高階秀爾氏が92歳で亡くなりました。60以上歳が離れていることもあり生前に交流はないのですが、ご冥福をお祈り申し上げます。
西洋美術史に興味を持った人間なら、氏の著作を一作は絶対に読んでいるというくらい膨大な本を書き、この国の西洋美術史観に巨大な影響を与えた人物です。あまりにも巨大なので賛否はありますが、無視できない個性であったことは疑いようがないです。
一作読むなら何がいいかと聞かれたら、即答で中公新書の『フィレンツェ』を挙げます。1966年に出版されていますが未だに版を重ねているものです。内容に古さはあっても文章に古さはなく、氏の青年期の総決算のような一冊です。よく美術系の物書きで高階秀爾氏を尊敬する声を聞きますが、その意味も分かります。
15世紀のフィレンツェでおきたルネサンス美術の興隆は一体どのようなメカニズムでおきた「奇跡」なのか、そしてどうして16世紀には終わってしまったのか、の二点を軸にまとめられています。
高階氏は16世紀のフィレンツェ美術は衰亡という風な書きぶりですが、今ではマニエリスム美術や芸術理論の進化など、16世紀のフィレンツェもそれなりに評価されており、この本のような「おしまい」ではないです。マニエリスム研究が日本で受け入れられるのがルネ・ホッケの本などが発売される、丁度60年代後半からになり、故若桑みどりのような研究者が出てきてからです。
そのため歴史観に古さは感じます。この新書にあるのはA. シャステル流の、あくまで20世紀前半の美術史の価値基準です。
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私が最も興味深く思えたのは、美術史家というより作家や個人としての価値観が表れるところです。フィレンツェ美術の衰退の原因を探るあたりの記述。
エピローグにも同様の事を書いていますが、この記述を見て著者のそこはかとないエリート主義を個人的に感じました。戦後に西洋美術史を研究して50年代にフランスまで渡った自負というか、今ではほとんどお目にかかれないタイプの知的選民主義(貴族主義)を思います。
「天才と無理解な大衆」という構図で美術を見ることは学術的にないため、文筆家としての率直な直観が吐き出されたところです。あれだけ平等や市民芸術だ騒がれていた時代によく書けたなという、エリートの気概を思いました。
西洋美術史をやる人は20~30歳代はひたすら尖っている人が多かったと聞くので、高階氏も相当尖っていたのだろうなというのが感じられます。私はそこが好きです。後に書いた著作にはあまりその面の吐露がなく、淡々と正確に書くため、知識を得るという読書においてはそちらの方がいいですが、若い血を感じられるのは『フィレンツェ』です。
硬派で学術的な文章からぽろっと零れ落ちる、著者の本音や人間的な面が大好物なので、この本をお勧めいたします。氏の精神に最も触れられそうな著作だと私は思います。
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