びにいこうぜ!」と誘う人は大していないんじゃないか。

先月の月刊の話から考えるに、僕が誘われないからみんなもそうだろうという期待も込めてそう考えているだけなのかもしれないが、今はそれでもいい。
だから、願う。そうであってくれ!!

話は脱線したが、自分から動こうとしない人達が多いと思うので、寂しいと感じるのもしょうがないことだと思う。

やっぱり自分で動くべきなんだろうなぁ…

そういえば、話すのを忘れていたが一人だけ遊びに誘っている人がいる。
とはいえあの人はまだ学生なので部活とかぶらないように調整出来たら連絡する というところで止まっているので、実際に行くのかは分からないが。

だから、ここで変にお金を使ってしまったらそこで遊びに行くのに必要なお金が無くなってしまいそうなので怖いところだ。
でも、かつてのおともだちと一緒に遊びにも行きたいよなぁ…

一応予定だけでも組んでおこうかな。
実際に行けるかは置いておいて。

来月が楽しみだな。



自分の見え方

「まじめ」って悪いことなのかな?

大学の同級生と話しているときに、ふと そう思った。

そもそもそんなことを思ったのにはとある経緯がある。

自分の中で、外 例えば学校やバイトなど はスイッチを入れる場所だと感じているのか、自然とまじめスイッチが入ってしまう。
けれど、家の中では逆にどうしてもそのスイッチは入らず、常にOffな感覚になってしまう。

とある日にその大学の同級生と話していると、その人にこんなことを言われた。

「どこか○○君って話しかけづらいんだよね」
「まじめって印象が強くて、よそを受け入れないような、シャットアウトしてる感じがあってさ」
「○○君もおんなじ曲聴いてて、イメージが変わったけどさ」

正直、僕はびっくりした。

授業中や外にいる間はスイッチが入っていても、少なくとも人と話しているときは出来るだけフレンドリーに徹していたと思うのだが。

どこがダメだったのだろう。

そう感じたのだった。

そんな話をしたことを思いだしたのが、最近その同級生と話していた時。

そういえばあの時、こんなこと言われたよなぁと思いだして、ふと まじめって悪いことなのか?と思った。

元々、自分はスイッチの切り替えが上手にできる人をとってもカッコいいと思っていて、自分もそうなりたいと思っていた。

重要な場面だけ頑張る とかじゃなくて、スイッチを入れるべきところは入れようと しっかりと授業の時は授業として受けるし、バイトの時はバイトとして頑張る。
気を抜くのは、休憩時間であったり(ここでも完璧に気を抜いてるとは言わないだろうが)家に帰ってきたりしたときだ。

自分の中でそうやってしっかりと決めて、そんなカッコいい男になろうと意識しだしたのが中学生の半ばから。
そこから入り切りに関しては成長したかもしれないが、見られ方も変わってしまったのだろう。

では、なぜ。
どこで変わったのか。

今、とてもくだらない理由を思いついてしまった。
これは僻みや憧れかもしれない。
けれど一つ投げてみることにする。

人間にとって求めているのは まじめな人間 ではなく、テキトーな人間なんじゃないだろうか。
スイッチの切り替えが上手な人よりも、常にバカやってる人たちの方が親近感がわきやすいからなんじゃないだろうか。

もちろん、外でスイッチを少し切っているときもある。
でも、もうその人は「まじめな人」という印象が刷り込まれているためスイッチを切って、バカな談笑をしていたとしても、バイアスが掛かって関わりづらくしているんじゃないだろうか。

自分という人間を理解している人ならば、その人の本質を分かっているのでここで「入り」になっていても、絶対に切りになる瞬間があることは分かっているはずで、だからつるんでいられるのだと思う。

その点、常にバカやっている(限度はあるが程々な)人たちは、親しみやすさがあるので話しかけやすいし、コミュニティも作りやすい。

だからなのか?

別に、真面目である印象を持たれるのは悪くないと思う。
けれど、それ一辺倒になるのは個人的に好かない。

来年度からは大学2年生となり、しっかりと学科ごとの授業中心になるだろう。

これは自分改変だ。

スイッチの入り切りを極めて、僕の思うカッコいい人を目指すのと同時に、フレンドリーさも極めて親近感MAXな様子をお届けしよう。

そのために何をしたらいいのか分からないが、とりあえず好きなゲームでも話しておけばいいのか?

何かキャッチーな話題を用意しなくては。



新しい風

以前からちょくちょく話に出しているとは思うのだが、僕は今、スーパーでアルバイトをしている。

大学が休みの今、このスーパーのアルバイトは何か面白い話でもないかと探るにはとても優良な場所である。

バイト仲間との話の中からネタを見つけたり、またある時は、マネージャーとの会話や連絡事項の中から気になる話題を見つけたり。

色々とここでも役立っている。

今回も、そんなアルバイトの中で知ったことから話を広げていこうと思う。

丁度2月の最終週手前の事。

その日は土曜日で、もう1週間もすれば3月になっているという日でもあった。

夜のバイト。夕方5時から夜10時まで(原則)の仕事。
夜、6時45分には毎回マネージャーからの連絡事項を伝える”夕礼”がある。

その日の夕礼でも連絡事項はあり、その内容はいわゆる異動の話だった。

アルバイトに異動はもちろんない。
ただ、社員の方にはある。

マネージャーはお世話になった人たちには感謝を言うように、という言葉とともに、誰が異動になるのか 名前を簡潔に読み上げていた。

その中には、もちろん自分の部門の人も2人ほどいた。
そして、店長と副店長も異動になるとの話も聞いた。

別れの季節といえば、やっぱり来月の月の方がしっくりくるだろう。
どうしても、卒業式とかあるし。

けれど、実際には2月の終わりごろも終わりの時期に差し掛かっているので、目の前まで迫っているような感覚なのだろうか。

今まで自分は2月をそんな風に見たことは無かった。

言ってしまえばバレンタインデーがあるくらい。
その他のイベントとかも思いつかないし、あとはただただ過ぎていくだけの月だと思っていた。

まぁその社員さん2名にも店長・副店長にもそこまで、
いや、まったくと言っていいほど思い入れは無いので、その人たちに対して悲しい気持ちにはならないのだが、

”別れ”と聞くとどうも気持ち的にしんみりとしてしまう。

異動する人がいるということは異動してくる人がいるということでもある。

これはありきたりな事ではあるのだが、新しい人が来る ということは 新しい風を運んでくるということだ。

それが心地の良いものであるのか、それとも自分にとって嫌な風を運んでくるのか。それは分からないけど。

新しい出会いが良いものであることを期待して、前を向かなきゃいけないんだろうな。



心のうち

最近、バイトでクレームを言われた。

結局、マネージャーに「別におかしい対応をしたわけじゃないから、相手の気を立たせない断り方を学んでいこう」みたいなことを教えてもらったのだが、どうも納得できない。

しっかりとマニュアル通り、今はまだ値引き出来ないんですよと伝え、時間で決まってるわけではないんですよと伝えたはずだ。

僕の何が気に障ったのか。

言い方が悪いとかなのだろうか。
マネージャーはどんなクレームだったのか伝えなかったので詳しいことは分からないが。

やっぱりどうにも腑に落ちない。
理不尽な怒られ方だと感じている。
まぁ、そんなことは慣れっこなんだけど。

せっかくなので
この出来事のおかげで思いだした、
昔、塾に行っていたころに起きた理不尽な話でも語っていこうか。

これは中学生のときの事。

当時、自分は吹奏楽部に入っており、塾内にもその関連で顔見知りの人が何人かいた。

市内の学校の吹奏楽部の人たちが集まって演奏をする という会にうちの部活は強制で参加させられていたので、仲のいい人ももちろんいた。

あるとき、一人の女の子と席が隣になったので、吹奏楽部のことや塾での課題について話していたのだが、後ろの方から目線が気になる。

どこからの目線かは分からないがとにかく見られていると感じるのだ。
しかし、後ろを振り向いてもそれらしい人はいない。
少し不気味に思いつつ、授業を受けた。

時間は立って、夜10時。
やっと塾が終わる!!と思い、席を立ってドアに向かおうとすると人に呼び止められた。

明かに男の声だが、誰だと、まさか度々感じていた視線の正体か!と思いそちらの方を振り向いてみると、その正体はやはり男だった。

嫌な予感しかしない。

すると突然、男が僕をにらみつけてこう言った。
「アイツ、俺の彼女なんだけど」と。

今思っても、めんどくさいことに巻き込まれたなぁと思う。

僕はなんとその子を狙ってる輩だと思われたみたいだ。
まぁかわいい子だとは思うが、彼氏持ちだってことは以前から知っていたので狙うわけもない。

はぁ。

そう返すしかないのでそううなずくと、彼は言葉を続けた。

「あんまり話さないんで欲しいんだけど」
と、いかにも嫉妬心爆発の様子で僕に迫って来ていた。

こんな彼氏じゃあの子も可哀そうだなぁと思いながらも、彼は屈強な身体の持ち主ではあったので、いつ暴力を振るわれるのかと内心びくびくしていた。

とにかく個人的にはどうでもいいことだったし、早く家に帰りたかったので
「分かった、分かったから」
と答えその場を去った。

帰り際、
「絶対に近づくんじゃねぇぞ」
と言われた気がしたが、それは聞こえないふりをした。

こんな漫画みたいな話があるんだなぁと思いつつ帰路を歩いていたことが強く印象に残っている。

あんなに愛されているあの子は彼に対してどう思っているんだろうか。やっぱり付き合ってるんだし、好きなんだろうか。

後日、その各学校の吹奏楽の集まりであの子には謝られ、僕も注意することを伝え、それはそこで終わった。

しかし、それ以来、男の気配のする女の子とは関わるのが少し怖くなってしまった。

とっても理不尽だったと思う。
僕は地味に精神面でのダメージを負ったわけだし。

自分の心のうちも相手の心のうちもお互いがお互いに分からない。
だからこそ、こうやって勘違いされたりクレームをつけられたりする。

人の心が読めたら~なんて思うこともあるけど、そうしたらそうしたで世の中つまらなくなることも多くあるとは思うので難しいところだ。

そして、それでも前を向き続けていかなきゃいけないのが辛いところなのだろう。

でも、あのお客さんにもあの彼にも、もう会いたくはないよなぁ…



まとめ:Brand New Days 

P3Reが終わって、そこから数日は喪失感でいっぱいでどうにも手が付けられなかった。

受け入れられないわけじゃない。
なんならあの結末で僕は納得しているぐらいだ。
(サブタイトルがメメントモリな時点でそれは明白でもあるのだが。)

でもどうにも、結末が分かっていても悲しいものは悲しい。

グラフィックが無印と比べて格段に良くなったおかげか、ゲームの世界観に浸りやすくなっているのも相まって、最後のシーンはより涙腺にダメージを与えてきている気がした。

でもやっぱりとてつもなく面白かったし、やりやすくなってたし、これは名作だと思う。

別れと傷つきとテストと。
意外にも色々なことが重なった一か月だった気がする。

また3月になれば真新しい日々が訪れるだろう。
もっと行けばもう来年度だ。

ずっと過去ばっかりに目を向けるんじゃなくって、しっかりと未来に目を向けて、希望をもって頑張らなくっちゃな。

そして、来月は絶対にどっかに遊びに行くぞ!

来月の月刊をお楽しみに!!

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