本阿弥光悦の大宇宙 感想(東京国立博物館)
3月10日まで開催しております。この展覧会は江戸時代初頭に活躍した文化人、本阿弥光悦の業績を総覧できるものです。日本史の教科書に載っている作品もあります。
概要
本阿弥光悦とはどのような人間か、いかにして多彩で精力的な創作が可能だったのかを考えるために、本展では①本阿弥家とその周り②法華信仰のふたつの軸を用意し、そのレールによって展覧会は進んでいきます。
序盤は文書から家業の刀剣、日蓮宗との関りなどが詳細に(国宝刀剣も交えて)紹介されており、光悦前史といったところが非常に分かりやすかったと思います。
蒔絵、出版、書、そして陶芸と多くのことに精力的だったのは有名ですが、旧来の万能人という見方ではなく「信仰の人・光悦」という見方を強く訴えた印象を受けました。
作品自体はどれも美麗で、目の保養を超えて刺激的だったと思います。行けて本当に良かったです。
感想
①やはり光悦はよくわからない
光悦が多彩で卓越していたのは分かるのですが、実際に創作にどのように関与したのかは資料がなく分かっていないため、肝心のところがぼやけてしまっています。
蒔絵のエリアに行っても、本人が確実に関わったことがわかるのは螺鈿の経箱1点だけであり、そもそもストレートに蒔絵と言えるものではありません。しかしそれが唯一の基準作です。そのため、他の作品がたとえ「光悦蒔絵」と呼ばれていようが、どのようなつながりがあるのかは不明なのです。
出版にしても光悦の関与は限定的という説もありますし、やはり本人の創作に対しての資料がことごとく欠如しているため、作品キャプションも同じような内容を繰り返すしかないという状況でした。
図録の論文もそれゆえ、仕方がないのですが実証的なものは少なく、筆者の主観や想像によって書かれたものがほとんどで、本当に難しいのだなということが分かります。
②創作と法華思想とのかかわり
各識者も言っていたように、法華信仰と光悦の関りに焦点をあてたという点で、あまり宗教色を出さ(せ)ない傾向がある日本美術の展覧会にしては画期的だなと思いました。
光悦の書いた日蓮の文集の模写や、法華信仰サークルによる文化活動などが紹介されると、概要に書いた通り「信仰の人・光悦」が浮かび上がってきます。それの提示は本展の素晴らしい意義と言えます。
ではその信仰の内容が創作にどのように反映されたか、となるとやはりわからないところが多いです。
カタログでは「娑婆即寂光土」という理念が光悦の創作の理念に重なると書かれていますが、それが茶碗や蒔絵から伝わるかと言うと不透明ですし、カタログを読まなかったり法華経の内容を知らない人には、信仰が熱心だった作家くらいしか、つながりが感じられないでしょう。
蓮の下絵のある紙に書いた書というのが、直接的な光悦の信仰と創作の繋がりというのも、その書の内容との関連もないですし、カタログでは藤原定家を援用しかなりアクロバティックな関連を提示しています。さすがにどうかなというところです。
③画竜点睛を欠く
①と②は光悦自体の資料の欠如からくる印象なので「仕方がない」のひとことで終わりますが、展示についてはいくつか疑問が残ります。
最初に《舟橋蒔絵硯箱》が出てきますが、完全に出オチ感がして、普通に蒔絵のコーナーの中心に置いた方が、鑑賞者の動線的にも良かったのではないでしょうか。入り口にあるとじっくり鑑賞もできませんし、外の照明も混ざってきます。
第一会場の最後を映像だけにしたのは、展示するものがないからという印象を受けました。本人の真作と言えるものが少ない作家あるあるにしては、もう少しなかったのかなと思いました。
多くの法華信仰文化サークルが紹介されていたので、その筆頭的な俵屋宗達の一派の作品を置いたら、第二会場の理解もスムーズになったと考えられます。今回はそれほど出来のいいものではない屏風が一点でした。
本阿弥光悦に焦点を当てた展示である以上、俵屋宗達の存在感を抑制したのは趣旨的には正解です。もし宗達の優品を出したら光悦展というより「琳派誕生」のような展示になってしまいます。とはいえ宗達派の絵画はもう少し欲しかったです。
最後の陶芸は圧巻でしたが、光悦の代表作かつ最高傑作で国宝の《不二山》がなく、借りられなかったのでしょうか。まさに画竜点睛を欠くといった感じがいたしました。
④光悦の大宇宙とは
確かに大宇宙だとは思いましたが、それは宇宙がダークマターや未知の現象が多いという意味での大宇宙でした。光悦のバックグラウンドと信仰の面は完璧なまでに網羅した素晴らしい内容でしたが、光悦自身の創作についてはほとんど掴めないのです。
「はじめようか、天才観測」に沿うなら光悦は恒星のようなもので、煌びやかで中心的な存在なのに、実体がない(恒星は岩ではなくガスのあつまり)感じがもどかしいです。
カタログ執筆者も文の最後の方で一様にもどかしさを吐露していましたが、そのようにもどかしい気持ちが掻き立てられる展覧会でした。