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翻訳について

『ロリータ』等で有名な小説家ナボコフは、エッセイで翻訳について論じている。彼自身ロシア語と英語の双方で傑作を残し、それぞれを本人訳で発表してきた筋金入りの翻訳家だ。無論プーシキンなどロシアの古典を英語に翻訳しているどころか、イタリア語にも精通していたようで、イタリア語へ翻訳した小品もあるなど言語的才覚に恵まれた教養人である

ナボコフは「原著で著者がどんな意味や願いを込めていたのか、というようなオリジナル尊重の解釈を施すなどすると、翻訳はダメになる」と書いている。これは意外だった。彼に言わせてみれば、ただ言語を正確に置き換えるべきことに徹し、解釈者や代弁者のように翻訳家が振舞うべきではない、ということなのだろう。盛んに「literal」と書いているが、それほど「文字通り」を心がけているようだ。ナボコフは自らが翻訳に手を広げた理由は、ロシア語→英語に訳された古典が酷すぎると思ったからなので、その翻訳論に至ったというのは理解できる。

私は翻訳家ではなく、言葉をただ忠実に置き換える「literal」な翻訳がいいのかはっきり言えない。ここのメンバーの方には実際に訳書を出している翻訳家や研究者も複数いるため大それたことは言えないが、それはナボコフがやはりロシア語から英語という大幅な距離のある言語間をやってきたからでは、と思う。

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