出来ないことはしなくていい
出来ないことだから、しなくていい。
なんだ? 右腕の無い者に「右手で物を持て」とでも言うつもりか?
目が腐っているのか? 状況への判断力も怪しいぞ。
右で持つことが「出来ない」と知ったのなら左で物を持てばいい。それか義手を使うでも何でもいい。それが「出来る」ことなら。
誰でも同じ事だ。「出来ない」とはつまりこういう事を言うのだ。
出来ないことはしなくていい。
出来ることだけすればいい。
「出来ることを知る」という事が「自分を知る」ということだ。
自分の手札を知りもしないでカードは切れないし、出来ないことをしようとしてもそんな事で手札は一切増えることはない。
出来ないことはしなくていい。
「出来ないことを知る」という事が「自分を知る」ということだ。
ただ知るのだ。
知ることこそが手札を増やす事なのだ。知ることこそが成長。
出来ること、出来ないことに基準は無い。それを判断する必要もない。
ただ「動く」か「動かない」か。
「出来ない」の中の「出来る」を知り「出来る」の中の「出来ない」を知るだけだ。
知るほどに輪郭はより明確にかつ薄くなり、精度は限り無く増してゆく。
「出来る事」をして「出来ない事」をしないのが「自分を知っている」という状態だ。それは既に知っているという状態。
これは「好きなことをしよう」という話ではない。「自分に出来る事」が好きかどうかなど知ったこっちゃない。好きかどうかは評価に過ぎない。
出来ること、出来ないことを知り、自分を知るたびに手札が増えていく。すると自分自身が無限の山札だという事に気づき始め、次第にデッキが見えてくる。
自分を知るという事は、自分がどういうデッキなのかを思い出すという事だ。
つまり自分に「出来る事」こそが自分の、この”デッキ”の「したい事」なのだ。
「出来る」とは自分がこの”デッキ”で「したい」事なのだ。
「出来る」とは「したい」なのだ。
観察し、手札を集め、デッキを見極めろ。
さて、どうやってカードを回そうか? どうやって使おうか?
出来ることだけをするのだ。
「出来ない」を知り「出来る」だけを行うのだ。
それこそが「したい事」なのだ。
※我々が今「生きる」を出来るのは、したかったからだ。
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