(#64)「げんぽうさ〜ん」

つい先日患者さんにお配りしたお手紙。2023年07月10日配信分
以下

(#64)「げんぽうさ〜ん」

(前回からの続きです)
 
 先生から紹介された著書。

 著書と言っても玄峰老師が直接書いたものではなく、老師の講話を文字にした『無門関提唱(むもんかん ていしょう)』という冊子です。

 仏教にはいろんな修行方法があって、その1つに「問答(もんどう)」があります。

『無門関』とは、お坊さん達の言葉のやりとりが記されており、それを読んだ修行僧は、読んだ内容の意味を問われる。例えば、

『言葉は不自由で本質は言い尽くせない。しかし、言わなければ伝わらない』

さて、どうする? 答えてごらん? 

こんな難問クイズが48個もあります。

『無門関』は問題集ですが、教科書がない。このクイズは公案(こうあん)と言われます。

これを解いていくと仏教の目的である『悟(さと)り』に近づいて行くらしい。

そうなると、人生の難問でも切り抜ける「とんちの一休さん」に成れるというわけね。

教科書がないと、あたしのような若輩者は迷う。

迷うことも修行の一環なんやけど、弟子には出来るだけ効率的に学ばせてやりたいという親心から、『無門関』を解説するお坊さん達が現れた。

その1人が山本玄峰(やまもと げんぽう)というお坊さん。

屁理屈王と自負するあたしは、

『無門関を解説すること自体、禅がわかってない』

と、生意気な事を散々言ってましたが、先生はニコニコされて

『それも言えてますね』

などとサーーっと聞き流されて、糠(ぬか)に釘や。

あかん、相手にされてへん。

そそ、#28のお手紙でご紹介した

『日本にお茶を流行させたお兄さん』

このお兄さんも流派は違へど、お仲間です。

それぞれの流派はマクド・モスバ・ケンタッキーのように各地に禅寺を展開しました。みんな微妙な良さがありますのよ、ホンマに。

さて、

この「公案」というクイズを解く行為が「悟(さと)り」に近づく方法として有効な修行なのか、それとも残念な修行なのか。

また、目的の「悟り」に到達する準備段階として「無(む)」を理解することが目標なんやて。ほんまかいな? 

そうは言ってもまずはスタート地点に行く為には仏教や。ほんで「無(む)」を理解せんと始まらんようや。

でも・・・・「無(む)」って何も「無(な)い」ことやん? 

何も無いのにどう理解すればええのん?  (つづく)

PS:今回も補足動画を作りました。作ってるウチに楽しくなって2時間も遊んでしまいました。あかん、もう午前2時。はよ眠らんと。

大きな音が出ますので必ずヘッドホンなどで試聴してください。
8分の動画です。


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