feedbackを大切にする教師~こんな教師って良いな~
適切なフィードバックを返すことができる教師。
つまり、子どもが頑張ったことを認めることができ、それをさらに良くしていくことができるような教師ということになる。
フィードバックは主に集団に対するものもあれば個人に対するものもあるだろう。どちらにせよ、子どもの「不安」を取り除くためのものであるということは一つ言えるのではないか。子どもが頑張って行ったものを客観的に見て、どう見えているのか、どこが良くてどこが改善点なのか、といったようなことを教師が返してあげる。子どもは自身が書いた課題や宿題や発表というものは、これで良かったのだろうか、と不安を感じているのではないか。それを教師が言葉を添えることで取り除いてあげることができるのではないか。
それは評価といったものと一体化してくるものではあり、子どもにとって成績というものは重大な数値であるため、そういった観点からも気になるであろう。
そして、これは教師と子どもの信頼関係を作っていくという意味でも、重要な意味を持つだろう。それは、教師と子どもの双方向性が保たれているということから起因する。つまり、フィードバックがない状態を想像してみるとわかりやすい。子どもが課題や宿題を提出した、発表したといったアクションを起こした。しかし、教師からは何も返ってこない、返ってきたとしてもスタンプのみ、みたいなことはないだろうか。課題の種類にもよるだろうが、このタイプが多いとなかなか子どもはせっかく頑張ってやったのに、スタンプだけか、と感じ、子どもは教師から認められた、といった感情を抱きにくくなってしまうのではないか。そこで、教師は少しでも良いから直筆でコメントを返してあげるとか、口頭でアドバイスを送るとか、子どもからの投げかけに対してしっかりと教師は返してあげることが、双方向性が保障され、それが子どもは認められた、といった感覚になるし、改善点があるのであれば、より向上させるための努力をすることに繋がるであろう。
集団と個ということばを最初にしたが、これがどちらかばかりにならないようにする必要があるだろう。集団としてのフィードバックは学級や学校といった大きな枠組みでのフィードバックであり、他人との関わりといったものが関わってくるようなフィードバックが行われるだろう。これはとても重要だ。集団で活動していくことは避けては通れないだろうから、そのようなまとまりを意識したフィードバックは大切だ。しかし、今回、より重要視したいのが個へのフィードバックだ。これはやはり先ほどの信頼感といった問題になる。集団としてフィードバックをされても子どもは教師が自分のことを一人の人間としてみてくれているのか、ということは実感しづらい。子どもは認められて自己肯定感を高めて成長すると考えている。そうすれば、自分に少しでも自信を持つことができ、さらに良くしようと努力するようになるのでは。また、子どもが持っていなかった視点を授けることができる。それが子どもに新たな気づき、成長を促すことは言うまでもない。そのため、個へのフィードバックが大切だと感じる。
なぜ、ここまでフィードバックが大切だと感じたか。それは大学でのオンライン授業と演劇からの経験だ。オンライン授業に関しては、教師に対面で会わない、大学に行かないということから、なかなか大学への帰属感は乏しいし、課題を提出してもこれで良いのかがわからないといった事態に陥った。しかし、大学の教師の中には毎週フィードバックをくれる教師がいた。やはり、その教師の授業は印象に残っているし、信頼を置いている。
それから演劇からであれば、稽古における役者と演出の関係であろう。役者は自分の考えを基にうまく表現できているか稽古で演技をする。この時は自信をもって演技をするがちゃんと演技ができているか、やはり不安ではある。そこで、演出がフィードバックとして、個人個人にこの演技が良かった、ここが改善点だ、などとフィードバックをくれる。これはお互いの信頼にもつながるし、客観的にどう自分が見えているのかということを確かめることができるのでさらなる向上に繋がる。これは、教育においても同じなのだろうと感じる。教師は演出家と言われているが、このような面からもまさに言えるなと感じる。
そんなこんなで、適切なフィードバックができるように考えを深め、どんな言葉をかけるべきか注意を払いながら良い教師となれるようにしていきたいものですね。
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