見出し画像

パリ・オペラ座の日々1993~1994:5月15日 モンマルトル散歩・サクレ・クール寺院など


5月15日(土)

お昼過ぎから初めてサクレ・クール寺院へ出かけた。モンマルトルは危険とのことだったが特にそういったことも無く平穏。丘からはパリが一望できた。お天気は良かったのに風が強くて帽子とかみんな吹き飛ばされて寒かった。寺院内は、ローマ様式、ビザンチン様式のモザイク画が中心。ステンドグラスもノートルダムのようなゴシック期とは異なり大まかなものが多い。巨大なドームで神聖な雰囲気は感じられた。

Lapin Agile(ハネウサギ)の前でサンドイッチを食べていたら、ボーイスカウトの男女に声をかけられて日本語の文章をフランス語に翻訳してあげた。「掃除人はたくさんホコリを持ってます」という謎の日本語文だった。

丘を下ったあたりで楽器屋さんをたくさん発見。でもあまりに寒くてオペラ座方面に歩いてメトロで帰った。サン・マンデ駅前で赤十字の募金をやっていた。寒い中でたいへんそうだったので募金した。

パン 7F
カフェ 17F
カルネ×2 78F
赤十字募金 6F


画像1


モンマルトルといえばこのサクレ・クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre)。1877年に着工し1914年完成という新しい建造物です。普仏戦争での敗北で意気消沈したフランス国民を鼓舞する意図で計画されました。でもその時の第三共和政は、後に政治的に二転三転し混迷を続けた経緯があり、時とともに寺院の建設意義は様々に読み替えられていったようです。美しく立派な建造物ですけど、ノートルダム大聖堂のような風情は無く、新しく明るい聖堂という印象です。

画像2


素晴らしいのは寺院前のパノラマで文字通りパリの街を一望できます。↑写真の手すりの辺の広場では観光客目当ての土産物売りがウロウロしています。

画像3


丘の裏手へまわると、かつてユトリロが描いたような情景が広がっています。でももろにツーリスティックな似顔絵かきがテルトル広場を占拠していたりでちょっと興ざめだったり。

少し奥まで行くと、ピカソ、ブラック、モディリアーニなどが暮らした洗濯船 (Bateau-Lavoir)があったり、

画像6

有名なキャバレー・シャンソニエのラパン・アジル(はねウサギ Au Lapin Agile)があったりして風情のある光景が残されています。

画像5

ラパン・アジルのお向かいにはパリに唯一残るブドウ畑(実際に栽培して、現在も収穫祭とか開かれるみたいです)もあります。

画像4


観光のド定番でツーリスティックではあったけど、モンマルトルの丘の散策はなかなか楽しかったです。その後ピガール方面に戻って帰路に。ピガール~ブランシュへと抜けるクリシー大通りは歓楽街です。ほぼ歌舞伎町でキャバレーがずらりと並んでます。あんまり淫靡なムードはなく、大型観光バスで観光客がどどっと乗り付けて、みんなでワイワイ楽しんでるような感じでした。


画像7

住まいのあるサン・マンデ駅前で募金。赤十字はクロワ・ルージュ(Croix-rouge)。なんとなくクロワ十字とか書いてある(笑) 

パリの人々は募金が大好きでどんどんお金入れてます。そこかしこで座り込んでいるホームレスにも次々と施していて、日本人の僕からすると、これはどうなんだろう?と疑問に思うことも多々ありました。毎日受け取る施しでそこそこ楽しく暮らせてしまって、そういう人達は路上で安ワインをガブガブ飲んで酔っ払ったりしています。本来であれば社会復帰と自立を助けるような方向に導くべきだと思うんですが…。まあそれぞれの地域、人々の事情がありますから簡単には語れないですよね。このホームレス問題、地下鉄内での「金くれ」問題は、当時のパリではけっこう気になりました。1993年の時点では失業率が12%超えでしたから特に悪い状態だったのかもしれません。昨今の移民問題など含めて現在はどうなんでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?