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霊的な還暦(2024年9月1日作成)

霊的な還暦 著作.岩満陽平

そこにいたのは、ほんとうの自分だった。

22歳の俺


自分ほど不器用で、不幸な人間はいなかった。
誰もがその真理の中で、神に導かれているのに、自分だけは真理が見当たらない。バカにされ、コケにされ、それで精一杯、何か人生に物語があるわけでもなく、ただひらすら情けなかった。

自殺するのも惜しいほど何もない人生すぎる。
あまりにも情けない人生なので、もう少し成長しようとした。
俺ほど未熟な人間いないと思った。


俺だけなほどの地獄


色々考えたことある。
俺は自分の肉体を上手く動かせない人間なのだ、頭では分かっていることができない人間なのだと。俺は、それができないから、周りにおかしいと思われて、人によってはいじめてきたり、やたらと嫌われたりするのだと。

もうこれに気付いた日からは、人々は、敵でしかなくなる。優しい心や、相手への思いやりなど、それができるなんの障害もない人限定の話だ。それができない俺からしたら、そんなものいらない。

自分が地獄落ちる前に、相手を地獄に落とす、それを徹底的に実践してきた。神や運命などと呑気なこと言ってたらやられるだけだ。ころされないだけでもありがたいと思え、と、常に警戒して、ころすつもりでいることだ。


操れない


俺は、思いを操れない、と思ったことある。
30分前に考えていたことを、30分経つと忘れてしまって違うことを考えているから、何をし始めることができず、突発的にその時思ったことしかできない。3日坊主ですらなることができない。
それが奇しくも、俺という人間がサイコパスではなかったことは幸運だったとも言えるし、逆に善良であったがゆえに何もできない情けない人間だったとも言える。

子供の頃、絵が上手かった。中学生くらいになると、誰に見せるわけでもないが、自分の思いを書きとめる、詩に似たようなことをしていた。頭は悪いがなぜか小説は定期的に読むところがあった。

大人になるにつれ、俺という人間は、ほんとに複雑な人間だと感じた。
小説を読んだり、記憶力や理解力は相当高く、資格とかも簡単に取得できるからバカではないかと言えば、バカはバカなのだ。
人と、楽しく喋ることができず、ほとんど人間恐怖症で、だからと全く喋れないわけでもない。いっそ、全く喋れない方が楽なくらいだ。


成人

詩を書き始める


18歳から、ネットで詩を書き始めた。人生最初の詩は「ゴキブリの観察」の詩だった。なぜ、ゴキブリは、見られただけでこ〇されるのか、ゴキブリがお前に何をしたというのか、お前はゴキブリになんの恨みがあるのだ、お前の方がよほど諸悪の根源だ、みたいな詩を書いた。
結果、読んだ人は0だった、いや読んだ人はいたかもしれないが、コメントは0だった。
ああ、詩を書くってこういうことじゃないのか、と理解して、それからは真面目に詩を書いた。
おそらく1000作ほど詩を書いた、今はもう残ってない詩も含めれば相当詩を書いたと思う。

あらゆる詩人と関わりを持って、俺の知能なんて大したことない、俺の苦しみなんて大したことない。頭おかしいとか、何もできないとか、あの詩人に比べたら全然甘い話なものをいっぱい見てきた。

ひきこもり、おかま、汚言症、精神病、中卒、自殺未遂(または自殺を計画しているもの)放火された人うつで死にたい人

溶ける恍惚


22歳地点で、計100ページを超える小説を3作ほど書いた。
1作目は、17歳の頃、誰が読むわけでもないが、気晴らしに書いた。
題名も忘れたが、グロ小説みたいな、八つ当たりみたいな気持ちで書いた小説だ。
次は20歳頃、その頃の俺は、散歩に目覚めてて、毎日毎日散歩していた。
その散歩の最中で見た、あらゆるものをメモして書いた小説。これも題名忘れた。
22歳で、本気で書いた小説「裏街道」という小説を書いた、計200ページほど書いた。これを出版社に5か所送ったが箸にも棒にも掛からなかった。

この頃、僕は頭のネジが完全に取れていた、精神科の薬も飲まず、ふかせはネオニートの動画をひらすら見ていた。3か月ほど薬を飲まないで過ごしていたが、身体の中が全て溶けて、世界も溶けて、まるで、温かい牛乳の中にいるような、溶ける恍惚を体験した。自分の中に男性のような柔らかさと、女性のような柔らかさが溶け混ざって、世界はウイスキーの原液のような輝きを発していた。

僕はしんだ、ハッピーに。そこにいたのは、いつからかの始まりの僕。

22の俺

霊的な還暦

霊的な還暦だ、全ての使命を終えた。
閉鎖病棟に入院して、肩の荷が全て降りた。
俺は、霊的には還暦だ、もう何もやり残すことはない。

これからは、使命ではなく、安らぎの境地の中で生きていけることに喜びを感じていた。
涅槃とまでは言わないものの、それに近い世界でこれから生きるのだ。
そこには喜びと一抹の不安が織り交ざっていた。


おまけ

中学1年生の頃、BUMPOFCHICKENが好きだった。
あの頃、Mrchildrenの方に夢中になってたら、今の僕は違ったかもしれない。


(完)


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