芸州藩の幕末史
慶応2年 芸州藩ダイジェスト
・「禁門の変」の後処理は第一次長州征討で決着がついてるので第二次は無用と唱える
・芸州藩が第二次長州征伐に出兵反対を表明
・小笠原老中が執政・野村帯刀、辻将曹に謹慎を言い渡す
・小笠原老中暗殺予告が広島城下の町辻5か所に貼り出される
・小笠原老中が広島から小倉に退去
・芸州藩が出兵拒否を幕府に通告し第二次長州征伐には直接参加せず
・第二次長州征討が周防大島で始まる
・第二次長州征討・芸州口の戦いが勃発
・家茂将軍死去
・芸州口の戦いが休戦
・宮島の大巌寺で幕府と長州が休戦協定
・神機隊の建白書が藩庁に出されるも財政難を理由に藩庁が拒否
・幕府軍が第三次長州征討を検討
・芸州藩は幕府に見切りをつける
・幕府体制は末期と判断、芸州藩は藩論として大政奉還に辿り着く
慶応3年 芸州藩ダイジェスト
・石井修理が大政奉還の建白書を提出 幕府スルー
・翌日、菅野肇の飛鳥井雅典伝奏へ上奏書を提出 朝廷スルー
・辻将曹が小松帯刀と協議、小松が土佐藩の後藤象二郎にも話す
・芸薩土三藩で大政奉還の建白書の提出と京都への出兵を計画
・山内容堂が土佐藩の京都出兵を認めなかった為、芸薩土の三藩出兵計画は頓挫
・神機隊が回天軍第一起神機隊として旗揚げ
・芸州・薩摩藩は毛利家(長州藩)の名代を京都に謝罪に行かせる名目で長州藩を出兵させるべく、芸薩長三藩軍事同盟を計画
・薩摩藩の事情で出発直前に芸薩長三藩出兵が頓挫
・芸薩土の密約を無視し大政奉還の建白書を土佐藩が抜け駆けで幕府に単独提出
(芸薩土の密約とその後の経緯の詳細を聞いた中岡慎太郎が激怒。後藤を斬ると息巻いたが、諭されて思い留まる。)
・芸州藩も幕府に2回目の大政奉還の建白書を提出
・在京の芸州・薩摩藩兵が、会津・桑名藩兵を強引に外させて京都御所の警備に就く。
・御手洗より芸薩長が京都に向けて海路で三藩出兵が実行。長州の船には芸州藩と薩摩藩の旗を使用して偽装
・辻将曹により芸州藩兵へ京都離脱命令が下りる
(大政奉還が為された以上、戦をすべきではない、と判断)
・京都の小御所会議で、王政復古による明治新政府が樹立
・同会議で浅野長勲が対立する薩摩藩・岩倉具視・土佐藩を仲介
慶応4年 芸州藩ダイジェスト
・鳥羽伏見の戦いが勃発
・辻将曹の命令により鳥羽伏見の戦いでは銃撃せず
・「芸州は日和見」が京都で流行る
・新政府から広島藩に備中・備後の鎮撫が命じられる
・神機隊が備中・備後を制圧
・神機隊が一旦芸州に帰還
・神機隊が自費で関東征討に出発
延寿元年 芸州藩ダイジェスト
・神機隊が上野戦争・飯能戦争・甲府警固に参加
・神機隊が磐城平に入るが磐城の戦いには間に合わず仙台攻撃を選択し相馬・駒が峰・亘理へと進軍
・仙台藩が降伏
・八条原城の工事着工
・神機隊の第一隊が広島に帰藩
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