藝大生の作るプレイリスト〜日本のオーケストラ曲・私的二十選〜

専攻:音楽研究科音楽文化学専攻博士前期
名前:東舘祐真


はじめに

皆さま、こんにちは。音楽学部の楽理科の修士課程(正しくは音楽研究科音楽文化学専攻博士前期の課程)に所属しております、東舘祐真と申します。私は四月から、日本の作曲家の研究をするために、藝大に入学いたしました。
私は中学のころからクラシック音楽が大好きなのですが、ひょんなことから、日本人によるクラシック音楽作品を愛好するようになりました。こちらの連載企画を目にしまして、私の愛してやまない日本人のオーケストラ作品を、僭越ながら読者の皆さまにご紹介させていただこうと思い立ち、執筆を希望させていただきました。

しかしいざ自分の好きな曲を詰め込もうとすると、あれもいれたい、これもいれたいと、際限がなくなってしまいそうになったため、断腸の思いで、作曲家20人・1人1曲の全二十曲に絞らせていただきました。また、オフィシャルに配信されている楽曲のみを対象といたしました。どれだけ少なく見積もっても、あと五十人ほどご紹介したい作曲家がおりますが、彼ら彼女らは涙をのんで割愛させていただきます。

日本人作曲家の作品は、以前に比べて演奏機会が増えたとはいえ、依然としてコンサートのプログラムにのることは多くありません。また、そうした曲に出会ったことがない方が、聴き手/演奏者として、どのように聴けば/演奏すればよいのか戸惑う、といった話もよく聞きます。恐れ多いことですが、この二十曲をお聴きいただくことが、日本人作曲家の聴き方/演奏の仕方についての何かしらの手がかりに、もしくは日本人作曲家の世界への入り口のようなものになれば、嬉しく存じます。

楽曲紹介

山田耕筰/序曲 ニ長調 (1912)(湯浅卓雄指揮 ニュージーランド交響楽団)
山田耕筰(やまだ・こうさく、1886~1965)が1912年、25歳のときに作曲したこの作品は、日本人の手による最初のオーケストラ作品とされています。ベルリンに留学し、ブルッフらに学んでいたときの作品であるために、19世紀ドイツ・ロマン派の典型的な音楽となっています。しかし、爽やかで瑞々しいニ長調の第一主題、伸びやかで美しいイ長調の第二主題と、間に挿入される副次的な旋律の数々は、耕筰のメロディーメーカーとしての才に溢れています。後の大作曲家の青春の息吹を伝える佳作です。

②橋本國彦/感傷的諧謔(スケルツォ・コン・センティメント) (1928)(湯浅卓雄指揮 藝大フィルハーモニア)
戦前に当校(当時は東京音楽学校)の教授も務めた橋本國彦(はしもと・くにひこ、1904~1949)が、弦楽合奏曲をもとに1928年に作曲した作品です。このとき橋本はまだ留学していないのですが、既に本格的な西洋音楽を吸収しており、その語法に依る、日本的な雰囲気の表現を試みています。8分30秒頃からのコーラングレとヴァイオリン・ソロの可憐なデュエットは、リムスキー=コルサコフを想起させます。また、多用されるピッツィカートやハープの音色は筝や琵琶を連想させ、大河ドラマのテーマ曲のひとつの源流がある気がします。

③大澤壽人/コントラバス協奏曲(1934)より 第5楽章 Finale: Allegro con brio(佐野央子コントラバス独奏 山田和樹指揮 日本フィルハーモニー交響楽団)
ボストン・パリに留学し、最先端の作曲法をマスターしながらも、最先端すぎて日本の楽壇では理解されなかった孤高の天才・大澤壽人(おおさわ・ひさと、1906~1953)が、セルゲイ・クーセヴィツキー(指揮者、コントラバス奏者)に献呈するためにボストン留学時に完成させた大作です。彼の音楽は、その先進性もさることながら、大きすぎる編成、技術的な難しさなど、当時の日本では演奏自体のハードルが高過ぎましたが、今日において蘇ったそれらからは、単なる新しさだけでなく、大澤の確たる構成力と絶妙なセンスを窺い知ることができます。この第五楽章では、軽快かつユーモラスに日本風の旋律を奏でるコントラバスと、それによりそう色彩的な管弦楽が素敵です。

④深井史郎/パロディ的な四楽章(1936)より 第4楽章 ルーセ(ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団)
秋田に生まれ1928年に21歳で上京した深井史郎(ふかい・しろう、1907~1959)が、さまざまな作曲家の総譜を暗譜することによって身に付けた管弦楽法を遺憾なく発揮した作品です。1933年に《五つのパロディ》として発表され、後に改訂されたこの曲の「パロディ」という言葉には、西洋音楽を模倣する自分及び日本人を批判しつつ、その模倣された技芸そのものに価値を見出そうとする深井の創作理念が表れています。最も活発でピアノも大活躍するこの第4楽章のクライマックスの金管の旋律、私には「さくらさくら」に聞こえてなりません(5分20秒から)。

⑤伊福部昭/日本狂詩曲(1935)より 第2曲 祭(高関健指揮 札幌交響楽団)
北海道帝大在学中から独学で作曲を行っていた伊福部昭(いふくべ・あきら、1914~2006)の、実質的なデビュー作となった作品です。パリで催されたチェレプニン賞で第一位に入賞しますが、上の深井の作品で取り上げられた作曲家のアルベール・ルーセルからは「打楽器がうるさすぎて旋律が聞こえない」と評されます。しかしこの曲は、帝大在学中に伊福部のヴァイオリン独奏と多数の打楽器のために構想された音楽が元となっているそうで、実は打楽器がメインであるとも言えるのです。ごちゃごちゃ言わずに、原始的な律動に身を任せましょう。

⑥早坂文雄/左方の舞と右方の舞 (1941)(ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団)
早坂文雄(はやさか・ふみお、1914~1955)は北海道に住んでいた十代の頃に伊福部と知り合い、よき友となり、同じ道に進みます。早坂は伊福部の影響を受けつつも、ドビュッシーの音楽に聞こえる響きそのものの美しさを、日本の雅楽にも見出し、水墨画のような、東洋的でおぼろげなる美観を、音楽によって追及しました。その意味でこの作品は彼の代表作と言えるもので、舞楽の、対照的な左方・右方の二つの舞がセットになるという考え方を用いており、動的な音楽と静的な音楽とのコントラストが見事です。このロシア人による演奏、あまり雅楽っぽくはありませんが、これはこれで良い音楽になっています。

⑦山田一雄/大管弦楽のための小交響楽詩「若者のうたへる歌」(1937)(ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団)
猛烈な総奏によってこの曲は始まります。山田一雄(やまだ・かずお、作曲当時は"和男"、1912~1991)は、作曲家としてそのキャリアをスタートさせました。彼は指揮を師事したプリングスハイムの師匠であるマーラーに大きな憧れを持ち、また山田は、上の伊福部、早坂などが行っていた「日本的」と形容される民族的な音楽の創作に違和感を覚えていました。序奏に続く木管楽器の旋律(50秒頃)と伴奏のリズム(1分48秒頃)に聴こえる民謡の調子は、マーラーが交響曲に民衆の歌と踊りを取り入れたことを踏襲しているのだと捉えるべきでしょう。山田はその後、スケルツォや葬送行進曲を、すなわちマーラーの交響曲のひとつの楽章に相当するような作品を書きますが、ついに交響曲を完成させることなく、指揮者の道へと進みます。しかしこの曲には、大志を抱く「若者」の生気がみなぎっています。

⑧諸井三郎/交響曲第三番 作品25 (1944) より 第1楽章 静かなる序曲:Andante molto tranquillo e grandioso — 精神の誕生とその発展:Allegro vivace(湯浅卓雄指揮 アイルランド国立交響楽団)20世紀の日本史を語るうえで、戦争を避けて通ることはできません。日中戦争から太平洋戦争へと向かい、ナショナリズムが過剰に叫ばれる中、上に紹介した作曲家たちも、時局に沿った創作を行っていたということは押さえておかなければなりません。戦時中、音楽家の国策団体の一員としても積極的に活動した諸井三郎(もろい・さぶろう、1903~1977)が、1944年、日本の敗色が濃厚になってきたときに完成させたのがこの交響曲です。第一楽章においては、それまでの諸井の作風を特徴づけるヒンデミット的な乾いた響きは鳴りを潜め、学生時代に傾倒していたフランクを想起させるクロマティックな旋律を持つ主部(5分37秒頃から)が、不気味に静かな序奏に続きます。悲痛な旋律、せきたてるリズム、一筋の光明・・・戦後、彼がこのような音楽を作ることはもうありませんでした。

⑨芥川也寸志/交響三章 (1948) より 第3楽章 Finale: Allegro assai(湯浅卓雄指揮 ニュージーランド交響楽団)
1945年に日本は敗戦を迎え、アメリカの統治下で国家を再建していきます。そのような困難な状況においても、新たな世代の作曲家たちが逞しく育っていきます。戦時中に当校に入学していた芥川也寸志(あくたがわ・やすし、1925~1989)もそのうちのひとりで、1948年、研究科在学中の23歳の時に作曲されたのがこの作品です。師匠の橋本國彦や伊福部昭、またプロコフィエフの影響が随所に感じられますが、その颯爽としたリズムと喜びに満ちた旋律は唯一無二。若い作曲家が抱いていた希望と期待に、思わず私たちの顔もほころぶことでしょう。

⑩團伊玖磨/交響曲第二番 (1956) より 第3楽章 Allegro con bri(山田一雄指揮 ウィーン交響楽団)
冒頭は芥川の曲とそっくりですが、そのあとに続く旋律と展開はだいぶ異なっています。天馬が駆けるような勇ましい第1主題は、日本というよりモンゴルや中国など大陸の風景を連想させます。團伊玖磨(だん・いくま、1924~2001)もやはり戦後に活躍しましたが、彼は先輩たちからクラシカルで堅牢な構成法を学びました。この50分前後の大交響曲では、第1楽章の雄大な主題が、第3楽章の中間部(3分24秒頃から)及び終幕(9分26秒頃から)において確かな説得力をもって再現します。彼のもっとも有名な作品であろう《ぞうさん》にも共通する、壮大な息の長い音楽が堪能できますので、ぜひとも全楽章をお聴きになってください!

⑪外山雄三/管弦楽のためのラプソディー (1960)(沼尻竜典指揮 東京都交響楽団)
先日亡くなった大指揮者・外山雄三(とやま・ゆうぞう、1931~2023)の作曲家としての代表作がこの作品です。戦時中の民族主義の過剰な高揚への反省から、民謡を作品に取り入れることは一時廃れますが、外山など新たな世代の作曲家たちは戦前とは違った新たな発想と方法で、自作に民衆の歌を用いていきます。この曲は1960年に行われたNHK交響楽団の世界一周演奏旅行のアンコール曲として作曲され、各国で熱狂的な支持を受けました。私が大好きなのはやっぱりラスト、「八木節」(5分6秒から)における爆発力で、日本に生まれてよかったなぁと素朴に思えます。

⑫黛敏郎/バレエ音楽「舞楽」(1962) より 第2部(岩城宏之指揮 NHK交響楽団)
黛敏郎(まゆずみ・としろう、1929~1997)は若くしてその才能を開花させ、右は電子音楽やセリエリズム、左はジャズやラテン音楽まで、多様で斬新な音楽を次々と発表します。そんなアヴァンギャルドな黛青年は、20代後半で日本の伝統音楽に理想の美を見出し、こちらも声明から文楽まで、さまざまな邦楽と前衛音楽の手法とを融合させた独自の作品を生み出していきます。ニューヨークのバレエ団に委嘱されたこの作品もそのうちのひとつで、扱われているのは雅楽です。前半のピッコロソロ(1分48秒頃)の浮遊感、そして後半のトゥッティでの荘厳さは、まさに現代音楽の大伽藍。ピアノの書法からはジャズのエコーも聴こえます。

⑬間宮芳生/合唱のためのコンポジション第4番「合唱とオーケストラのためのコンポジション——子供の領分」(1963) より 第5曲 FINALE(岩城宏之指揮 東京放送児童合唱団(合唱指揮:古橋富士雄)、読売日本交響楽団)
トランペットを中心とした前奏に続いて、子どもたちが歌い出します。間宮芳生(まみや・みちお、1929~)の人気シリーズ《合唱のためのコンポジション》の第4番であるこの曲は、オーケストラと児童合唱のために書かれています。間宮がここで用いているのは、作曲当時実際に東京の小学生が歌っていたわらべうた。題名は、同じく子どもから霊感を得たドビュッシーの同名のピアノ曲集からとられており、無邪気なパワーでなんでも遊びとして歌ってしまう子どもたちに、オーケストラが生き生きと絡んでいきます。都市化以前の東京の、のどかな情景が目に浮かぶようです。

⑭松村禎三/交響曲第一番 (1965) より 第3楽章 Allegro - Lento - Allegro(野平一郎指揮 オーケストラ・ニッポニカ)
松村禎三(まつむら・ていぞう、1929~2007)は20歳までに病で両親を亡くし、自身も藝大受験の際に結核を発症、闘病の末の退院後、作曲家としての歩みを始めます。松村の作品には根源的な生命力が刻印されていますが、それは以上のような自らの体験が逆説的に作用しているのでしょう。1960年ごろから構想されていたとされるこの交響曲からも、ヨーロッパとは全く異なる表現による、煮えたぎるエネルギーを感じ取ることができます。クラリネットの弱奏によって提示された主題が全体に敷衍していくさまは、宇宙や細胞の運動を想起させます。

⑮矢代秋雄/ピアノ協奏曲 (1967) より 第3楽章 Allegro - Andante - Vivace molto capriccioso(岡田博美ピアノ独奏 湯浅卓雄指揮 アルスター管弦楽団)
矢代秋雄(やしろ・あきお、1929~1977)が46年の決して長くはない生涯において残した器楽作品は三十作にも届きませんが、そのうちの多くは今日においても親しまれています。それは矢代が、自分の創作に対して非常に厳しい耳をもっていたからで、だからこそ残された作品は、どれも無駄がなく、洗練された永遠の輝きを放っているのです。このピアノ協奏曲の第3楽章、その運動の純粋性と綺想的なピアノと管弦楽の書法は、師匠である諸井三郎とメシアンの音楽を、矢代が学び取り、自らの音として消化した結果であるように思えます。とてつもない緊張感に、息をするのも忘れるような七分弱です。

⑯八村義夫/ピアノとオーケストラのための「錯乱の論理」(1975)(渡邉康雄ピアノ独奏 尾高忠明指揮 東京フィルハーモニー交響楽団)
八村義夫(はちむら・よしお、1938~1985)の音楽のもつ緊張感は、例えば矢代秋雄の磨き抜かれた批評精神の結果としてのそれとは異なり、多分に即興的でラプソディックなものだと思います。しかし、それでもなお音楽が弛緩せず、高密度の結晶となっているところが、彼の天才たる所以ではないでしょうか。八村はその短い生涯で、尋常でなく鋭敏な感覚を作品に刻み込みましたが、本作はその中でも最も大規模なものの一つです。タイトルは評論家・花田清輝の著作名からとられており、花田の文章を触媒に煌めく八村の眩い感性に目がくらみます。

⑰石井眞木/雅楽とオーケストラのための「遭遇 II 番」(1971)(上近正、多忠麿、芝祐靖ほかによる管絃 小澤征爾指揮 日本フィルハーモニー管弦楽団)
「オーケストラ曲」と言っておきながら、雅楽が入ったこの曲を選ぶのはルール違反かもしれません。しかしこの「世界最古のオーケストラ」とも言われる音楽が、上述した早坂や黛をはじめ多くの日本人作曲家たちの興味を引いてきたことは否定しがたい事実です。ここで石井眞木(いしい・まき、1936~2003)は、オーケストラで管絃の響きを模するのではなく、オーケストラの中に管絃を取り入れます。いえ、この言い方も正しくありません。管絃とオーケストラを同等のものとして、自由なタイミングで両者を共演、すなわち「遭遇」させるのです。パーカッシブな管弦楽と、それに一歩も引かない管絃の荒々しい響き、それらが渾然一体となって高潮していきます。

⑱三善晃/童声合唱とオーケストラのための「響紋」(1984)(井上道義指揮 東京放送児童合唱団(合唱指揮:古橋富士雄)、 東京フィルハーモニー交響楽団)
子どもたちがわらべうたを歌い出す点は間宮の前掲作品と共通しますが次の瞬間、オーケストラの狂暴な渦が、その声を無慈悲に蹂躙していきます。児童合唱は、作曲家である三善晃(みよし・あきら、1933~2013)と同世代の、戦争で死んでいった永遠の子どもたちの彼岸からの声であり、三善は彼ら彼女らに降りかかった災禍を再現させることによって、反戦への意志を強烈に表明しました。一方で、このようなメッセージから離れ、純粋に音楽作品として聴いても、その内容の濃密さに感嘆せざるを得ません。緩やかな合唱と激しい管弦楽との対比、そこから生まれる音楽的説得力は、まさしく三善の謂う「ソナタ精神」の体現といえるのではないでしょうか

⑲林光/第二交響曲「さまざまな歌」 (1983) より 第2楽章(高橋悠治ピアノ独奏 尾高忠明指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)
林光(はやし・ひかる、1931~2012)の多様な活動を一つの作品に代表させるのは、どだい無理なはなしです。それでも彼をリストから落とすことはできないので、限られた音源の中から苦慮の末に選んだのが、この全四楽章の交響曲の、沖縄のわらべうた《ガラサー》の変奏曲となっている第二楽章です。藝大在学時から神童として名を馳せた林光の熟達したオーケストレーションを堪能できますが、メロディックなはずなのに復調的で難解な展開はヴァイルやショスタコーヴィチを彷彿とさせ、音楽は風の如く、気が付くと過ぎ去っています。しかしそれこそが林光の音楽を聴くひとつの醍醐味でしょうし、「うた」とは本来そういうものなのかもしれません

⑳武満徹/ア・ストリング・アラウンド・オータム (1989)(今井信子ヴィオラ独奏 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ)
武満徹(たけみつ・とおる、1930~1996)を忘れてはいけませんね。彼の場合もどの曲にするか迷いました。厳しく彫琢された初期の諸作も素晴らしいですが、ここは自分の好きな後期の作品の中から、このヴィオラとオーケストラのための作品を挙げたいと思います。題名は大岡信の英訳選詩集『秋をたたむ紐 A String Around Autumn』からとられ、夏と冬のあいだの季節である秋が、オーケストラにおいて高音部と低音部のあいだに位置するヴィオラに重ねられています。完全四度と短六度の音程を組み合わせて構成された音列によるモーダルな響きは、武満のアイドルであるドビュッシーを想起させますが、その中から立ち現れる、やはり音列から導かれた旋律・・・「うた」の、なんと豊穣なことでしょう。

できるだけさまざまな時代、さまざまな流派、さまざまな音楽を満遍なく入れるようにしたつもりでしたが、いかがだったでしょうか。さて、戦後生まれの作曲家がひとりも入っておりませんが、そのことについて、私がその方々を評価していないわけではなく、まだ自分の中でしっかりとした評価の方法を見つけ出せていないからで、一重に私の未熟さに起因するものであるということは、申し添えさせていただきます。

いずれにせよ、どれか一曲でも、皆さんの耳を「おやっ」と思わせるような作品がございましたら、とても嬉しく思いますし、ぜひこれを機に他の作品、他の作曲家にも手を、耳を広げていただきたく存じます。

インタビュー

具体的には日本の作曲家についてのどのような研究を行なっているのですか?

現在は、戦前から戦後に活躍した諸井三郎(上のリストでも⑧に挙げました)の、特にその活動初期、東京帝大在学時に率いていた「楽団『スルヤ』」に焦点を当てて研究しております。

戦後の作曲家については具体的に研究はしておりませんが、日本の作曲家全体(及びクラシックに限らず日本で音楽活動をしていた人々)に私は興味を持っておりますので、当然戦後の作曲家についても、普通の人よりは知っているつもりです。しかし、戦後のいわゆる「現代音楽」について一般的な知識しかもっておらず(きっと作曲科の学生さんたちの方がお詳しいかと思います)、池辺晋一郎、細川俊夫、吉松隆、西村朗なども大好きなのですが、それを評価するとなると、本当に「聴いた感じの好み」でしかなくなってしまうと感じ、今回私が目指すプレイリストにはそぐわないなと思ったので、省かせていただきました。そういった意味での「未熟さ(=勉強不足)」です。

敢えて海外の作曲家ではなく日本人にフォーカスを当てようと思ったきっかけはありますか?

きっかけとしては中学の頃、山田耕筰の《交響曲ヘ長調「かちどきと平和」》を初めて聴いたときに「耕筰、こんないい曲を書いてたんだ!」と素直に感動し、そこから日本人の作曲家の魅力を知っていったことにあり、したがって研究をしている動機を正直に言えば「好きだから」の一言に集約されてしまいますが(笑)、そもそも日本の作曲家についての研究が少なすぎるというのが、彼らにフォーカスを当てた理由です。

私はベートーヴェンやラヴェルを好きなのと同じくらい、諸井三郎や伊福部昭が好きなのですが、彼ら日本のいわゆる「クラシック音楽」の作曲家が、音楽学の世界でまじめに対象として扱われだしたのは最近(ここ20年くらい)のことで、その数はまだまだ充分とは言えないと思います。

例えば夏目漱石や太宰治が文学/文学史研究で取り上げられるように、高橋由一や藤田嗣治が絵画/絵画史研究で取り上げられるように、日本の作曲家も音楽学の対象にもっとなってよいのではないか、またそれによって、彼らの作品が今日の日本において、広く知られ、聴かれることになるのではないだろうか、と考えています。

日本人が作るクラシックならではの魅力はなにだと考えていらっしゃいますか?

「作品と自分とが日本という同じ空間を共有している」ということだと思います。例えばバッハやベートーヴェンはドイツで、チャイコフスキーやラフマニノフはロシアで創作を行い、彼らの音楽はその国の人々に愛され続けています。それはその作品が優れているということもありますが、作曲家と自分が同じ歴史を共有している、ということも大きいと思います。私は別に、ベートーヴェンやチャイコフスキーを日本人が演奏することについて批判するつもりは全くありませんが、やはりどうしても彼らの音楽は、私たち日本人(個人の問題を抜きに「日本人」と大きく括ってしまうことをお許しください)にとっては「外国人が作って、外国で好まれた音楽」すなわち「クラシック音楽」としてしか在り得ないのではないでしょうか。

一方で日本人の作曲家は、例えば橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭、矢代秋雄などが東京藝大で教鞭を執っていたことに言及するまでもなく、私たちが身を置く環境に身近であり、私たちと同じこの日本という国を生きてきた人物たちであり、私たちと同じ歴史を共有しています。これは「歴史はその国ごとに固有に存在する」と主張しているようで、なんだか嫌ですが、私が言いたいのはそういったナショナリズム的なことでなく、もっと簡単に、例えば私たちの親世代や祖父母世代、曾祖父母世代が生きてきたのと同じ時空間を彼らが生きていたということであり、そのように考えると、彼らの作品がとても大切なものに思えてくるのです。「ベートーヴェンはナポレオン侵攻時のウィーンで創作活動を行っていた」という事実は、私にとってどうしても知識のレヴェルを出ませんが、「諸井三郎が敗戦間際の東京で創作活動を続けていた」という事実は、私自身の立場を抜きにして、日本人として深く頭が下がる想いがします。歴史とはそういうものではないかと思います。今回の選曲についても、そういった観点から選ばせていただいた面もあります。

日本人のクラシック作曲家をまだまだ紹介しきれないとおっしゃっていましたが、彼らをどのように発見していらっしゃいますか?

ナクソスの『日本人作曲家選輯』のシリーズで多くの音楽を発見しました(プレイリストにも多く含まれています)。その後は図書館や中古CD屋、ヤフオクで、作曲家や演奏家の名前をたよりに集め続けています。最近レコードにも手を出し始めました。


・(特に八村義夫のピアノとオーケストラのための「錯乱の論理」が個人的にかっこいいなと感じたのですが)曲のタイトルが有する意味や価値は何だと思いますか?


花田清輝の『錯乱の論理』は、花田の戦中戦後の批評からセレクトされたもので、さまざまな文学作品を対象としていますが、私の読んだかぎり純粋な文芸批評は太宰治論のみで、あとは文学作品から出発した社会への批評、すなわち敗戦によって起こった価値観の転換とその思想的/社会的混乱(「錯乱」)を、詩的で修辞的な表現を用いつつ、理知的に客観的に分析したもの(「論理」)だと思います。(その意味で位置づけは小林秀雄の「様々なる意匠」に近いですが、文章自体はむしろ三島由紀夫や大江健三郎など「戦後派」の諸作を想い起させます。)

さて、八村の作品との関連ですが、例えばリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』はニーチェの同名の著作の「内容」を音楽によって描き出そうとしたものですが、それとは異なり、むしろラヴェルがベルトランの詩からインスピレーションを受けた、換言すれば詩を読んだ自分の「印象」から創作を行った『夜のガスパール』に近いと思います。(さらにそれはそもそものリストの「交響詩」という考えとも共通します。)

八村自身、プログラム・ノートの中で「十代の頃に読んだ花田の同名の著作をいつか自分の作品のタイトルにしたかった」と述べていますから、花田の著作の「内容」よりも、八村がそれを読んだときの「印象」をもとに創られた作品ではないかと思います。したがって「錯乱の論理」というタイトルは、無視すべきではないものですが絶対的なものでもなく、あくまでそれは八村が自身のためにつけたもので、その音楽は「八村義夫の音楽」でしかない、と考えます。

(大澤壽人など)留学を経験した人と日本国内で大成した人に技法面など、なにか違いは感じられますか?

一口には言えませんが、特に戦前の、留学を経験した作曲家は、留学で学んだ技法を絶対視するところがあると思います。それは当然で、そもそも日本は音楽の発展が遅れているから、留学によって「本場の正しい音楽」を学ばなければならない、という共通理解があったためです。ただ、大澤壽人や諸井三郎などは、山田耕筰などの前の世代に比べて、そのような意識は少し薄く、残された書簡や文章などをみると、「日本の発展」よりも「自分の創作」のために海外に学ぼうとしたように思えますが、やはり「日本は音楽の発展が遅れている」という意識は同じでしょう。

留学で学んだ技法を絶対視するということは、その作品が非常に「西洋クラシック音楽の流れを汲んだもの」であるということで、良く言えば「クラシック音楽」として高い完成度を保っている、悪く言えば西洋の作曲家のエピゴーネンになってしまっている、ということが言えると思います。一方で国内で大成した人は、これもやはり戦前の作曲家になってしまいますが、例えば清瀬保二や伊福部昭など、オーケストラ作品ではトゥッティで民謡や祭囃子を鳴らす、粗削りな作品が多いことがひとつの特徴ではないでしょうか。(ロシア五人組の作品と、チャイコフスキーのそれとの違いを思い浮かべてもらえればわかりやすいでしょう。)一方で早坂文雄や松平頼則など、日本の伝統音楽から独自の音楽理論を生み出す人も多い気がします。

ただまあこういう人たちも日本において外国人教師から学んでいたりしますし、そもそも彼らの音楽的志向がそうだったとも考えられるので、一概にその作風の違いを留学経験の有無に片付けることはできません。特に戦後世代の作曲家においては、留学経験と作風との間には、あまり関係がないように現時点での私は思います。

オーケストラの中に、日本ならではの雅楽を取り入れている作品の難しさはあるのでしょうか?

そこまで詳しく研究したことがないので何となくの話になりますが、まずオーケストラと管絃を共演させるには現実的にピッチの問題があるでしょうし、また「雅楽を入れてみました」というだけに止まらない創作上の目的の設定も簡単ではないと思います。(しかしその対象は雅楽に限らず、「なぜ12音技法を用いるのか」「なぜ調性で書くのか」といった、現代音楽の創作全般に言える問題設定の難しさであると思います。)

雅楽の響きを取り入れた曲はたくさんありますし、好きな作品も多いのですが、単に「日本的なもの」としての象徴なら、雅楽である必要がないのではないか?と思ってしまったりしてしまいます。その意味で、リストに挙げた石井眞木の作品と、あとはリストに入れることはできませんでしたが松平頼則の創作は、雅楽を取り入れることに対する目的意識がはっきりしている、優れたものだと思います。

・読んでくださっている方の中には、クラシック作品を聴くことにある一種のハードルの高さを感じる人もいらっしゃると思います。その方達に向けてなにか一曲おすすめするとしたらどれを選びますか?

「クラシック」を「ジャズ」や「ロック」「ヒップホップ」などと同じ、ひとつの「音楽ジャンル」として捉えたとき、「クラシック」の入門に適しているのは、まず管弦楽曲かピアノ曲で、前者ならベートーヴェンからブラームスのドイツ・ロマン派、後者ならドビュッシーやラヴェルなどのフランス印象主義の音楽ではないか、と最近考えています。ヴィヴァルディやバッハの音楽は「教育テレビとかカフェのBGM」に聞こえてしまうおそれがあり、チャイコフスキーやリヒャルト・シュトラウスは「映画音楽みたいでかっこいい」という感想に終わってしまう可能性があります(もちろんそれも悪くないのですが)。またオペラは長すぎるし外国語だし、弦楽四重奏は音色・音量の変化が少なくて退屈に聞こえてしまうのではないでしょうか。

それで、今回のプレイリストでは管弦楽曲を扱いましたし、やはり「クラシック」を聴くひとつの醍醐味はソナタ形式をはじめとした、確かな構成力から生じる納得感(「あ~なるほど~」)及び満足感(「あ~聴いたわ~」)ではないかと思いますので、そのような理由から管弦楽曲を、そしてなにか一曲ということなので、メンデルスゾーンの交響曲第四番「イタリア」の第1楽章を挙げさせていただきます。

今回はプレイリストの企画だったため音源を紹介して頂いたのですが、クラシックを生で聴く体験と音源で楽しむ体験の違いは何だと思いますか?

やはり生演奏というものは、ジョン・ケージの規定したものに限らず、おしなべて「ハプニング」であると思います。眼の前で、いまこの瞬間に音楽が生成しているという過程を鑑賞する楽しさは、録音を聴いているだけでは味わえないことだと思います。あと基本的なことですが音響が(特にクラシックのようなダイナミクスや音域の幅が広い音楽の場合)録音と生演奏では全然違います。

とはいえ私は(お金もないので)録音で音楽を聴くことが大半です。が、ときたま演奏会で、その曲のいままで聴いたことのないような熱演に出会うと、とても嬉しいですし、また、これはある有名なオーケストラの演奏会だったのですが、ピアノ協奏曲で、どちらかというと安全運転で面白くない演奏が続いていたところに「アッ!」と、ピアノとオーケストラがズレてしまった・・・「ヤバい!」、そこから立て直そうとするオーケストラがまさに鬼気迫るような演奏を繰り広げまして、コンサートマスターがソリストにオケを合わせるために身体を大きく震わせ、全団員の緊張感が客席にも伝わってきて、それはそれは録音では為し得ない体験をさせていただきました。演奏としては「失敗」になってしまうのかもしれませんが、これも「ライブならでは」の音楽体験だなぁと、その日は満足して帰ったのを覚えています。

今年の藝祭のテーマは「いま、ここで」なのですが、いま藝大で勉強をしていて良かったこと/誇りなどはありますか?

――まさに「いま、ここで」音楽について書かせていただく機会をいただいたことは、藝大に居なければ有り得なかったので、本当に良かったなと思っています。また周りに音楽を専門とする、もしくは愛する先輩、後輩、先生方に囲まれていることも、とても嬉しいことです。いままであまり喋る相手がいなかったので・・・
「誇り」ですが、まだ入って半年の身ですから、誇りと呼べるような大層なものはございません・・・ これから何か誇りと呼べるようなものを見出せていけたらと思います。

藝祭に向けてのPRをお願いします!

「かわおと・うつほ」という名前でnoteでたまに記事を投稿しています。筆名を用いているのは、研究でない、自分の感想や印象に基づく文章は、本名で発表するものとは別にしたかったがためです。(今回の藝祭の企画で書いた文章も、かわおとさんが書いているような気がします。)今のところあまり投稿できておりませんが、よろしければご覧いただけますと幸いです。

https://note.com/utsuho_ka0oto

また、演奏会でのプログラムノートや紹介文など、ご依頼いただければなんでもお書きいたしますので、ぜひお声がけください!クラシックならなんでも書けます。ジャズもある程度書けます。ロック、レゲエ、ヒップホップは勉強中です。よろしくお願いします!


藝祭2023
開催日時:9/1~9/3
開催場所:東京藝術大学上野キャンパス
公式サイト:https://geisai.geidai.ac.jp/2023/index.html

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