私と音楽
今回は、私の音楽に関わる人生を
まとめてみようと思います。
自分史の中の音楽部門という感じでしょうか。
もし、ご興味があれば…
※今後も、この記事は
書き足していきたいと思っています。
こども時代
エレクトーン
幼児期は、当時住んでいた場所から近い
エレクトーン教室に行っていたらしい。
小さすぎてあまり覚えていませんが、
音符の基本や、リズムの基本を
学んでいたとのこと。
イヤな思い出はないので、
楽しかったんだと思われる。
ピアノ
小学生時代には、姉と一緒に
個人レッスンのピアノ教室へ。
そこの先生のことは
先生の発する言葉(音)が柔らかくて
大好きだったのですが、
当時から、一度覚えると楽譜を見ずに
手元を見て弾くクセがあって、
先生にそれをやんわり注意され、
「もう楽譜は憶えているんだから、
手元を見て弾いて確実性を上げて何が悪いの?」
と思ってつまらなくなった記憶があります。
先生が、私のレベルアップのために
言ってくださっていることはわかっていたのですが、
ムスメと同じで、ずっと反抗期な私です(笑)
私のモチベーションが下がって
練習しなくなったので、
「エリーゼのために」まで進まないまま
ピアノをやめました。
(代わりに書道教室に通いました)
テレビで聴く音楽
小学生時代は、当時テレビで大人気の
アイドルには全く興味がなく、というか
「歌うまくないじゃん…これの何がいいの?」
と思って過ごしている、生意気で
外で男の子たちと走り回ったり
木に登ったりするのが大好きな子どもでした。
その中でもかっこいいと思ったのは、
荻野目洋子さんや、GAOさん、プリプリのような
ハスキーボイスでかっこいい歌手の方々でした。
高学年の頃には、友だちから
嘉門達夫さんの替え歌メドレーや
とんねるず、バブルガムブラザーズの
CDを借りて聞いた気がしますが、
あんまりピンと来てなかったなぁ。
あと、チャゲアスに母と姉と一緒に
ハマっていた時期もありました。
ゲーム音楽、映画音楽
そんな中、新しもの好きな父が
ファミリーコンピューターを買ってきて、
我が家の3人兄弟はみんなゲーム好きに。
ドラゴンクエストの曲や
ファイナルファンタジーの曲などに興味が出て、
姉と割り勘でドラクエのサントラを購入して
擦り切れるまで聞いていました。
他には、銀河鉄道の夜という映画に姉がハマり、
そのサントラを買ったので、
私も一緒になって聴かせてもらってました。
後で、YMOの細野晴臣さんが音楽を担当されていた
とのことで驚いたものです。
合唱
小学生時代に、音楽の専科の先生が一時期いて、
合唱を教わった記憶があります。
その練習が結構おもしろくて、
学校の登下校でも大きな声で歌いながら
歩いていたような気がします。
ある日、母の前で歌ったら、
珍しく「うまいね!」と驚かれて、
こっちが逆に驚いたのをよく覚えています。
また、中高はプロテスタント系の学校だったので、
毎日礼拝で讃美歌を歌わされていて、
強制的に合唱コンクールなるものに
参加しなければならなかったため、
練習を重ねて本番でも歌いましたが、
当時の私は不登校気味で学校嫌い。
ただ教室にいるだけで冷や汗、
めまいで世界がグルグル回るような状態。
全然楽しく感じず、苦痛の時間でした。
エレキギター
中3の後半、父が持っていた
ガットギターを借りて
フォークギターの教則本を見ながら
長渕剛さんの「しゃぼん玉」を
弾いてみたのがギターとの出会い。
ピアノと違う、ちゃんとした音の出にくさ、
弦楽器の取っ付きにくさに惹かれました。
また、テレビの音楽番組やCDから流れてくる
エレキギターの音色の多彩さに魅せられ、
エレキギターを弾いてみたいと思いました。
ちょうど洋楽のロック音楽も
色々聞くようになっていたので、
特にロック音楽を弾いてみたかったです。
それまで足を踏み入れたことがなく
なんとなく怖かったので、
母と一緒にわりと大きな楽器屋さんへ行き、
そこで上手に弾いていた店員さんから
勧められるまま、中古のギターを
「初心者ギターセット」付きで
おこずかいをはたいて購入。
自己流では伸びないと思い、
一人で通いやすい場所にある小さな楽器屋に
付属したギター教室に通い始めます。
そこの楽器屋の店員さんや、
常連のお客さんと仲良くなり、
色々なギタリストやジャンルのことを
こども扱いせず、いつも楽しそうに
教えてくださったりと、
高校を不登校気味だった私にとっての
大切な居場所になりました。
時には、その店員さんの
インストゥルメンタルバンドの
ワンマンライブに招待してくださり、
本番後に音響やライティング設備の
片付けのお手伝いをさせていただくことで
ライブの裏側を知ることができました。
また、バンド募集の張り紙を見て応募し、
高校生+社会人のバンドをしてみたり、
教室が開催する発表会に出演したり、
高校時代に音楽を通じて友だちになった人と
2人でリハーサルスタジオで練習したりも
しました。
大学時代
本当は、音楽の専門学校に進学したかったのですが、
せっかく中学受験までさせて
高学歴の道を準備したのに。
お前に一人暮らしなんかできるはずない。と父親、
県外に行くなんて!そばにいて欲しいと母親。
そこで、当時のギターの先生から
地元で一番音楽サークルが充実している大学の
情報を入手して、入学。
入学式に、スーツのままギターを担ぎ
音楽系サークルを全て回り、話を聞き、
一緒にセッションさせてもらって
一番居て楽しかった部に入部を決定。
4年間、部のバンド、部の外でのバンドなど
色々組んだけど、そもそも音楽をすることへの
気持ちに違いがありすぎて、
また、思うように伸びない自分のギター技能に
悩みながら過ごしました。
その中で、何度も定期演奏会やライブをする中で、
人前でパフォーマンスとして音楽をすることの
楽しさと難しさを知ることができました。
また、部外のバンドで
初めてオリジナル曲を作ることにチャレンジして、
「もしかして自分にも曲を作れるかも」
と思えるきっかけになったことは大きかったです。
ドラム
バンドを転々とする中で、ドラムやベースなど
他の楽器にも興味を持ち、
バンドにおけるそれぞれの楽器の役割について
調べたり、経験から考えたりすることが増えました。
また、練習室のドラムをたたかせてもらって
先輩たちの真似をしながら軽く練習。
その後、ジャズバーでジャズドラマーをしていた人が
彼氏になったのだけれど、
当時音楽に対するモチベーションが下がっていた
私の音楽に対してもストイックできつかったです。
ジャズやボサノバ・サンバのことを勉強できたり、
ジャズバーで生のシャンソンを聞いて
鳥肌が立つという感覚を覚えたりと、
ジャンルを超えた楽しさを
生演奏から得られたのはよかったのですが、
結果、音楽をすること自体が辛くなって、
一旦、音楽から離れました。
通信制短大時代
ピアノ再び
大学を卒業後、
そのまま通信制短大に編入学。
保育士の免許取得のために
再び個人レッスンでピアノを習う。
童謡を歌いながらピアノを弾けないと
保育士としてやっていけないので、
ひたすら練習したら、ピアノを弾くって
楽しかったんだなと思い出しました。
また、童謡に3拍子が多いことに気づく、
日本人の血に流れる拍子の取り方の呪縛、
小さい時に聞いていた童謡を
伴奏も込みで記憶していて驚いたり、
音大出身の先生から、絶対音感の話や
音大生の生態について聞いたりなど、
音楽の幼少期に与える影響力の大きさを知り、
音楽の幅広さや、音楽をする人そのものの
豊かさ、面白さも思い出しました。
また、実習先のこどもたちの前で
軽くギターを弾く機会があり、
体を揺らしてノリノリで聴いてくれる
こどもたちを見て、
音楽の言葉や年齢を超える力を感じます。
社会人になってから
社会人バンド
保育士免許は取得したものの、
自分には向いていないと感じたため、
保育士にはならず、出版業界の会社に入社。
しかし、新規事業の計画がつぶれ、
新入社員で即戦力にならない私たちは解雇。
そこから資格取得、運転免許取得、
派遣社員や職業訓練所に通うなど
さまよっていると、
大学時代の同級生から
社会人バンドを一緒にしないかと
誘ってもらえたので参加。
そこで、夫に出会い、結婚。
バンドとしても、2度ライブをして、
とても楽しい時間でした。
また、自分が初めてギターボーカルとして
入ったゆるいバンドも、
ギターボーカルの難しさや
自分の声量や表現力の無さに気づく
いい機会になりました。
オリジナル曲作り
その中で、アレンジ曲やオリジナル曲を
することになったので、
MTRを購入して、
作曲・作詞、各パートの演奏・歌入れまで
全てして、聴いてもらうと、
思った以上の高評価で、ライブでも披露できて
そこでお客さんにアレンジ曲がよかったと言われたりして
アレンジ担当としても自信が持てました。
そこから、仕事&家事をしながら、
10曲以上のオリジナル曲をちまちまと作成。
ちょうど、沖縄に転勤して住んでいたので、
そこのローカル番組の楽曲募集を見て、
その番組のテーマ曲を作り、応募。
すると、それを流してもらえ、
その番組内の音楽プロジェクトに参加できることに。
その会合や準備、
本格的な録音スタジオでのレコーディングも
とても素晴らしい経験になりました。
(ドラムは夫、ギター、ベース、歌は自分が担当)
また、
プロで音楽をされている方々とも出会え、
彼らの音楽に対する情熱や知識の深さ、
音に対するこだわり、
夢を持ち続けることの大切さ、
とにかく行動をする姿勢の大切さ、
観客に喜んでもらうことを大切にする姿勢に触れます。
さらに、そこで出会えたドラマーの方と
バンドを組むことになっていました。
(1度だけ練習して終わりました)
また、夫の地元(東京)の社会人バンド仲間に
入れていただき、6時間ぶっ通しのバンド練習、
六本木でのライブでは、ギター担当、ドラム担当、
シンガーソングライター(ソロアーティスト)
としても出演させていただけた経験は貴重でした。
でも、番組のプロジェクト最初のライブや
沖縄で組んだバンドの初練習の後すぐに
ムスメを妊娠していることがわかり、
特に妊娠初期はつわりがひどく、
視覚過敏も嗅覚過敏も聴覚過敏も酷くなって、
小さな音でも音楽が聴けない状態で、
それどころではなくなってしまいます。
三線
時間が前後しますが、
沖縄に行った直後には、
せっかく沖縄に住んでいるからと、
昔、家族旅行で沖縄に行った時から
気になっていた三線という楽器を習いました。
楽譜が文字で書かれていることに衝撃を受けたり、
フレットレスの弦楽器に触れる機会になり、
また、沖縄の方言に直接触れる
貴重な体験ができてよかったです。
(応募した番組のテーマ曲にはカンカラ三線を使った)
童謡漬け
ムスメが無事生まれましたが、小さい頃は、
聴覚過敏で、めちゃくちゃこだわりの強い
ムスメに合わせて、とにかく童謡漬け。
当時は日々を生きるだけでも精一杯だったため、
楽器を弾けるような状態ではなかったです。
ギターを出して弾こうとすると、
ダッシュで激突してくるので
危なくて無理でしたし(笑)
音楽暗黒期のはじまりとも言えるかな。
どうしても娘の好みに合わせた
選曲になってしまうため、
曲を選ぶことは諦めて、
その歌の真似をしてみたり、
ハモる練習をして遊んでいた気が。
そのうち鬱病を患い、悪化させ、体に症状が。
まずはメニエール病と突発性難聴の合わせ技。
寝転んでいても世界がグルグル回るので、
気持ち悪くなって嘔吐してしまいます。
同時にめちゃくちゃ大きな耳鳴りがして、
寝て起きてもずっとしてたので、
これはさすがにまずいと思い、
耳鼻科に駆け込んだのを覚えています。
すぐに耳鼻科に行ったのがよかったようで、
酷い時は低い音域の音の聴力がかなり落ちましたが、
今は、小さな低い音の耳鳴りがずっとしてるくらいで
めまいもすっかり治って、本当によかったです。
それでも、鬱病の根本は治らず、身体表現性障害で
足がうまく動かなくなり、声も失いました。
かなりの期間、ずっと
声が出ないまま転勤、そして入院。
当時の記憶はほとんどありません。
音楽の喜びが
私の人生から消えていました。
音が聞こえる、声が出ることの喜び
その後、治療の甲斐あって、
うつ病が徐々に改善していき、
ある日突然、声が出るように。
そこから、少しずつ
音楽を聴く時間が増えていきます。
ムスメも大きくなり、
むしろ色々な音楽を聴きたがるように変わっていて、
ドライブでは私の選曲した
幅広いジャンルの音楽を一緒に聞いたし、
カラオケも好きになったので、
家族で時々カラオケを楽しむようにもなりました。
声が出ること自体へのすばらしさを
身をもって体験できたことで、
それまで人前では別の人格を演じてきたが
自分の声で話すことができるようになってきて、
歌うことの楽しさも以前の倍以上になった。
ギター・ドラムの復活
たまたま借りた家が
楽器OKの2重窓の物件だったため、
ギターやドラム(電子ドラムで
音が階下に響かないようなシステムを作っている)
の練習を復活。
ピアノを独学で練習中の娘と
ドラムをしている夫と合奏することになり
楽器の楽しみも復活してきました。
合唱
夫の転勤で、私の地元に帰ってくることになり、
そういえば、最初の転勤で地元を出る直前に
姉と「第九ひろしまに出ようね」と言っていたことを
思い出して、姉に聞いてみることに。
すると、姉はすでにバイオリンをしていて
歌うことに興味がなくなったからと言うので、
一人で第九ひろしまに応募。
その練習で出会った指導者さんが
前向きでかつ細やかにこだわりを持って
温かい言葉を使うことを意識していらっしゃり、
歌が改善したら必ず褒めるという
歌い手の心理をよく知っていらっしゃる方で、
音楽に対する造詣も深く魅力的な方だったので、
最後まで楽しく練習でき、本番も心残りはあれど、
無事?終了。
本番終了後、次の第九も参加したいけど、
来年の冬まで目標が無いと、
怠け者の私は練習をサボりそうだなと思い、
夏ごろに目標になるものがあればなと考えて、
あの指導者さんがしている合唱団とか
歌のレッスン教室みたいなのってないのかな?
と、X(旧ツイッター)で見てみたら、
たまたまその方のアカウントを発見。
とりあえずフォローして、
その方がしている合唱団の発表会でも
観に行ってみて、入れないか聞いてみるかなと
思っていたら、
あれよあれよという間に、縁あって
その方が指揮されている合唱団の見学が決まり、
入団を決めました。
平日と月一回の練習が毎回楽しく、学びも多く、
合唱・音楽のすばらしさをより感じられています。
以上、私と音楽の長い付き合いについて
書いてみました。
こうしてまとめてみると、
私と音楽は切っても切り離せない関係にあるなと
いうことがよくわかって、とても有意義でした。
もちろん、これからも
何らかの形で音楽を続けていく予定です。
長い長い、とりとめのない文章を
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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