【文章トレーニング】アニメを小説文にする訓練:伝説の『ヴィンランド・サガ』シーズン1 第24話を書く
「10年以上かけても俺を殺せねえお前は、
ようするにボンクラだってことさ」
父親を殺した男は、そう呟いた。
青年は雪の上に屈した。膝をついた雪から伝わる冷たい感触。散々に殴られて腫れた顔。
凍てつく風。青年の五感はその全てを遮り、ただ憎しみだけを感じている。満身創痍のボサボサの髪から覗く、ぎらぎらとした瞳だけがまっすぐに父の敵を見ていた。
「うるせえ! アシェラッド、俺はお前を絶対に殺してやる!」
トルフィンの口をついて出てくるのはそんな悪罵ばかりだった。殺す。殺してやる。そんな中身の無い罵声の羅列が、投げかけた言葉に対して何も反論できない事を明らかにしていて、男はため息をついた。
「全く。これだからガキは」
この10年間でトルフィンは父の敵である自分について周り、数多の戦場を巡り、強くなった。だがそれだけだ。何度もこうして決闘を挑んでくるがお前はなぜ父親の敵一人殺せないんだ?
トルフィン。
それは憎しみ以外のものが何も見えちゃいないからだ。
闘いの女神フレイヤに愛されても、キリスト坊主の言う全能の神の加護を受けても、何も見えない奴には何も成し遂げられない。永遠にな。
アシェラッドは金髪に陽光を浴びて、次なる戦場へと歩いて行った。
西暦1014年のイングランド。
現在の英国王室を切り拓いたウィリアム征服王がこの地に現れるよりさらに百年前。北欧を統べるヴァイキングの勢いは凄まじく、特に北の雄デンマーク王国の侵略によりイングランド全域はヴァイキングの手に堕ちようとしていた。
ここノーザンブリア地方ヨークにて始まらんとするデンマーク王スヴェンの御前会議は、遠征軍の慰労と鼓舞を目的としたものである。
が、それは表向きの話だ。一口にヴァイキングと言っても多様なルーツを持つ荒くれ者どもが、領地を、富を、そして王位そのものを狙い伺う駆け引きの場、というのが裏の舞台というところか。この荘厳な彫刻に彩られた木造のヴァイキング式宮殿こそが伏魔殿なのだ。
さて、どうしたもんかな。立膝をつき、深々と頭を下げながらアシェラッドは考えていた。
スヴェン王は醜い男だった。でっぷりと蓄えた脂肪により下っ腹が出ていて、歯は殆ど抜けている。シワとシミだらけの顔は薄汚れて、笑うと気持ち悪く垂れる目が窪んでいる。脂ぎった黒い長髪の上に乗っかる王冠が、権力という魔法でこの男を醜く変身させたのだろうか。
「俺の国」をこのバカどもから守るにはどうすればいい。
立派な金色の口髭を撫でながらアシェラッドは考えを巡らせる。
ドイツ北部ユトランド地方のヴァイキングの血を引く彼だが、故郷はどこかと訊かれれば、ウェールズだと答えるだろう。
ウェールズとは山の国である。緑の濃く霧深い幾多の山々が、その地に暮らす者たちを護る国である。山がちで急峻なウェールズの地には、古くから外来のアングロ人やサクソン人に追われたブリタニア人と呼ばれる先住民が逃れた。ローマ帝国の伝統をも僅かに残す誇り高き彼らの末裔の1人にアシェラッドの母がいた。
奴隷に身を窶した彼女が野卑たヴァイキングに連れ去られ、アシェラッドはこの世に産み落とされたのだ。
血の滲む様な屈辱と努力の末、母は発狂して死に、息子は父を殺した。
だからこそアシェラッドにとって獣のようなヴァイキングこそ、憎むべき敵であり、殺すべき父である。
彼はヴァイキングの血を引く自分の父を忌み嫌い、心の故郷、母なるウェールズを護ろうとしてきた。ただそれだけのためにここまで来た。
スヴェン王はイングランド征服に目前まで迫った今、余勢を駆ってウェールズまでその食指を伸ばそうとしている。
「俺の国」をこのバカどもから守るにはどうすればいい。
ドサッ。
兵士が2人がかりで抱えた金銀の入った箱が降ろされた。
「アシェラッド殿。王子殿下救出の功績により銀50ポンドが下賜される。有り難く受け取られよ!」
口上を聞いてアシェラッドが見上げると、王は微笑んでいた。
「クヌート王子のためにそなたが奮戦したこと聞き及んでおる。礼を受け取れ。」
「はっ!ご褒美頂戴いたします」礼を言い、再び顔を下げた。
嫌な目だ。まるで獲物を見定める蛇の目だな。
その嫌な目が、じっとアシェラッドを舐め回す。
「ウェールズの討伐戦においても活躍を期待しておるぞ?」
チッ。俺がウェールズに引っかかりがある事を気づいてやがるのか。この狸ジジイめ。
「王陛下、恐れながら申し上げます。」「む?」
「この度のウェールズ討伐は果たして最良の選択と言えましょうや?
来春のウェールズ討伐、我が軍にとって益の薄い戦かと存じます。
どうかご再考を……」
声を張り上げたアシェラッドに、スヴェン王だけでなく傍らのクヌート王子の端正な顔立ちも反応する。
一介の盗賊の首魁に過ぎぬアシェラッドが、なぜスヴェン王直々に言葉を賜り、定見を述べる機会を頂いているのか。
その理由がクヌート王子であった。
イングランド首都ロンディニウム(現在のロンドン)攻略戦にて、クヌート王子は父、スヴェン王から初陣を飾るべく三万の兵を与えられた。
が、「のっぽのトルケル」という化け物じみた大男が率いる激しい反撃を受け、王子の軍勢は半壊。僅かな手勢と森を彷徨っているところをこのアシェラッドが拾い上げた。
「王子を救出し、スヴェン王の本陣へ届ける。」その旗印の絶大な効果を理解していたからこそ、アシェラッドは彼の盗賊団が壊滅するほどの痛手にもかかわらず王子をここまで連れてきた。
それほどの犠牲と当価値か、或いはそれ以上の手駒だからだ。
同じ壇上におり、一見親子の再会を喜んでいるスヴェン王とクヌート王子だがその実、親子仲は冷え切っている。
整った顔立ちと絹のレースの様な亜麻色の金髪のクヌート王子はしばしば女に間違えられるほど美しい。だが、それは最強と恐れられるヴァイキングの中でも強力なデンマーク王冠を継ぐにはか弱く見え、スヴェン王はクヌートを遠ざけてきた。
そして、戦の経験の無い王子を最前線に立てたのも彼の戦死を願って、との真しやかな噂だ。
デンマーク本国に戻ればクヌートの兄王子もいる。兄王子と現国王派、クヌート王子派と、この宮廷は一枚岩ではない訳だ。その中でも現在、我らがクヌート派はちと分が悪い。
今のところ頼りになるのはこの俺・アシェラッドと、あの「のっぽのトルケル」くらいか。
王子と死闘を演じたその強敵は、偉丈夫のアシェラッドが小さく見えるほどの大男だが、それ以上に特別待遇でひたすら骨付き肉にかぶりついている姿が異彩を放つ。居並ぶ王の臣下や諸侯も警戒しているようだ。やれやれ、全く敵か味方か。食えん上によく食う男だ。……そもそも何故クヌート王子の配下に収まっているのかは意味不明だが。
王子は不安げにこちらを見ている。
居並ぶ各部族の長たちの間にも少なからず波紋が広がり、ざわめきがさざなみのように伝わってくる。
「あれがアシェラッドという奴か?」
「面と向かって異を唱えるとは」「なかなかの胆力じゃないか」
「アシェラッド……。当面は摩擦を起こさぬと言ったではないか」
王子の目がそう訴えかけている。
すみませんな殿下。ウェールズばかりはちょいと譲れねえ。
やや間をおいて、板張りの一段高い壇上から王の低い声が響いた。
「考えを述べてみよ。」
「ありがとうございます。」アシェラッドは深呼吸し、さらに腰を低くした。
「まず我々は10年にわたりイングランド軍と戦って参りました。今は国土も人も損耗の回復に努めるべき時かと。もう一つはウェールズの地の険しさと、それ故の貧しさでございます。
たかがウサギを追わんがために疲れた馬をムチ打ち、懸崖に踏み込むが如き行いです。一口に申し上げてウェールズ攻略は割に合いませぬ。」
アシェラッドの言葉一つ一つに静かな同意が広がっていく。
「む、確かに」
「よう言うてくれた」
「本国に残した領地のことも心配だからな。」
「ハハハ、本当口が回るなあ。」トルケルが豪快に笑い酒を飲む。
「攻略ではない!」スヴェン王随一の忠臣であるフローキが声を張り上げた。
「勘違いするな、不遜な者どもを放置せぬことが肝要なのだ」
アシェラッドの青い目がフローキを睨み返す。
「左様なことがご懸念であるなら私めを使者にお遣わし下さい。
必ずやウェールズの者どもを説き伏せてご覧に入れましょう。」
不敵な笑みを浮かべる。彼の巧みな弁舌に対し、大広間の沈黙が王の反応を固唾を飲んで見守る。
「……この王に向かって三度の礼を尽くせと申すか。其方の言うウサギを相手に。」
「三度なればこそ! 彼らにもスヴェン王陛下の寛大なるお心が伝わりましょう。なにとぞお聞きいれを。」
険しい顔を浮かべ、スヴェン王がこちらにゆっくりと近づいてくる。木靴が段差を降り、アシェラッドに歩み寄っていく音がする。頭を下げたまま、王の一挙手一投足に耳をそばだてる。さて、王はどう返す。
「お、斬るのかー?」
トルケルが手を叩いて喜ぶ。
重苦しい沈黙がしばらく続いた。
その後スヴェン王の顔はわざとらしく歪んだ。微笑みを浮かべたのだ。
「これぞ、忠臣の姿よ。王にとって諫言に勝る宝はない。かように我が軍団には忠勇なる者が揃うておる。」
「勿体無いお言葉で。」恭しく頭を下げるアシェラッドにトルケルは不満げだ。見上げるような大きな身体で子供のように不貞腐れている。
「これからも力を貸してくれ。」
そう言って王はアシェラッドの肩を掴んで抱き寄せる。寛大な王の心遣いに聴衆の安堵と嫉妬が広がる。その反応に満足しながら王は突如アシェラッドの耳元に囁いた。
「ウェールズかクヌートか選べ。」
アシェラッドの全身の毛が逆立つ。
「本心、余はウェールズなどどうでもよいのだ。クヌートの首を土産に我が陣営へ来い。さればウェールズは見逃してやろう。」
悪い話ではあるまい、と王は囁く。
「そなたの事は少し調べた。やはりお前の母親は奴隷だそうだな。ウェールズに固執する理由も察しがつく。」
目の前の奴隷の息子一人など意のままになる事を疑いもせずに、王は醜い笑みを浮かべた。
「ウェールズの産物といえば、奴隷くらいのものだからな。」
その瞬間、雷が全身を貫いたようにアシェラッドの身体を怒りが駆け巡った。目を見開き、血管が浮きだし、拳が硬くなり、表情が波打つ。
このヴァイキングの野蛮人めが。
トルフィンの心はそこにはなかった。
ヨークを流れるウーズ川河口の船着場には、何艘もの船が帆を浮かべて沢山の商人が積荷を降ろしている。ワイン樽、織物、肉、野菜。
笑いながら値切り交渉をする者。
笑いながらそれをかわす商人。それでも諦めずに食い下がる男。
平和の象徴の様なその光景は、トルフィンにとって酷く実感が湧かず興味もなかった。興味の薄い幻惑を角膜に照らしながら、彼の心はなお戦場を見ている。
父の敵。
10年前のあの日、幼な日のトルフィンを盾に取ったアシェラッドに父は手出しが出来なかった。そして無数の矢で射抜かれて父は死んだ。
それから今日までずっと、あの卑怯者を殺す事だけを考えて生きた。
トルフィンは握りしめた手の平を開く。マメも、無数の擦り傷も、刺し傷も。手だけでなく全身にあるだろう。どれもこの10年で傷つき、染み付いて離れない、自分自身の強さだった。
「どうだ、トルフィン。お前がずーっと乗りたがってた船だぞ!
ようやく乗せてやれるな」
ハッハッハ。はげ頭のレイフは笑った。
レイフのオッサンは船乗りの叔父で、故郷アイスランドの昔馴染みだ。
トルフィン親子の受難以来、行方知らずとなっていたトルフィンのことを10年間もずっと探していたらしい。
「やっと帰れるな。トルフィン」
記憶の中よりも歳をとり毛量も減った顔でオッサンは笑う。
帰る。
アイスランドへか。父上のいない故郷。
今ここで帰って何になる?今までの10年間は何になる?
決闘に敗れた顔のアザが、痛んだ。
トルフィンは空に思案する。
船の柱に小さなアジサシの鳥が留まっていた。それが不意に毛繕いをやめて遠い空へ飛んでいくのが見えた。
指を遠くの空へかざすが、もう鳥の姿はゴマ粒ほども見えない。
俺は、……どこへ飛んで行くべきなんだろうか。
「トルフィン、腹もペコペコだろ。待っとれ、上等の干し肉がある…
あ、トルフィン!」
レイフが干し肉の袋から顔を上げた時、船の上には誰もいなかった。
そんな。
目を見開き、必死で見回すが、トルフィンの姿はどこにもなかった。
「どこだ!トルフィン!」
肩で荒い息をし、蒼白な顔を浮かべたレイフは、ただ見知らぬ街に立ち尽くすしかなかった。
アシェラッドは、
肩に置かれた王の手を払いのけた。
意表をつかれ言葉が出ないスヴェン王を見つめる。
「嫌なツラだな。こんな顔面の上に王冠が載ってるなんてのは、やっぱり許せんな」
クヌート王子が息を呑む。
「え、いま王に向かって……」聴衆のどよめきが、遅れて広がる。
「そなた、今何と……」
アシェラッドは苛立ちげに耳の穴をほじった。
「……ったく。耳も遠いのかこのジジイは。ブッサイクが光もん載っけてんじゃねえつってんだよ! なあ、王者のツラじゃねえぜ?お前」
硬く鋭い音を立てて兵士たちの剣が次々と抜かれる。
「動くな衛兵ども!」
いつの間に抜かれた剣が、ゆっくりと王の首筋へ伸びていく。アシェラッドは不適な笑みを浮かべた。
「王は俺の剣の間合いの中だぜ。」
「ああっ……、」王が呻く。「ええ、本気か?」「わかんねえ」
「おいおい…。なんだあいつ」
「アシェラッドこの野郎、スヴェン王は俺のえもの……!
「動くなトルケル、」
トルケルの本音の喚きをクヌートが制する。
「アシェラッドは尋常ではない。刺激するな!」
剣が王の首元へ突きつけられ、居並ぶ兵士は手出しが出来ない。
「け、剣を納めよ。さればこの非礼は許そう」
「許す?」
剣の根元には凄まじい憤怒の形相がある。
「図に乗るなこの蛮族めが。我が一族と我が地に住まう民への愚弄。万死に値するぞ。」
「最後の忠告だ……。剣を納めよ……アシェラッド。」
「『アシェラッド』(灰まみれ)……? そりゃ渾名だ。この俺の真の名前。我が母より授かりし真の名を教えてやろう。」
「ルキウス・アルトリウス・カストゥス!」
遥か古代ローマより受け継がれし母の血。ウェールズの血。
「余こそ、このブリタニアの地を統べるべき正統なる王である。」
獣角の盃がアシェラッドの剣に投げられ、弾かれた。
「今だ、ものども!」斬れ。忠臣フローキがそう指図した刹那。
スヴェン王の首が飛んだ。
アシェラッドの剣の白い光は、切れ味鋭く王の首を横すべりさせた。
王冠と太った頭と髪の毛が、飛ぶ。
頭を失い、バランスが崩れた四肢が床に倒れる。血が、床に広がる。
何でもないかの様に、アシェラッドは剣についた血を払いのけた。
「へっ、スカッとしたぜ。」
どよめきが収まらない。広間は収拾のつかない困惑と興奮のるつぼだ。
さて。アシェラッドは王子を睨む。わかってるだろうな?
「な、何を突っ立っておる、出会ぇ…「出会え!者ども!こやつは王殺しの大罪人だ!斬り捨よ!」
亜麻色の髪がなびく。フローキの言葉に被せて王子は下知した。
手練れの兵たちが一斉に襲いかかる。間髪入れずに剣が交わる音が始まった。
「お、おいどうなってる」
トルフィンは外の兵士が宮殿の方へ走っていくのを見た。異様な雰囲気の建物からは、数秒の間に何回もの金属音が木霊する。
空壕を飛び越え、兵士たちにつられてトルフィンも中を覗き込んだ。
中では血まみれのアシェラッドが大立ち回りを演じていた。
何人もの兵を斬っては笑うその異様な姿は、返り血や飛び交う血で全身が真っ赤だった。
「何をやってんだあいつは!……何やってんだ、あのバカは!」
飛ぶ首。兜ごと真っ二つになる頭。飛ぶ腕。
鎖かたびらごと一突きにされる心臓。衛兵がまた一人、
また一人と倒れる。
ガハハハハ。
「どうした!次に死にたい者前へ出よ!ブリタニア王が自ら斬って進ぜようぞ!」
フローキが怯える兵を叱責する。たかが一人の狂人に、デンマーク軍精鋭が押されている。それも王殺しの男に。
悪夢の様な光景に直面しつつもフローキは指揮を続けている。
「おらぁ!」
激しい血しぶきをアシェラッドの剣が二つに割る。重量を持った剣どうしが重なる音。
その隙を突いてアシェラッドは身を翻して回し蹴りを喰らわす。怯んだところを斬る。
血しぶきが熱水噴出孔の様に吹き出す。
死後に永遠の闘争を続けるヴァルハラが、今ここに出現しているのだ。
「死ねえ!」
木の盾ごと剣は衛兵の身体を斬り裂いた。
「ガハハハ」
「ひっ。」
それを見た兵たちが震える。
潮目が変わった。戦意を失った兵士も、日和見していた族長たちも、我も我もと宮殿の狭い出口へ殺到する。パニックに陥った群衆の津波が押し寄せる。
「くそっ、どけ!」
トルフィンは逃げる人の流れに逆らおうとして押し出される。そこで目の前の男の上によじ登り、頭の上を飛び越える。
「アシェラッドー!」
突如狂いだした人生の目標へトルフィンは近づいていく。
ただでさえ奥行きのある広い空間が、大勢の人間が密集しているせいで上手く進めない。
眼前の血まみれ大惨事に、トルケルはご機嫌斜めだ。「むー……。」
怪物じみた大男が頬を膨らませている。
「堪えろトルケル。其方の出番はまだだ。」
クヌートは嗜める。
「どうでもいいよーもう。血迷いやがって。俺は獲物を横取りされるのが一番嫌えなんだ。」
「あやつは血迷ってなどいない。あれは芝居だ。」
「はぁ?」
「私とウェールズ、両者を救う選択を取ったに過ぎぬ。乱心のフリは王殺しの罪を一人で被るためだ。今少し暴れさせてやれ。とどめは其方に任せる。」
クヌートはまっすぐな視線でアシェラッドを追う。
先ほど目線を交わしたとき、クヌートにはアシェラッドの真意が伝わった。自分は託されたのだ。アシェラッドの野望を。
「ちっ、俺は知らね。」
トルケルはいじけて興味なさげに口から骨を吐き出す。骨付き肉だったものは綺麗に肉が舐め取られている。
「あいつはお前の手下だろうが。飼い犬の始末は飼い主がつけてやれよ。」
一瞬驚いた顔をした後、クヌートの顔は覚悟を決めた様に引き締まる。
トルケルは名残惜しそうにまた骨をしゃぶった。
「ガハハハ。どうしたヴァイキングのクズども」
「アシェラッドォ!」
切り掛かったのはフローキだった。凄まじい音を立てて二本の玄人の剣がかち合う。
「貴様ァ、何をしたかわかっておるのか!お前は王を殺したのだぞ」
「なあにを申すか。ブリタニア王はここに健在ではないかあ?」
「この…ッ」
おかしそうに笑うアシェラッドにフローキの顔面にははち切れんばかりに何本も青筋が浮かぶ。
「黙れえ、奴隷の子めが!」
その一言にアシェラッドの顔もひきつる。
「下郎め、それが王に対する口の聞き方か!」
アシェラッドの剣を受け止めていたフローキの剣の感触が、急に重くなる。
異様な力の前に必死で押し返そうとするがフローキの体勢は下へ下へと下がっていく。「ぐっ。」
とうとうフローキは剣の力で膝をつけさせられた。
「跪けえ、余の靴に口付けする権利を特別に与えよう。
そして死ねえ」
血走った目が愉快そうにフローキに剣を振り下ろそうとした瞬間。
「アシェラッドォ!」
再び彼の名を呼ぶ者があった。
「来るな、トルフィン!」
ようやく彼の元に辿り着いたトルフィンの顔が、絶望に歪む。
「あっ。」
トルフィンはアシェラッドの腰を、アシェラッドは自身の腰を見る。
荒い息を出すクヌートが持つ剣の先は、真っ直ぐにアシェラッドの身体へ突き刺さっていた。
「人を刺したのは初めてか、王子よ。」
アシェラッドは楽し気に笑う。ぬるりとした温かい血が、白く細く美しいクヌートの指を暗い赤色に汚していく。
「フッ、上出来だよ」
腰から入った剣先は内臓に致命的なダメージを与えていた。笑顔が崩れ、口から血を流し、力が抜け、アシェラッドは倒れた。
「おいあれ、見ろよ、……やったのか?」
「殿下だ、殿下が!王子殿下が賊を倒したぞ!」
「おおー」
居並ぶ聴衆や兵士から喜びの声が上がる。
身体の芯から力が抜け、王子はその場に倒れ込みそうになった。
「しゃんと立ってろ」
王子の背中を、トルケルの大きな手が支える。
「ここが肝心だろうが。あいつがお前のために踊ってくれた舞台だ。無駄にするなよ。」
荒い息を整え、整えようとして整わず、クヌートはトルケルの真剣な横顔を見つめた。
クヌートは、父を殺した男を殺した。
「おいアシェラッドてめえ。なに悠長に寝てやがんだ、あ、くそ、クソッ、くそッ、クソッ、くそ、クソッ、お前、クソ、畜生、くそ、クソ、面倒なところ刺されやがって。
生きろ!死ぬな!
お前を殺すのは俺だ!」
取り乱すトルフィンは完全に怒気に支配されていた。
「……たく、うるせえな。ちったあ休ませろや」
「てめえ、さっさと立て! こっから逃げるぞ」
「ハハっ。バカめ。もう休ませろよ。」激しく泳ぐトルフィンの目線を合わせ、アシェラッドは笑った。
「待たせて悪かったな。とっととお前にやるよ、俺の命をな。
殺れよ、トルフィン。殺せよ。
俺とおまえは敵同士だろうが」
再び大きく血を吐き、アシェラッドは咳き込んだ。
「ああ……、死ぬのか……? お前が?」
「早くしろ。時間はねえぞ。」
とめどなく流れる温かな血の感触と、どんどん失われていくアシェラッドの体温がそれを証明していた。必死で傷口を抑えるトルフィンの指は血まみれだ。止まらない血は、止まらない時間の流れの様で。
トルフィンは突然として永遠に復讐の機会が失われる可能性に恐怖した。だが恐怖するにはあまりにも怒りが大きく、恐怖は怒りに変換され、たぎる憎しみがそれをさらに燃やした。
「舐めてんのかテメェ」
わからない。わからないのが怖いのを怒りで埋めようとする。「俺と!テメェの!決着は!」
でも埋まらない。埋まらずに血がとめどなく流れ止められない。「こんなんじゃねえ!」
「許さねえぞ!立て!今すぐ俺と決闘しろぉおおおお!テメェを倒すのは俺だけァ!
おいこらふざけんな!」
いつのまにか周囲に剣の群れが集まっている。喚くトルフィンはそれに気づかずただ怒鳴るだけだ。
全く。これだからガキは参るぜ。
「お前、どう生きるつもりだ。」
虚を突かれたトルフィンの思考が停止した。
「この先。俺が死んでからその先をどう生きるつもりだトルフィン」
二の句が継げなかった。アシェラッドを殺す。
殺してやる。
トルフィンは本当にそれしか考えていなかった。
こんな結末が来るとは思っていなかったが、考えてみれば、こんな結末が来なくとも自分はアシェラッドを殺した後の未来を生きなければならなかった筈だ。だがその可能性に気付いた事すら無かった。
「ハッ。何も考えてなかったんだろ。」
「うっせ。」
トルフィンは小さな悪罵でしか返せない。
「なあ、いい加減先へ進めよ。いつまでもこんな、クソくだらねえところで引っかかってねえで。ずーっと先へ行けよ。
お前の父、トールズの行った世界のその先へ。
トールズの子のお前がいけ。」
アジサシが小さな翼を広げて飛んで行く。
暖かな地を求めて飛ぶその先は海。大海原。
おそらくヴァイキングの誰も見た事がない土地を目指して、アジサシは飛んで行く。
「それがお前の本当の戦いだ。」よせ。
「本当の戦士になれ。」
やめろ。行くな。
「トールズの子よ」
不意にアシェラッドの青い目に光がなくなった。「あっあっ、」
嗚咽を漏らすトルフィンに抱き抱えられながら、アシェラッドは亡骸になった。
強張った指を一本ずつ、一本ずつ左手で解いて、クヌートはようやく剣を離す事ができた。深呼吸をし、呼吸を整える。
言わねばならぬ事が二つある。クヌートは声を張った。
「トルフィン、許せとは言わぬぞ。この成敗はそやつが突如乱心し,スヴェン王陛下殺害という大罪を犯したためだ。だが、こうなってはもはや私の元で働き気など起こるまい。望むところへ去ると良い。」
「あ、」
あ、あ、
クヌートは息を呑んだ。
まるで幼児の様なふぬけた目だった。
どうしたら良いのか。親もいない孤児の目。
たった今、二度孤児になったトルフィンはぼんやり涎を垂らしていた。
突然トルケルが駆け寄り、遅れて近従も剣を抜いた。
トルフィンはクヌートに切り掛かったのだ。
真っ白な頬に細く赤黒い裂け目ができる。
が、そこまでだった。
トルケルは早業でトルフィンの拳を抑え、取り押さえたのだった。
「うわあ、こいつも逆賊だ」 「殺せ」
「やめろ!」クヌートが怒鳴った。
「そやつは殺すな!下がれ!」
行き場のない感情が、この10年間の全てだった短刀にこもって、クヌートを切りつけた。
まるでそれが唯一の感情表現であるかの様に。
そんな哀しい同い年の青年を憐れみながら、頬の血を拭った。
「もう良い。切られるくらい、安い代償だ。」
フローキが慌てて王子に駆け寄る。
「殿下、奥の間にてお怪我の手当てを。この場は私にお任せ下さい。お連れしろ!」
「フローキ」
兵士に号令をかけようとして、遮られたフローキはたじろぐ。
「先王亡き今、イングランド方面軍の総大将は誰と心得ておる?」
「そ、それは」「どうした申してみよ」
返事を待たずしてクヌートは王冠を拾い上げた。スヴェンの頭から転げ落ち、アシェラッドが自身では被らないまま放置された王冠だった。
階段を駆け上り、王冠を頭に据える。妙な重さが頭の上に乗っかった。思考をする時、常に意識に介入しようとする重さであった。
「者ども、聞くが良い。先王スヴェン陛下はお隠れになった。
ただいまより全軍の指揮及びイングランド統治は、このクヌートが代行する!」
その言葉を聞いて、臣下・族長・兵士たちが一斉にひざまずく。
「ウェールズ討伐は取りやめだ。先王の死によりイングランド軍残党の活発化が予想される。まずはそれに備えねばならぬ。褒賞授与の続きについては、追って沙汰する。
以上解散せよ!」
共に父の敵に相対した二人の青年は、対象的な変化を遂げた。
だが双方の目線が交わる事はもう無かった。
一方は父から半ばもぎ取った王国の未来のみを見据えて歩き始め、もう一方は死体にしがみつき、大声で泣きじゃくって歪んだ視界は過去しか見えていないからだ。
父を殺した男の言葉は一方には届き、一方には届かなかった。
「はぁ」
トルケルはため息をつき、トルフィンを亡骸から引き剥がした。
ぐああああああ。
獣のような、赤子のような叫び声をあげ、
彼が握りしめた短剣もこぼれ落ちる。
父から貰った短剣。
目の前の父を救えなかった短剣。
生きる意味を見出そうとした短剣。
強くなろうとした短剣。
父の敵を殺せなかった短剣。
過去が、トルフィンの手から離れていく。
トルフィンはまだ知らない。
グリーンランドの大山脈を。
まだ見ぬ美しい乙女を。
その向こうの緑豊かな土地を。
様々な過去が流れては去って行く中で、
小さな頃レイフから教わった記憶が頭に浮かぶ。
「……アイスランドより遥か向こう、グリーンランドよりも遠くに、見た事もないほど豊かで、美しい土地がある。王も、奴隷商人も、盗賊もいないその土地は葡萄のなる土地『ヴィンランド』と名付けられた。」
濁流のようにトルフィンの脳裏に流れ続けている記憶は、いつか、澄んだ清流に変わるだろう。
「ずーっと先へ行けよ。お前の父、トールズの行った世界のその先へ。
トールズの子のお前がいけ。それがお前の、本当の戦いだ。」
頭が澄み渡り、
その瞳を覆うものが無くなった時、
トルフィンは幼い頃に夢見た遥かな大海原へと出かけていくことだろう。
紺碧の大海の向こうにある、大きな未来を目指して。
終
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