楽しむことを優先する
人と違うところがあったって別に、いいに決まっている。
ところが私の場合、母親のとらわれが「人と違ってちゃいけない」だったから。
私も、同じようにすり込まれてしまっている。
だから自分に、何度でも言ってやる必要がある。
人と違って、いいんだよ私。
人と違うのが、いいんだよ。
ギターの練習をしてて、気が付いた。
これまで私、うまく弾こうとしてきたけど。
譜面どおりに一拍未満のリズムの狂いもなく、弾いちゃいけない弦には一切触れずに弾けたとして、それって楽しいの?
最初から最後まで、何の引っ掛かりもない流れるような演奏ができたとして、それって満足できるの?
いやぁ、そうは思えない。
リズムを食ったり、食われたり、触っちゃいけない隣の弦についつい触れちゃったりするから、私なりのグルーヴ感が出るし。
そもそも私、楽しむためにギターを弾きたいと思ったんだから。
上手く弾くより、楽しく弾くを優先しちゃって、ぜんぜんいいんだよ。
いっしょだよね、人生も。
うまく生きようとするより、楽しく生きりゃいい。
で、楽しく生きてりゃ当然、個性がどんどん強調されてゆくのよね。
だって、私の“楽しい”や“ワクワク”は、私だけのものなんだから。
人と共通してる必要はないし、違ってて当たりまえ。
だから何度でも言うけど、人と違っていいの。
マイノリティでも、ぜんぜんいいの。
ムリしてまで人に合わせようとする必要なんて、まったくないし。
人にどう思われるかなんて、考えずに行動しちゃって大丈夫。
たとえ自分勝手と思われても、マウント取るようなこと言われても、それだけであれば何の影響も受けることはない。
影響されてしまうのは、こちらの自虐的な受け止めと、それによって引き起こされる感情にとらわれてしまうから。
それさえしなければ、誰にどう思われようと、痛くもかゆくもない。
だから、変わった人でも、ぜんぜん平気。
むしろ、個性を認めてもらえたと喜んじゃえばいいんだよ。
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