存在からの叫び
さて、いよいよ「終わって始まる」行程の中の、「終わり」パートが徐々に始まってきていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
私は至って元気で、昨日は久々にランニングマシンで走ってみました。
いやぁ、やっぱ身体を動かすって大事!
でも改めて思ったのは、運動ってもちろん、筋力増強もあるんですけど。
私に取っては何より「頭の中をからっぽにすること」と、「リフレッシュ」がとてつもなく有効なんですよねぇ。
ジムをやめて以来、長いことサボってましたが、ウォーキングから始めてみてすぐ、強烈に思い出しました。
これからはメニューを細かく決めたり、「一週間のうち何回走らなければならない」なんて、自分を一切しばらず。
いつでも、走りたいときに走っていこうと思います。
私ももう若くないんだし、そろそろ「メニューをこなすこと」ではなく、「楽しく継続すること」を目標にするのが自然ですよねぇ。
その切替えのため、もしかしたら私、少し運動から遠ざかることが必要だったのかもしれません。
こんなふうに私たち、知らずしらず自分にとって必要なことを体験してるんですよね。
昔からよく言われてきたことですけど、不必要なことなんて実は、ひとつたりとも起きていないんです。
自分の外側にばかり意識が向いているとなかなか気付くのとが難しいのですが、自分の内側と向き合えるようになるとくり返し感じるようになります。
「ああ、必要なことが次々、起こってるだけなんだなぁ」って。
でもそういうことを感じられるようになるまでが、苦しいんですよねぇ。
私も足掛け三年、カウンセリングを受けてきて、最初のころがいちばんキツかったです。
私の場合、子供のころのことを思い出したくなさすぎて、まるっとすべての記憶に鍵を掛けてしまっていたため。
私を規定してしまっている記憶のあぶり出しが、とにかくキツかった。
どこかでそうなることを感じ取れていたから、できることなら近付かず、逃げていたいという思いもありました。
でも、やっぱり私も「どんなふうに生きてゆきたいか?」という問いからは、逃げることができなかった。
いまだゴールできてないけど「やりたいことが自由にできる自分になりたい」という欲求にフタをすることはやっぱり、できなかったんですよねぇ。
だーいぶラクにはなってきたけど「私ひとりが、やりたいことをするのはいけないこと」という、潜在意識の深い深いところにあるしばりから。
どうしても、どうにかして自由になりたかった。
それって「どうしてやりたいことができないんだぁーっ!」っていう私の、存在からの叫びですよねぇ。
ずっとずっと絶えず私といっしょにあったストレスが、とうとう限界値に達したわけです。
そのきっかけとなったのが、コロナによる「封じ込め」でした。
自由に行動することの封じ込め、人と関わることの封じ込め、欲求を満たすことの封じ込め。
これは、私だけに当てはまることじゃないと思います。
みなさんすべてに、当てはまることのはずです。
だからこそ宇宙は私に、いま、こうして「自己実現ゲーム」をアピールさせているんだと思います。
みなさんがいま感じているストレスは、まだ限界値には達していませんか?
まだまだ自分の奥底からの叫びに、フタをし続けていけそうですか?
ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。