やりたいから、やる
私はずっと、カッコよくありたいと願ってきた。
流行に流されず、個性的なものを身に付け、誰も考えたことのないことを考えていたいと思っていた。
センスよく、さっそうと生きていたかった。
人から、一目置かれる存在でありたかった。
でもね、ようやく気付いたわ。
そういう思いが私を、苦しめてたんだな、って。
残念ながら私は、幸せな子供時代を送れなかった。
大人から受け入れられるという経験をほとんどできずに育ったので、人前でうまく振る舞うことができず、友だちができなかった。
家にいても、学校にいても、常に疎外感を感じてた。
安心して身を置いておける、居場所がなかった。
だからもう、大人になったときには「自分は人の中で孤立する存在だ」と、痛いくらいに分っていた。
それで、人と直接触れ合うことはできなくても、遠巻きにして一目置かれる存在になりたかったんだと思う。
ものをつくることや、文章を書くことが好きだったので、広告関連の会社に就職したこともあり。
センスの良さで、周りから抜きん出たかった。
認められるために、仕事に没頭した。
忙しいときには2週間以上も、家にすら帰れなかった。
いま思うと、とんでもないブラック企業だけれど、当時の私は「忙しいのは勲章だ」くらいに思っていた。
完全な、ワーカホリックだった。
仕事の出来を、認められるために__。
私という存在を、認められるために__。
自分じゃない誰かになることすら厭わず、がむしゃらに働いた。
でも、認められたいと思えば思うほど、うまくいかなかった。
どんどんどんどん、自分を追い詰めてくだけだった。
結局、続けられなくなって会社を辞めた。
居場所がなくなったような気がして落ち込んだけど、元々、会社に私の居場所なんてなかった。
そうか、私がいられなくなったのは、会社だけじゃないんだと思った。
もう、社会の一員でもないんだな、と。
最初は、出勤してゆくサラリーマンたちを見ているのが、辛かった。
でも、いまは何でもない。
私は、人から認められるために生きてるんじゃないと、分ったから。
人から認められるために文章を書くのでも、ものをつくるのでもない。
自分が「やりたい」と思ったから、やるんだ。
「カッコよく」の奥側にあった、「人から認められたい」は、いまも私の中から消えてはいないけど。
だいぶ、影響力は弱まってきた。
これからは、自分の中から自然にわき出てくる「これやりたい」っていう子供みたいな欲求を、大事にしていきたい。
小説書きたい。
デザインしたい。
何かつくりたい。
このトシになっても、こんな子供みたいな欲求がどんどん出てくる私って、なかなかすごいんじゃない?
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